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自分の性質から目を反らすと苦しい

1850文字
 
 ここ数十年を鑑みると、日本人の労働観の変化が急激に変わってきているのを感じている。

 端的に言えば、「労働が苦しい」を隠さない様になってきている。

 とても良いことだ。

 あくまで自分自身の意見を言うと、労働は所詮金を稼ぐこと、所詮どこまでいっても他人のビジネスの手伝いであり、もっと言ってしまえば経営者の夢の手伝いでしかない。

 そもそも自分で生きて行くための銭さえどうにか出来れば、または生きていく為の銭さえある程度抑えられれば(それでもインフレで限界はあるが)、「労働が苦しい」、から逃れられる率が高まる。

 しかし世の中を動かしている層は、庶民にそんなことをされてしまっては自分達が富を吸い上げて快適な生活を送れなくなってしまうので、メディアやあらゆる媒体で、「恐怖マーケティング」を仕掛けている。

・老後破綻
・老後貧乏
・キャリアが潰れたら終わり
・フリーターの末路
・貯金が無い人間の末路
・会社員でなければ終わり
・レールから外れたら終わり
・空白期間が長期に渡り出来たら終わり

 まぁこう言って箇条書きにしてみてどれも真実かもしれない。しかしこう言ったネガティブなかたちの、社会の暗黙のなんとやらは、支配層が庶民を永続的に労働奴隷にする為にやっている訳だし、たとえば庶民が生活を支える為の、言ってしまえば薄給のエッセンシャルワーカーなどにつかず、それこそ自由に生きてしまう人間が増えたら搾取出来なくなるので困る訳だ。

 だから一定の枠に嵌めて置いた方が楽なんだよな。管理が楽。で、枠に嵌め込んだ人間がどうなろうが知ったことじゃあない。当たり前のことで、国を運営するのが目的だからだ。

 それで大多数の庶民も、自分の性質である「クソつまらない労働で人生を空費している感」を生きる為、金の為と誤魔化し、けど無意識に自由を抑圧されているストレスに耐えられないから、自由に枠に嵌らず責任を負わず、だけどリスクもそれなりに負って生きている人間に対して、冷たくなるんだよね。

 しかし何歳になっても、自分の性質、自分の本音から目を反らしていると、やはり心がとても苦しいと思う。心が抑圧されているというのは、緩やかに自殺しているのと大差ない。

 聞いたことがある人間は多いと思うが、日本人は不安遺伝子がとても強い民族なので、周りと同じなら安心する。

 が、安心と同時に不安定にもなる。

 「これでいいのか」と

 「このままでいいのか」と

 その気持ちに蓋をしたままだと、ある日、ふと死んだ時に物凄く後悔すると思う。そう感じる間もないほど一瞬で死ねたら幸いだが。

 労働が苦しい、労働に空虚感と虚しさ、人生の空費感を感じている人は、この機会にあらゆる問題を抜きにして、自分がやっぱりどうしたいのかを考えてみるといいと思う。

 最終的に行き着く先は皆同じだ。なら早い方がいいだろう。このノートを書いている自分自身、もっと早くリーマンを辞めて、生き方を変えてみればよかったと感じている。

 もちろん様々な問題はあるだろうし、特に金の不安は尽きないだろう。だから無責任にどうこう言えないが、そのままでいて苦しいと感じているのなら、きっとあなたにとっては何かが間違っているだろう。

 未来は分からないが、傾向的に人間は100年もなかなか生きれないし、著名人を見ていると、60~生きて80ほどで亡くなっている。早ければ40台なかばで亡くなっている人もいる。

 個人個人の終わりは神でもないので分からないが、早期にリタイヤできるほどの一定の金を貯められるほど高収入だったり、実家を利用して経費を抑えられる人間でなければ、生き方と働き方、稼ぎ方を何かしら早いとこ変えないと、死ぬ時に納得して死ねないんじゃないかな。

 ちなみにこのノートを書いている当人は、やはり
・のんびり生きたい
・拘束されたくはない
・無意味に興味のない情熱も持てない労働は、なるべく控えたい
・どこか組織に所属して、そこの組織に合わせて行動を制限されたくない
・自分の性格と合わない環境に行きたくないし、そこで疲弊したくない
・過剰に競争させられたくはない

 と言う、現代社会ではとても生きていけない我儘な本質があるので、社会不適合者の誹りは免れないし、だからこそ雇用労働が苦しいのだと思う。

 そしてこの苦しみや生きづらさは、他人や社会にとっては知ったことではないし、これをきっかけに俺が餓死したところでそれも当たり前だが知ったことではないので、自分で何とかするしかないということだ。

おわり。