Xデザイン学校 #02(6/26) 振り返り ~陥りがちな思考停止の罠~
2021年度 Xデザイン学校 大阪分校 ベーシックコースにおける #02/ビジネスインタビュー(6/26)の中での気付きを軸に振り返りを書きたいと思います!
※Xデザイン学校については以下リンクを参照
1.思考停止の罠に陥っていないか?
本講座の主題は主題は「ビジネスインタビュー」でしたが、僕自身にとっては"思考停止"という観点での新たな気付きが大きかったです。本noteでは以下の3つの軸で整理したいと思います!
[思考停止の罠①]分業による責任の分散化
[思考停止の罠②]ひな形・テンプレートの活用
[思考停止の罠③]抽象度が高いワードでの認識整合
2.[思考停止の罠①]分業による責任の分散化
この気付きのキッカケとなったのは「アイヒマン・テスト」にする話です。
■「アイヒマン・テスト」とは? ※後述リンクより抜粋
盗みや殺しや暴行を心底嫌っている人でも、権威に命令されたらこうした行動をあっさりやってしまいがちだ。独自行動では考えられないような振るまいでも、命令されたら何のためらいもなく実行されたりする。
一般的には"権威の命令があれば人は残酷なことができる"という文脈で語られることが多いようですが、僕は
➡その行為の責任が自分にあることを認知できないことによる思考停止
という意味合いで解釈しました。日頃僕らの身の回りでも度々見かける(?)「そういう役割だったから」「あの人が言ったから」の極端な事例であるように思いました。
企業における仕事は効率化という目的の名の下に、分業化・階層化されていますが、本事例を元に再解釈すると、分業化・階層化によって自分に責任があることを認知できない(しにくい)組織構造になった結果、思考停止に陥りやすい環境が構築されているのだと改めて理解しました。
("思考停止"という観点だけ見ると、個々人の課題の様に感じますが、一歩引いてみると違う見え方になりますね)
その様に考えると、自他の思考を停止させないためには、否応にも責任があることを感じられる環境をセッティングすることが重要だということかと思います。今までの感覚では何となく分かっていた様にも思いますが、改めて言語化する機会を得たことで、自分の中により浸透させることが出来た様に思います。
日々、思考を回すことは自分を"発達"させていく上で欠かせないものだと思いますので、自分を置く/置かれる環境もこの観点で一度見直し、思考停止の罠を解除していきたいと思います!
3.[思考停止の罠②]ひな形・テンプレートの活用
この気付きは「アンダーソンの3段階の学習モデル」に関する話がキッカケです。この学習モデルは簡単に整理すると以下の通りです。
■アンダーソンの3段階の学習モデル ※後述リンクより抜粋
[1]まずひな形通りに受け入れ(宣言的段階)
[2]次に知識を噛み砕いて自分のものとし(知識の翻訳段階)
[3]最後にそうした知識やスキルを繰り返し活用することで、よりスムーズな処理が可能になる(手段的段階)
学習を進める上で、まず"ひな形を知る"ことが重要であることは感じます。まずは、ひな形を用いることによって、本来はモニョモニョ(?)したものを構造化された形で一旦理解することが出来る様に思います。
例えば、僕は学生(中学)の頃、弓道していたのですが、"各所作のひな型"があることによって、10代早々の学生でも習得可能となっていたと思います。もしも「熟練者の動きだけを見て学ぶ」というスタイルだった場合、導入の部分でずっと右往左往して終わっていた様に思います(笑)
(完全に余談ですが、3年間研鑽して卒業時にはいちお学生時点での最高段位獲得と全国大会入賞までは達成しました)
導入の強い手助けとなるひな形の存在ですが、"正解"を期待する内に、、、忙しさの中で、、、ついついひな形から次のステップに進むという行為を忘れがちになるように思います。つまり、ひな形の上で思考停止するということが起こる様に思います。実際にはひな形の狭間に落ちているモニョモニョ(?)したものがあるはずなのにそこまで目が向かない。
(ちなみに弓道の昇段審査では、"一つの型に対する自分の考えを論述する筆記項目"があるのですが、ここでは"ひな形の外に出ること"を試されていたのだと10年来の時を経てようやく理解しました"笑")
本講座においてもこれから"UXD/サービスデザインに関する手法(ひな形)"を学ぶ機会があるかと思いますが、"ひな型は学習の導入である"ということを理解して、引き続き望んでいきたいと思います!
(こういうことを書くとハードルが上がりガクブルしますが...(((;゚Д゚))))
4.[思考停止の罠③]抽象度が高いワードでの認識整合
本講座のワークショップでは「ある飲料メーカーの次のビジョン・パーパス・ミッションを考える」というお題が出されたのですが、ついつい耳馴染みの良い抽象度の高い言葉での整合に満足しそうになる自分がいることに改めて気づかされました。
非常にややこしいのは「抽象度が高い言葉には間違いがある訳ではない」ということでかと思います。そのため"否定"に晒されることはなかなかありません。
このnoteを書きながら改めて感じたのですが、「正解を求める」ことにある種特化して生きてきた人(例えば自分)は、"負(否定)を見つけてそれを修正するというテーマ"は建設的な議論を展開しやすい一方で、"負(否定)が主役ではないテーマ"では、一転フワフワした抽象度の高い議論になりがちではないかと思いました。
少し表現を変えると、"負(否定)"があればそれを深掘りながら議論を具体化すれば良い一方で、"負(否定)"がいない場合は深掘るポイントが定まらず、議論を具体化しずらいということではないかと思います。
(あくまで個人としての主観ですが)
その上でですが、"負(否定)が主役でないテーマ(例えば"ビジョンを考える"など)"においては、"仮説という具体的な登壇者"を設定し「その登壇者が主役になり得るか?」という議論することが求められるのかな?と考えた次第です。(舞台上は最初は主役不在で、そこに仮説という名の主役候補を次から次に連れて来るイメージです)
実際には、その"仮説の設定"こそ難しいと感じているのですが、本振り返りを通して、本講座で求められる議論と日頃の業務で行う議論との違いについて、一歩だけ理解が深まった様に思います!
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最後までお読み頂きありがとうございました!
今回のnoteは特に生煮え感があるので、日をおいて推敲できたらと思いますが、振り返りの中で新しい気づきが得られることを改めて感じたnoteでもありました!やっぱり、振り返りは大事ですね!