LinKAge~凛国後日譚 其の二
二歳程度の時のことを、人はどれくらい覚えているのだろうか。
自分のことを思い返しても、朧気な記憶しかない。私は外方者が凛の国に里を立てたくらいに生まれたらしい。だから放浪していた時のことなど覚えていないし。母様に抱かれていた時のこと、鉄や巽にあやされて遊んだ記憶くらいしかない。
それでも鮮烈に覚えているのは、母様が里に小さな花畑を作っていたことだ。よく私を連れて花の世話をしていた。
「お花はちゃんとお世話をしないとすぐ枯れちゃうの、だから私は毎日ここに来るのよ、いままでは旅をし続けていたからこんな事できなかったのよ、だから、雪、ちゃんとあなたもお世話をしてね」
長に名前をもらった次の日のことだ、母様は数カ月後に亡くなった。山で山菜や薬草を取っている時に山賊に襲われた。
「かかー、かかー?」
娘がよちよちと歩きながら私を探している。頭が重いのか、足が小さいからなのか、恐ろしいくらいに不安定に歩く姿は手を差し伸べずに入られなくなる。
だが、敢えて手を差し伸べることはしない。転んだら強く立ち上がればいい、何度だって転んで何度だって立ち上がる。それが外方者だ。
案の定娘はすぐ転んだ。泣きそうになったが既で堪えた。へえ、やるじゃないか、さすがは薊の子だ。
「かかー!かかどこー?」
「母さんじゃないよ、雪だって言ってるでしょ?」
「かか!かかいたー!」
娘は私を見つけると嬉しそうに抱きついてくる。ついこの前までコロコロ寝ているだけだったのに、今では歩いて、喋って、意思疎通が出来る。人というのはとにかく不思議だ。
あの戦から2年が過ぎた。
ただの反乱、と思われているが、私からしたら、あれは外方者の戦だ。沢山の仲間が失われた。鉄も、巽も、牙も、鷲も、艮もあの城で死んだ。勿論、薊も。全員がこの娘を生かすために鮮烈に戦ったのだ。一人だって忘れるわけがない。
宰相に返り咲いた凌羽と民衆代表として城内の相談役となった風次が世話を焼いてくれて、生き残った私と刃は身分を隠し、街から少し離れたこの場所で生活をしている。魚や獣を取り、野菜や薬草を栽培し、炭を焼き、たまに薬や炭などを売りに街に出る。それで充分生きてこれた。
「困ったことがあれば何でも言え、外方者には返しきれん恩が出来てしまった」
凌羽はそう言ってくれたが、出来る限り自分たちの力で生きていきたいと思った。まあ、それでも私達が気づかないところであの二人は助けてくれているのだろう。それを無下にすることはない。
風次なんかは良く酒や飯を持って遊びに来てくれる。娘のために街で買ったおもちゃなんかも持ってくる。本当にマメなやつだ。
「よお、この子名前は?いい加減お前、とかいうの分かりづらいよ」
「まだ名付けの儀式をしてないから、名前はないんだ」
「その、外方の名付けの儀式って長がやるんだろ?お前が長なんだ、名前つけてやれよ」
「雪はまだその踏ん切りがつかないらしい」
刃が囲炉裏に木をくべながらつぶやく。一緒に住むようになったが相変わらずこいつは無愛想だ。それでも前より笑ったり、他愛もないことを話すようになった。
「うるさいなぁ…」
でも、長の踏ん切りがつかないというのは本当だ。鉄が言っていたと刃は言うが、私は鉄から直接その言葉を聞いていない。もっと言えば、鉄の死体すら見ていない。本当に死んだ気がしないのだ。まだどこかでみんな生きているんじゃないか。そんな甘い考えが頭の隅っこによぎってしまう。
「まあ焦ることはない、名付けは長がその時感じたものが名前となるものだ、その時じゃないんだろ」
「へえ…難しいね、外方者は」
そういう風次は、囲炉裏の炎に照らされて、妙に優しい顔をしていたのを覚えている。
「かか、おはなは?おはなー」
「ああ、はいはい、行こうか」
手を取って二人で歩く、小屋の裏手、少し歩いた先にそれはある。外方者たちの眠る場所。みんな今はここにいる。ただどうしても鉄の遺体だけは見つからなかったので、城内で見つかった鉄のだんびらがそこには突き刺さっている。
「鉄が自分の相棒と言ってたもんだ。巽が取り戻したんだから、連れて帰ろうじゃねえか」
刃が寂しそうに呟き、渾身の力を持って地面に突き立てたその剣の周りに私は花の種を巻いた。何故かはわからない。記憶の彼方にある母様の真似ごとをしたのだろうか。仲間たちが殺風景なところに眠っているのは寂しいと思ったからかもしれない。気まぐれで私は野の花を植え替え、風次が来る時に花の種をねだった。
どうせ花など咲くはずはないと思っていたのに、毎日忘れずに水をやり、雑草を抜いていたらきっちりと季節の花が咲くようになった。鉄のだんびらにも今は草が巻き付いている。あいつらが眠っているから花が咲いたのだろうか。それはわからない。
娘が一生懸命草を抜いている。私が独りでやってるものをここ最近真似するようになってきた。刃は決してここの手入れを手伝わない。
「それはお前の仕事だ、それぞれやるべきことがある、そういうことだ」
そういうとあいつは黙々と街に出て物を売り、風次と共に調べ物をしていた。そんなことを仕出したとき、一度だけそのことを聞いたことがある。
「あんた、何を調べているのさ」
「…里が無くなってから、みんながどこで何をしていたか、さ」
「鷲や巽たちのこと?」
「凌羽に聞いた、あのときオレたちには監視がついていたらしい。まあ、それもあの慈仙の手配だったらしいがな。そいつらも今は解散させられ散り散りだ。そいつらを見つけて、話を聞いている」
「聞いてどうするのさ、それ」
「誰かが覚えていてやらなきゃ、あんまりじゃねえか」
それ以降その夜は刃は一言も喋らなかった。ただ、その気持ちは痛いほどわかった、わかってしまったのだ。だから私は刃が何を調べていても邪魔はしないし。この花畑を世話することにも刃は何も言わない。
「ねーねー!かか!みみず!みみずよー!」
「本当だ、もう春なんだね」
「にょろにょろよー!かかー!」
「…いいかい、私はあんたの母様じゃないの、何度言えばわかるかな」
「なんで?かかはかかよ」
「あんたの本当のお母さんは薊っていうの」
「あ、あざ?」
「薊、めっちゃくちゃ強くて、かっこよくて、私は憧れてたんだ、薊みたいになりたいって」
「つおいひと?」
「そう、誰よりも強くて、戦場でも返り血一つ浴びなかったんだよ、あんたのお母さんは」
「…」
娘は不思議そうな目で私を見ている。
「それで、あなたのお父さんは葵っていうの、この国で一番偉い人」
「えらいひと」
「私達をここで生きていていいって言ってくれた人。優しくて、なんだか少しだけ寂しそうな人だったな…ま、私一回しかあったことないけどね」
遠く空を見る、抜けるような晴天の遥か向こうに太陽が輝いている。こんなにもおだやかで、こんなにも静かで、こんなにも温かい日が、今の私には与えられている。
「ねーねー!かか!またみみずいたよー!」
気づくと娘はよたよたと歩きながら地面をいじくり回している。そんなにミミズに興味があるのか。
「みてー!ねえ!かかー!」
だから私はあなたの母親じゃない、あなたの母は誰よりも強いあの人だ、私は違う、預かっているだけだ。私は。
ブワッ
その時私の後ろから風が吹いた、強いけど優しい風、何かが肩に触れたような気がした。風はまっすぐ娘に向かって吹く。その風は
薊の匂いがした。
涙が頬を伝う。いいの?私はその資格があるの?私はこの子の。
ふとあの戦いのことを思い出す。外方の長の証を私に差し出しながら刃は言ったんだ。
「次の外方の長は雪、お前だ」
あの時、何故か刃の声に被るように鉄の声が聞こえた気がする。そして私はこの二年間、耳に残り続けるその声を聞かないようにしていた気がしている。でも、今もまだ、あの鉄の声は響いている。
「かか?ないてる?」
「…ううん、平気よ」
「ただいま」
振り返ると刃が帰ってきていた。
「ととー!」
「…おい、俺はお前の」
「ほら!ととさま帰ってきたね!お帰りは?」
「ととー!おかえりー!」
「え…雪?」
「いいんだ、この子は薊の子だけど、それ以前に」
そうだよね?みんな。
「私達外方の子だ」
まっすぐに私は刃の目を見る。何も言わずとも伝わるはずだ。だってあんたはあの時、あそこにいたんだから。白蓮様から私がこの子を託されたあの時。
刃は静かに微笑み、一言だけ返した。
「…そうだな」
「よし!」
私は娘に向き直る
「さあ、ここ座って」
「なあに?」
「これは大事なことなの、ちゃんと座って」
私の真剣な空気を感じたのか、娘は花畑にちょこんと座る。
「これより名付けの儀式を行います、私、雪が外方の長として祭祀を努めます。立ち会いは外方が戦士、刃。異存はないですね?」
「…外方が戦士、刃、心して承る」
風が巻くように吹く。
「我ら名前を外方者、法の外に有りて、法を守るもの、東西南北四海の全てに我らはおらず、しかして東西南北四海の全てに我らは生きる。方の外とはすなわち、方を定めぬこと成り、自由に生き、自由に死す」
外方者なら誰でも覚えている呪いの言葉を唱える、刃が持っていた小刀を私に渡す。それで指を切り裂く、滲む血を娘の額に押し当てる。
「だが、信条と盟約のためには己を捨て戦うべし、それがどこであろうと、それが外方者である、今汝は名を与えられ、外方として生きる。構わぬか?」
問いかけられて娘はきょとんとしている、だが
「あい!」
意味はわかってないのだろうが、強く頷いた。
「強くあれ、護りあれ、幸あれ、火よ、風よ、大地よ、水よ、いかなる矢も剣も病魔もこの者を犯すことなかれ。アミリティ・ウンハッタ、アミリティ・ウンハッタ、アミリティ・ウンハッタ…」
静かな花畑で、おそらく最後の外方の名付けの儀式は終わろうとしている。
「長よ、名を、心に浮かぶ名を、この者に」
刃が言う、静かに目を閉じ、瞑想する。心に浮かんだ一文字がこの娘の名になる。強く強く念じる。良き名を、強く生きられる名を。
「どうだい?染めてみたんだ、花の汁を上手いこと調合すればこうなるんだぜ?」
「うわ!かっこいいじゃねえか鷲!俺も真似しようかな…」
「すぐ真似すんなよ!」
「いいなぁ…私もやりたい」
「え?雪もかよ…仕方ねえなぁ…」
「いいじゃん、俺ら年が近いもの同士さ、こう、連帯感と言うか?出していこうぜ」
「うるせえバカウシ!まあ、でも…悪くないかもな」
「あたしもいいの?」
「ああ、よし、教えてやるよ…」
昔のこと、鷲と艮とバカ言って笑っていたあの日のこと。
戦場を舞う薊の紅の衣のこと。
葵様の優しい笑み、その時着ていた真っ青な衣のこと。
ああそうだ、全部が一つになっていく。
「かか?平気?」
声をかけられ目を開けると、娘が心配そうにこっちを覗き込んでいた。手には一輪の花。
「これきれいなのよ、かかにあげるわー!」
私の手に渡されたのは、春を告げる花だった。
「決まった」
静かに刃に伝える。
「今日からあなたにはお名前が出来ました!」
「お名前?あっしの?」
「そうよ、菫、あなたの名前は菫、朱と、碧をつなぐもの。私達の思い出の色」
「すみれ」
「うん、菫!」
日は未だ高く輝いていた。
幕