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癌の治療……終わってみた。①

 こんばんは、佳夜です。今夜は満月、ワームムーンって言うんですね。地面の中の虫たちが、今夜の月を感じて這い出てくる、初春のまったりした季節の夜です。

 もう10年前、私は一人残った父親を亡くした後、左胸の違和感を感じて乳腺外科を受診しました。父親の事ですでに本職の工場勤務は退職していたんですが、体力勤務のため体のあちこちが悲鳴をあげており、左胸も使い痛み程度の違和感でした。
 手をあげるとツッパリがある……?
 もともと30代から乳腺腫というしこりがあり、普通の健診では通らなくなっていた。いわゆる
 赤紙配布の健診
 毎年のマンモグラフィー検査
が必要な厄介な体でした。

 一度は先生に
「あー、大丈夫ですね。でも乳腺腫の下に隠れていたら見えませんが」
とスルーされたのです。でも気になるツッパリ。
 主人が二度目の検査についてきました。やっぱり先生は大丈夫と言う。
「違う検査ってできませんか?」
 帰りかけた私を引き止め、主人が先生にききました。
「生検という、細くて長い針で突き刺して、癌を直接取るのがあります。まあ、うまいぐあいに当たれば取れるので、痛いだけかもしれませんが」
「じゃあ、それをひとつ」
 え、私抜きで何言ってんのよ。
「大した事ないですよ。針なので、午後からすぐしましょう」
 た、たいしたことない? 針さすんだぜ。テニスボールとちがうんだよ。「じゃあ、がんばってな」
 おいおい、てめぇら、男だからってさ。自分の玉に刺すのとおなじだろ! 自分らだったらビビるくせに!
 結果、ヒットした。

「乳がんですね。ステージは……3か4,乳腺腫がじゃましてよくわかりませんが、とりあえず2週間後、手術しましょう」
 ステージ4……死ぬのかな?
漠然と他人事のように先生の言葉が入ってきました。
 姑やおじの通院の送迎、誰かに頼まなきゃ。うちの、ゴミ出しできるかなぁ? 娘が休みとってくれるかしら?
 そんな程度です。何しろあちこち雑用があるので、振り分けが一苦労です。そのころ、長男と次男が名古屋と仙台にいました。
 死ぬ前に子どもたちに会いたい!

 私はそう思い、長旅に出かけるのです。②に続く……


 

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