拝啓、音楽に救われた人へ
※楽曲の歌詞やMVに関するネタバレを含みます。
推しの、あづくんのソロ曲のMVが公開された。
この曲を聴くのは2回目。静岡公演で初披露された以来になる。といっても、当時の記憶は曖昧なのでほぼ初見といえる。
というわけで、『拝啓、音楽に救われた人へ』を聴いたほぼ初見の感想を書き残しておこうと思う。
このnoteでは、純粋に曲への感想だけを綴りたい。歌い手であるあづくんという人のパーソナリティを踏まえずに、曲を聴いた感想だけについて言及する。(じゃないと、お気持ち長文が出来上がってしまうため)
まず初めにMVを見て、聴いた。
次に、歌詞を全部ノートに写した。なぜか手書きで。
それから、歌詞の一つ一つをよく見て、考えて、分からないことが沢山あって、整理しながら、このnoteを書いている。
ので、支離滅裂な部分が多々あるかもしれない。それでもご容赦ください。
『拝啓、音楽に救われた人へ』
まず、この曲には登場人物が少なくとも3人いるのではないかと思う。
1、主人公(たぶん思春期の中学生とか)
2、セミ
3、もう一人の自分(もしくはセミ)
歌詞に沿って、どこのパートが誰の視点で歌われているかを自分なりに考えてみた。
※あくまでも考察にすぎません。私の考えは正解ではないし、正解はないし、妄想の域を出ません。
歌詞全然違うかも……許ちて…………
歌い始めからサビ前までは、すべて【主人公】視点。
てか、夏の都会にセミいるん?
森の中だったら周りに馴染むセミの鳴き声も、都会の喧騒の中では耳障りでしかないから悪目立ちしているのかな。
そんな嫌われ者のセミにさえ、主人公は「羨ましい」という感情を抱いている。生きる使命があることを羨んでいる。
生きる使命って何だろう。
セミにはあって、主人公にはないもの。ないと思っているもの。
セミはこの世に産み落とされた後、数年間を地中で過ごす。成虫として生き残れるのはほんのひと握り。だから、生き残った個体は淘汰された仲間の分まで生きねばならない。これを生きる使命と捉えているのか?
……でも、だとしたら、主人公も同じ使命を背負っていると思う。だって同じ儚い命であることに変わりはなくて、命は平等に尊い。
主人公は力強く生きるセミを羨むほどに自分の人生を悲観しているし、妬むほど捻くれた人物であることが読み取れる。
ただ、その捻くれた性格は恐らく『過去のトラウマ』に起因するものだということも読み取れる。
『独りじゃないか もう うるさいなって』
セミに対しての八つ当たり。使命なんて尊い理由でこの世を生き抜いているのではなくて、ただの種族繁栄、本能でしかないだろ、という当て擦り。拗らせてんね〜
『ヘッドホンで耳を塞いだ』
ここでやっと、初めて音楽に関するワードが出た。ヘッドホンを付ける、ということは恐らく、主人公はここから音楽を聴き始めるのだと思う。
一体何の音楽を聴いて、どんな風に救われたのか……?あるいは、音楽を通して救われた人へのメッセージをどうして送るようになったのか……?というワクワク感を残したまま、曲はサビに突入する。
ここ!!
サビに入ってすぐのここの歌詞は、【もう一人の自分】視点に切り替わっている。と思う。
「分からないんだよ」と嘆くのではなく、「分からないんだね」。
Aメロで歌っていた主人公に対して、優しく語りかけるもう一人の自分。
もしくは、主人公が羨んだセミからの問いかけ……という可能性も捨てきれないでいる。けど、もう一人の自分が寄り添ってくれていると捉えた方が、なんか好きだなと思う。
ここはまた、最初の【主人公】視点に戻っている。
抜け殻にもなれない……成虫として羽ばたくこともできず、燻ったままなのね……
セミの姿に自分を重ねて、自分という在り方が分からずに立ち止まっている。正解が分からないから、自分ではどうすることもできないから、『いっそ全部壊してくれ』←他力本願寺すぎる。臆病なんだね。
ふんふん、ほ〜ん、と聴いていたら、サビの最後に爆弾投下。
『遠いある夏の日』
↑え!!?!?過去のこと!!?!?!?Aメロから今まで、過去の話なんだ???????????
は〜んなるほどね、つまり拗らせ主人公が存在している世界線は過去で、「過去のトラウマ」があったのは大過去ってワケね・・・・・・
それを現在の自分が回想しているということ??????
となると、サビ始めを歌った【もう一人の自分】はもしかしたら未来の自分視点なのかもしれないな……
セミを羨んだり妬んだりすることもあったな〜言うてますけども、そんな暗黒時代を乗り越えて今ワイは生きてまっせ!!ってこと??????
過去回想の歌なの????????
だとしたら、最後の『遠いある夏の日』だけは【もう一人の自分】視点………いや、いつからこの歌が【主人公】視点だと錯覚していた……??
え〜〜おもしれ〜〜〜〜〜〜〜
と楽曲の面白さに気づき始めた頃に、二番突入。
歌詞全然違うかも……許せサスケ…………
AメロBメロは変わらず、【主人公】視点。
『地べたを這いずり黙る僕は』
地中を這い上がって羽化するセミとの比較。自分は飛べない。やかましく鳴くこともできない。
『どこにでも行ける自由が妬ましく思った』
ここの解釈が難しいなー……と思っていて。
妬むは”他人”を羨ましく思う意味だから、対象はセミなのかな?とも考えたけど、もしかしたら自分に対しての感情なのかな、と。
悲観している主人公だけど、本当は何だってできるしどこへだって行ける。自由がある。そのことに、主人公自身も気づいているけど気づかないふりをしている。という、描写なのかな?と……得意の深読みでしかないのは、そう…………
余談ですが、アイドルマスターSideMに登場する北村想楽くんのソロ曲「Flowing Freedom」に、このような歌詞が出てくる。
『不自由は囚われではなく捉え方なんだね』
……まさに!!二番Aメロを聴いたとき、真っ先に思い浮かんだフレーズ。
本当は、何にだって成れるし何だって手に入る。
何かに縛られる人生だったならいっそ、漠然と感じる生きづらさに名前を付けられるのに、理由として挙げられるほどの不自由はない。むしろ自由でしかない。だから、辛い。
閑話休題。
二番歌詞に話題を戻しますが、『傷つけた境界線〜』から『〜なんだ、また部外者って』までのパートへの解釈は、こちら側に委ねられている部分が多すぎて、どんな言葉にすればいいのか分からない。ので、割愛します。
『報われない小さな嘘をついた』のところも、正直、分からない……過去に何かトラブルがあって、その時に小さな嘘をついた。そして主人公は嘘をついたことを自嘲的に振り返っている……
ということしか読み取れません。読解力が来い。すごく大切なパートなんだろうな。過去に何があってどんな嘘をついたのか、いくつか思いつく言葉を当てはめてみたけど、どれもなんだかピンと来ないので、潔く諦めます。(考えることを、放棄するな)
読み手に任せられた空白部分が大きすぎる。穴埋め間に合わない。でも別に、それでいいんだと思う。
「分からないんだね」……前述した通り、語りかけ口調になっているから、ここは【もう一人の自分】視点。
【主人公】視点。
全部捨て去ればただ笑って楽になれる。ということを、主人公は知っている。でも、それができない。
全部って、何だろう。捨てたいのに捨てられないもの。主人公が苦しむ理由。でもやっぱり、どうしても捨てられないもの。
分からないけど、全然違うかもしれないけど、それは「音楽」なのかな、と思う。
この曲中における「音楽」は、ただの音の羅列を指すのではなくて、音楽に伴う感情とか音楽を愛してくれる人達の想いとか、そういう色んな意味を広く捉えて、「音楽」という言葉に落とし込めているのだと思う。
あくまでも私の妄想でしかないことを、書く。
きっと主人公は何らかの音楽活動をしていて、音楽に救われて、音楽で救ってきて、でも音楽で苦しむこともあって、耐え難くて、離れようとしたこともあったけど、やっぱり救ってくれるのもまた音楽で……という経験をしているんじゃないかと思った。知らんよ?知らんけど、ね…………
『拝啓、音楽に救われた人へ』の、拝啓、の部分。誰に宛ててるの?って、やっぱり考える。
主人公(自分自身)宛てでもあるだろうし、主人公が救ってきた人宛てでもあると思う。主人公が救ってきた人っていうのは、この曲を、いま聴いているひと……つまり、私たち………………
正直、曲を何回か聴いた時点では、何でタイトルが『拝啓、音楽に救われた人へ』なんだろう?って思ってた。
だって、ずっとセミの話しかしてないんだもん。セミがうるせえなーって嘆いたり、羨んでみたり、かと思えばセミと比較して自分を貶してみたり……タイトル『セミ物語』とかの方が正しいんじゃないかって、思ったし。
だから、Cメロでいきなり
『拝啓、音楽に救われた人へ』と歌い出すのが、あまりにも突然すぎてよく分からなかった。
だって、今までセミの話ばっかりでしたやん!!?!?!?
辛うじて『ヘッドホンで耳を塞いだ』とか言ってたけどさ!?急に音楽の話しだしたな、って思った。
でもたぶん、ずっと「音楽」のことを歌ってたんだ。ここでいう「音楽」をめちゃくちゃ広い意味で捉えると、音楽に伴うこの人の人生、のこと。
ここはすべて【もう一人の自分】視点。
きっと、主人公に向けてのエール。音楽に救われ音楽に苦しめられる人生かもしれないけど、それもひっくるめて全部君の人生、個性、武器になる。
自分の背中を押せるのは自分なんだね……
そして、ラスサビ。
【主人公】視点。今まで鬱屈とした歌詞しか歌っていなかった主人公が、ラスサビでは未来への展望を歌っている。それも、明るすぎないのが、良い。
ラスサビが一番好き。
めちゃ余談だけど、このラスサビの歌詞が、明るすぎないけど未来は明るい(?)みたいな感じがして、このパートの温度感がすごく好き。MVの背景が晴天だけど雲も多めで、照りつける太陽ではなくふわっとした優しい明るさを持つ青空なのが、ラスサビの歌詞の温度感と合っていてとても良い。
歌詞の話をします。
『「生きてよかった なけてよかった」って納得できるまで』
↑ここの歌詞天才。生きてよかった、なけてよかった、 “””って納得できるまで”””なんだよな…………まだ、納得できていない……そこまでは思えない、ということ……
でも、納得できるようになるまで抗ってやろうという前向きな考えが生まれたことは、この根暗な(おい)主人公にとって革命だと思う。
絶対、全部捨てて諦めてしまった方が楽に決まってる。それなのに、抗ってやろう、と立ち上がってくれたこと……今はまだ自分の生き方に納得できない状態であることを自覚して晒すことは、勇気のいること。それでも抗う決意表明をしてくれたこと。
それら全てに、感謝……諦めないでいてくれて、ありがとう…………
ところで、『生きてよかった なけてよかった』の歌詞、初めて聴いたときは「泣けてよかった」って言ってるのかな?と思ったけど、もしかしたら「鳴けてよかった」なのかもしれない。セミのようにやかましく、声高に、「鳴けてよかった」。そう思える日がきたら、いいね。
最後のパートも、【もう一人の自分】視点なのかな?と思う。
文末が「叫び続けて”やれ”」になっているから。もし主人公視点なのだとしたら、「叫び続けてやる」と歌うになるはず……という説も、ある。
もしくは、【主人公】視点で、自分と同じように音楽に救われた人への激励なのかもしれない。どちらにせよ、「〜やる」ではなく「〜やれ」と書かれているところが、なんか、センスって感じだ……青野精一郎大先生………………
以上、『拝啓、音楽に救われた人へ』の、視聴後マッハで書き始めた殴り書きnoteでした。
なんというか、頭からこのnoteを読み返してみて、私ってあれこれ考えすぎだな……と思った。
癖で歌詞の裏に隠された背景とか想いを無理やり抜き取ろうとしすぎてしまうところがある。いちいち歌詞を抜粋して「ここはこうでこういう意味で……」なんて考察するような、つまらない見方しかできない。一言でいうと、無粋。
たぶん、「なんとなくいい曲だな〜」とか「この歌詞なんかいいじゃん〜」とか、本当はそういうのでいいんだよ。長文考察noteなんて書いてないで、直感的な「好き」をもっと大切にしな〜、と思った。拝啓、考えすぎる私へ。敬具。私より。
おわり