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優しさの中身
母とは、親娘なのにどうしてこんなに合わないのかと思う時がある。
家にいた頃は普通に喧嘩もしてたし、離れて住んでからは2度と連絡するか!と思ったこともある。
でも、少し経てば普通に連絡してるし、会いたいなぁと思ったりもする。
こうして母のことを思う度に一番最初に思い出すのは私がまだ中学生だった頃のことだ。
とにかくその頃の私は、学校に疲れていて、学校に行きたくないと思う時が度々あった。いじめとか授業についていけないとかではなく、集団生活に疲れていた。
ある日、思い切って母に「学校行きたくない」と伝えてみた。
母は、仕事があるし、行けって言うだろうなと思っていたが、返ってきた言葉は「いいよ」だった。
しかも、今日は休みだからランチに行こうと言って、さっさと学校に休みの連絡を入れてしまった。
それからも度々そんなことがあったが、母は絶対に「行きなさい」とは言わなかった。
大人になってからどうして行けって言わなかったのか聞いた事がある。
母は、うーんと悩みながら「まぁ、そのうち行くって言うと思って」と「いいよ」と言ったときみたいにサラッと言った。
確かにその言葉通り、私はちょっと休めばまた普通に学校に行っていた。
母とは合わないなと思うと同時によく分かってるなと感じた出来事だ。
こんな事があったので、私が不妊治療をしていて、まぁ、結果子どもは無理だなとなった時も素直に話してみた。
なんて言われるかなと思ったけど母は「今、夫婦仲良く楽しく暮らしてくれる事の方が親として大切」と言ってくれた。
その後、祖母と話をする機会があり、絶対に子どものことなんか言われるだろうなと思っていたけど祖母は言いかけてすんでの所で話題を変えた。
あ、これは母が祖母にキツめに注意したなと思った。
すぐ母に、ひょっとして祖母に余計な事言わないように言ってくれた?と聞いた。
母は言葉を濁していたが、私が傷つかないように先回りしてくれたのが分かった。
私は心の底から嬉しかった。
母とは本当に合わないなと思うことがある。
だけど、母ほどに私を気遣ってくれる存在はいないなとも思う。
あの時の「いいよ」が、母を母だからという理由ではなく一人の人間として信頼できる存在に変えた。
そして、私は母の優しさの中にある、価値観や哲学に触れたことで、母親というフィルターを取って一人の人間として見つめる事ができた気がする。
母はきっと忘れてるだろうと思うけど、私にとってこの二つの出来事は時々宝箱からそっと取り出して眺めてる宝石みたいな出来事だ。
私も誰かの心や記憶に宝石を残せたら嬉しい。
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