東大女子が見た青年海外協力隊 【ミクロネシア便り】Vol.6 Week3
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任地・ヤップ島へ
週末は高熱を出し、一人暮らしの心細さを痛感しながらホテルで寝込んでいたのですが、無事に元気を取り戻し、火曜日はついに任地・ヤップ島への移動日。
ヤップへは週に2回しか便が出ていない上に、国内移動にも関わらずグアムを経由(国外に1回出るってこと)しないといけないため、トータル12時間というとてつもなく長い時間をかけて真夜中に到着しました。
ヤップ州は面積10,00km、人口10,000人のたくさんの離島を持つ最西州です。どんな人と生きていくんだろうとドキドキとわくわくと不安を全部抱えて小さな国際空港に降り立ちました。
書けるし読めるし聞けるけど話せない
到着してからの数日は関係各所にご挨拶。州知事、配属先である小学校、教育局、警察、病院、などなど。私の住むヤップ島には今、日本人はほとんどいません。表敬だけでなく、顔をなるべく覚えてもらって、セキュリティを確保できるように、という意味もあるようです。
嘘だと思われるかもしれないんですが、私、英語が全然話せないんですね。
これ本当に日本の英語教育の闇だと思います。東大に入るための英語を超勉強して、なんなら私は某有名塾で数年間英語講師をしていたのですが、Reading・Listening・Writingが全部できても、Speakingだけはできないんですよ。受験に必要ないから。
というわけで、一緒に来てくださったVCさん(ボランティア調整員といって在外支所で協力隊員のお世話をしてくださる職員さん)が流暢に会話するのをニコニコ笑顔で聞きながら、内容は超クリアに理解できるのに相槌に困り果てるという奇妙な数日間を過ごしました。さぞこいつ静かな日本人だなと思われたことでしょう、心配だな…
未定のホームステイ先
ヤップ島はJICA支所のある首都からはかなり離れていることもあり、安全上の理由も含めて、ホームステイが推奨されています。
私も例に漏れず選考段階からホームステイの対象者だったのですが、いざヤップに到着してみると、「ステイ先が未定」とのこと。
ん??私明後日にはホテルチェックアウトの予定だったような…?
協力隊ではJICAがなんでもやってあげるのではなく、あくまで隊員の住居は配属先が探すことになっているようで、学校からなるべく近いステイ先を探そうと小学校側が頑張っているものの難航している様子…
しかしいざ小学校に挨拶に行ってみると、小学校のある先生が私を住まわせてくれるとのこと。お家があってよかった。
無事にチェックアウトしてお引越しできるかと思いきや、その先生曰く、
「部屋にはまだおじさんが住んでる。部屋の鍵はいとこが持っている」
からまだ待って欲しいとのこと、明日引越しだよと言われた日本人的には意味が分からないのですが、そういうものらしいです。
生活力のない実家暮らしの大学生
無事にお家が決まって、小さな街中を巡って生活用品のお買いもの。
ただ私、はじめてのひとりぐらしin Micronesiaなので、何が最初に必要なのか全然わからないんですね。お恥ずかしい話なんですが。
VCさんに連れられてホームセンター的なお店に行って、「部屋に棚がなかったね」「掃除用の洗剤はいらない?」などとアドバイスされるがまま、
「確かに必要だなあ」と思いながらカゴに品を入れていきました。
私は正直グアム空港で没収された命の次に大事な最強アイテム・ゴキジェットを取り戻すことしか考えられませんでした。とほほ。
ご飯が食べられることへの感謝
これを書いている今はと言うと、ステイ先に到着してお掃除をしたり片付けをしたりしていたらあっという間に日が暮れて、初めてVCさんとお別れして新しいお家で最初の夜。
シャワーの水はまじでほんとにちょろちょろしか出ない(これなら水道で頭洗った方が効率的)し、外だし、部屋におっきいトカゲはいるし、ブレーカー落とさないと電気消えないし、色々驚きと慣れないことばかりだけど、
今日はホストマザーが温かい夜ご飯を私にも作ってくれました。
知らないところでご飯を作ってもらえるってとってもありがたい。本当に嬉しかったです。
本当はもっといっぱい聞きたいことも喋りたいこともあったのに、緊張と英語がうまく出てこないのとで、だからこそ抱くもどかしい気持ちばかり。改めて人間的にも大きく成長して違う人間になって帰って来たいと実感しました。
明日は数少ない日本人の方に島内を案内してもらう予定です。また書きます!