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祈る……生への感謝を

こんばんは、佳夜です。お久しぶりです。
 じつは師と思っている人に、私の文章のつたなさをコテンパンにたたかれ、ずっとへこんでいました。もうnotoもやめようかと……。
「文章が練れていない。言葉選びも乱雑。まったく進歩がない。期待外れ」
童話作家としては、立ち直る余地もなく、ただただ、パソコンから遠ざかっていました。
 打つのが怖い!
 情けない人間です。

 私は、生後間もなく父親が交通事故で亡くなり、若かった母親に養子に出されました。養母は精神障害を持っていて、私に幼児虐待をしました。
 20年間がまんをして、主人と結婚して家を出ました。でもその家も安住の地ではなく、義父は体が弱く、義母は性格がきつく、主人は賭け事と女にのめりこみました。そんな時、高潮の床上浸水で家を失いました。
 工場で一生懸命働いていましたが、腰をこわし、検査で乳がんまで見つかりました。

 つくづく自分の運命を呪い、神も仏も、恨みました。

 自分は何のために生まれたのかと嘆きました。……死のう!死んでやる。

 でもその前に我が子たちに会いたい!仕事で各地に行った3人の子どもたち。ひとりひとりに会いました。どの子も私の異常に気が付き、最後の長男に連絡が行ったそうです。
 長男は、その頃復興の真っ最中の仙台にいました。若き建築士の腕磨きのため、派遣され復興支援をしていました。
 仙台の町は私の心のように、ボロボロになっていました。杜の都、青葉城址、伊達政宗、みんな夢のように姿をかえていました。

 私は一台のタクシーをチャーターしました。ちょっと贅沢をしたかったのです。かなりお歳の大柄のおじさん、いえ、おじいさんでした。以前から行ってみたかった平泉の中尊寺金色堂を案内してもらいました。優しい方で、一緒に参拝もしてくれ、いろいろ教えてくれました。
 その方が別れ際に、打ち明け話をされました。

 自分は一人の孫を育てている。両親は津波で亡くなった。孫の兄弟も死んだ。私たちはたった二人きりの家族になった。でも、生きなきゃいけない。死んだ息子夫婦のため、孫たちのため、残った子を立派に育てることを生き甲斐にしている。こんな歳だから、いろいろ病気も出てきて、余命宣告もされた。でもわからない、生きられるまで精一杯生きてみようと思う。

 なぜ私にそんな話を?
 お客さん、なんか儚そうで。生気がないって感じで。おまけに金色堂で泣いてたでしょ、おじさん、心配でね。
 ……おじさん、よくわかるね。
 商売柄ね。……元気でしっかりと生きるんだよ!仙台もがんばってんだ、お客さんもね、負けないで!

このことがなかったら私は人生に失望していただろう。

また夜明けだ。私は生きている。眠れなくてもいい夜になる。
ではまた


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