見出し画像

個人勢Vtuberがプライドを捨てたら幸せになった話。

諸君。私は勘違いしていた。プライドというものは、ただ自分で自分を縛り上げるものだったのだ。行動は全てプライドによって抑制され、負の感情は増幅されるのだ。

え、知ってた? 待ってくれ。まだ行かないでくれ。もう少し聞けば、この言葉の真意が伝わるはずだ。

私は個人勢Vtuberをやっているただの書店員だ。前回の記事で私は「個人勢Vtuberの逆張り」について話した。まだお読みになられていなのなら、合わせて読んで頂きたい。

では、今回は逆張りをやめて、プライドを捨ててわかったことを体験談ベースで語っていこう。

※この記事は特定個人への攻撃的な意図、宗教的、政治的思想を一切含みません。


1.プライドを捨てよう!

これは簡単な話ではなかった。なぜなら私は、今まで見栄と体裁で生きてきたからだ。長男として、一人の男として、人として。そんな風に思いながら己を鎖で縛ったまま生きていた。しかし、ようやくその呪縛から解放される日が来た。

プライドを捨てるために行ったこと。それは「徹底的な研究」と「PDCAサイクル」を回すことだ。

おいおい、たったそれだけか。と思った方もおられるだろう。ここに断言しよう、たったそれだけだ。精神的なアプローチなど必要ないのだ。ただ必要なことを必要なだけやるという行為のみによってそれは達成される。

行動の動機は目的意識である。私は今後やりたいことがたくさんあるのだが、そのためには交友関係を広げることだけでなく、お金も必要だ。そのために、いち早くこの活動で収益が発生するようにしなければならない。

詳しいことは、後々お話ししよう。


2.データを見て、データを捨てよう!

私は約三日かけて他のVtuberがどのようにしてフォロワー数、登録者を増やしているのかを分析した。情報商材として有料販売でもしてみようか(しません)。

Excelのデータを公開したいところであるが、これを外部に出すとライバルを増やす可能性があるので、安易に公開することができないことをご了承頂きたい。ここまで冷たくなったのはプライドを捨てた弊害か。

地道に登録者、フォロワーを伸ばしている個人勢Vtuberが共通して実践していることが以下の通りだ。

  • 「#おはようVtuber」等タグを使って宣伝

  • X(旧Twitter)での集客

  • 配信で少しずつ集客

  • 対象が広いコンテンツ(ゲームなど)の動画配信

『Shorts動画は含まれないのか?』と疑問に思った方もいるだろうが、私が見ている限り、どの活動者であっても、一定の再生数で頭打ちになっていた。だいたい登録者×1.2~1.3くらいの再生数だ。その多くは配信の切り抜きや既存視聴者をターゲットにした動画であり、新規へのアプローチに苦戦していることが読み取れる。Shorts動画でバズを狙うのは難しいことだ。

他者の成功体験をなぞろうとする人間が多いように感じるが、それが愚行であるということは、誰しもが直感していることだろう。

私の好きな本に『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!』というものがある。これは小学校高学年でも読める程度の本でありながら、私が読んでも楽しめるいい本だ。ただ失敗談を掲載するだけでなく、どのような対策・マインドが必要だったのかを一緒に考察できるのも、この本の魅力だ。

エヘン。では、ここからは上の項目について解説しよう。

X(旧Twitter)に関してはわかりやすい。これは新規リスナーの獲得のための模範だ。私はこれを「仲良しごっこNTR作戦」と勝手に呼んでいる。以下にフローを書こう。

「#おはようVtuber」等タグを使うことで、他者リスナーの目に留まる。

「おっ、こいついいやん」となって配信を見る。

他者リスナーを新規ファンとして取り込む。

簡単だ。ではなぜ「仲良しごっこ」とあえて言っているのか。それはVtuber同士の相互フォローと巡回文化にある。

リポストの対価としてリポストをもらう。フォローの対価としてフォローをもらう。これは人の心理を上手く利用している。見返りを求めて何か行動するのは社会的生物の基本設計だ。しかし、自分自身もリポストしていては他者に既存ファンを取られるのでは? という疑問も浮かぶだろう。その通りだ。

そもそも、強者が勝つ設計なのだ。それは総合力の勝負であり、また相性の勝負でもある。モデルの出来であったり、配信の面白さであったり、動画のクオリティであったり、キャラクター営業であったり。

弱肉強食は世界の基本構造だ。アンダーグラウンドの界隈においても標準理論だ。背中を冷たい液体がつうと伝うようなうす気味悪さを覚えるが、当たり前のことなのだろう。

配信での集客は、YouTubeやTwitchなどの配信プラットフォームに生息する野良リスナーを捕まえるためのトラップだ。

これらを実践している中でも、ひと際数字の伸びが早い者たちもいた。俗に「2.5次元Vtuber」と呼ばれる者たちだ。胸や脚を出して飢えた視聴者を釣るというもので、非常に理にかなっている。しかし、これは弱点でもある。ある一定のラインまでは簡単に数字が伸びるが、その後の伸びが期待されない。まさに一長一短である。

みんな胸も尻も揺れてていいなあ。私が揺らせるのは君たちの心だけだってのに。

しかしながら、これは女性Vtuber同士のなんやかんやであって、そもそも男性Vtuberはその土俵に立っていない。


3.男というディスアドバンテージ

女性Vtuberの営業方法はガールズバーやコンセプトカフェの店員に近いと考えていいだろう。キャラクター営業をしているVtuberはその特徴が顕著に出る。そうでない者ももちろんいるのだが、男性リスナーが求めているものはおおよそ、接待に近いものだ。

ざっくりと解説するが、男性が女性Vtuberを推す心理は「マウント」と「庇護」である。これ以上は今後出す記事をお漏らししてしまうことになってしまうので、ここでストップしておこう。

では、男性Vtuberは如何にして視聴者を確保するか。

結論、無理

どう頑張っても無理。そもそもVtuberリスナーの大多数は男性であり、集客するには、まず配信者界隈の上位陣との接点が無ければ、もはや無理だ。しかしそこは大規模なコミュニティを形成しており、閉鎖的な運営をしている。

では女性リスナーの獲得はどうだろうか。当然無理だ。ただでさえ女性リスナーの母数が少ないうえに、A社、C社所属ライバーに独占されている。

では我々男性Vtuberはどのようにしてリスナーを獲得していけばいいのだろうか。大きく分けて2つの方法を考えた。

1.既存のVtuberリスナー以外をターゲットにすること。
2.動画メインで活動すること。

ここで言う「動画」は配信の切り抜きも含むが、私は配信経験が皆無なので、これに関しては効果が期待できない。当面は、配信は集客道具ではなく、既存リスナーに向けたコンテンツになる。

まず、女性をメインターゲットとしている個人勢男性Vtuberは一定のラインまでしか伸びない。明らかな頭打ちがある。しかし、男性Vtuberで男性も楽しめるコンテンツを発信している方は、始めはゆっくりな上昇であるものの、一度火が付くと急激に伸びる傾向が見られた。

では私の場合どうするべきか。具体案を下に記そう。

  • 得意を発信しよう

  • なんとなく形にしよう

  • コンスタントに投稿しよう

具体性の欠片もない。というツッコミはしばし待たれよ。

まず、得意を発信すること。私は言葉を使うことが比較的得意だ。では、私が書くこの記事をYouTube用にチューニングし、それを投稿すれば楽しんでもらえるのではないだろうか。

さらに、私は高校生の時にサウンドクラウドに楽曲を投稿するという陳腐な音楽活動を行っていたこともある。HIP-HOPをメインにしており、ビートはフリートラックを購入し、ラップをして投稿していた。あとは想像の通りだ。

ここで重用になるのが二つ目の、「なんとなく形にする」ことだ。動画編集も楽曲制作もほとんど素人だが、なんとなく形にするということは極めて重要だ。低質なコンテンツを世の中に発信したとて、それは自身の既存のファン以外は喜ばないだろう。

なんとなく形になったクオリティの高い投稿をコンスタントに行うことが重要なのだ。これで活動の方針は決まった。


4.幻影を倒そう!

私はShorts動画で本の紹介をしていたのだが、正直効果は薄かった。たしかに再生回数は回っているのだが、チャンネル登録、リピートに結びつかない。視聴者のほとんどは一期一会だ。毎日ある程度のクオリティの動画を作成し、またこれからの活動でやりたいことをやっていると、遠くないうちに身体を壊すことになる。

これまでに投稿したShorts動画たち

では、これをやめてしまおう。その方が自分にとって得だ。しかし、それは簡単なことではない。

毎日続けたことをすぐにやめることは難しい。自分が作り上げたものを自分から壊すことは、自らのプライドもこれまでの努力も水の泡だ。想像してほしい。うん十万円と課金したゲームのデータを消す。そんな感覚だ。作り上げたそれは、自分自身の幻影だ。

しかし、前回の記事の通り、私はプライドを捨てたのだ。これも同様に捨て去ってしまおう。

この話の流れだと、私が冷酷な人間になったように聞こえるだろうが、決してそうではない。あくまで、目的のための必要犠牲であり、また研究材料となったのだ。それで充分ではないか。

さて、私はなぜこのように割り切れるようになったのか。それはプライドを捨てたことによってもたらされた、いくつかの作用によって思考が形成されている。


5.プライドを捨てたら初心に帰った

まず一つ目にお金だ。運用していた資産を少しずつ切り崩すことにした。かなり利益率は良かったのだが、明日のことよりも今日何をしたいのかを考えるようになった。

二つ目に読書量が増えた。昨年とは比べ物にならないほどインプットしている。知識が全て役に立つとは思えないが、ブログや動画のネタになる。それで充分だ。

三つ目に交友関係だ。元々人に対して物怖じするような人間ではなく、かなり特異なエピソードも複数持ち合わせているのだが(記事や動画にします)、X上でもいい傾向が生まれ始めた。

複数人の活動者とDMで会話しているのだが、彼らの多くは「ポジティブ」であった。私は比較的ネガティブで且つ完璧主義者であるが故に、彼らのその明るさを羨ましく思う。

そして最後に、数字に固執しなくなった。数字はあくまでデータだ。0と1の集まりにすぎない。チャンネル登録者数の増減や、フォロワー数の増減は一喜一憂するほどのものではない。誰かに対する嫉妬や、憎悪の感情が消え失せた。

これには明確に原因があった。私がまだ負の感情を拭えずにいた時に、数字は重要なことでなく、中身が重要なのだと教えてくれた人がいたのだ。私はまず、ここで感謝を述べなければならない。

まだ数字に囚われていたときの私は、「今日までに何人増やす」「視聴回数を増やすために」など、とにかく数字とにらめっこをしていた。それが苦痛だった。まさに「承認格差」である。

承認格差とは、他者からどのくらい認められているかの格差である。「学歴コンプレックス」という言葉はこの2つの概念が大きく関わっている。

お互いがお互いを見下し合うコミュニティに属すると、エコーチェンバーによってその思想は増幅され固定化される。私は現在、過去の自分との乖離を自覚している。知能格差と承認格差については今後記事にしよう。

しかし、人間というのはたった一人のたった一言で気持ちが変わるものだ。私は、「面白いものなら結果は付いてくる。あとは継続だ」と切り替えることができた。そして私は思い出したのだ。私がなぜVtuberになったのか、何をしたかったのか。

私は面白いことが好きだ。面白いことを作ることはもっと好きだ。そのことに気づいたのは、高校生の時だろうか。

話は小学三年生に遡る。当時の私は「落ち着きのない子ども」という評価をされることが多かった。しかし、それはあくまで一面的な見方である。私は賢くもあった。如何に賢かったかというエピソードは、常に誰かを不快にさせる可能性を孕んでいるので、ここでは割愛させていただく。簡単に説明すれば、「出る杭は打たれる」状態であった。

ある日、「オリジナルの小説を書く」という国語の授業が行われることになった。私は本を読むことが好きだったが、実際に物語を執筆したことはなかった。私が好きなあの世界を自分が書いたらどうなるのだろうという好奇心と、魅力的で蠱惑的な文字を扱えるという興奮で、心臓がエンジンのように鳴っていたことを覚えている。

先生はまず、小説の書き方を教えた。アイディアをカードに書き出し、それを組み合わせて骨組みを作る。そこからストーリーを考え、そして執筆する。しかし私は、その手順を踏まなかった。ふっと目を閉じれば、そこに世界があった。

そこは龍によって支配された世界。人間は常にその巨大で圧倒的な存在に恐怖し、ただ彼らの逆鱗に触れぬようひっそりと暮らしていた。しかし、人間には知恵があった。人間には道具があった。彼らは「龍殺し」を計画した。技術と叡智を終結させ、人類は初めて龍を殺した。それから、龍の討伐が始まった。やがて龍は数を大きく減らし、人間は龍に怯えることは無くなった。しかし、問題はその先にあった。龍の鱗が高値で取引されるようになり、権威を得た人間が、他の人間の支配を始めた。これが都市国家の興りである。
しかし、共通の敵を失った人類は、社会の遺伝子に組み込まれた「敵を作る」ことを、誰に言われたわけでもなく始めた。それは時に国家であり、それは時に罪のない動植物であり、それは時に人間であった。彼らは龍の鱗をめぐって争いはじめ、龍を殺すための道具は人を殺すことに最適化されていった。やがて人類は自滅し、世界は再び龍によって支配された。老いた龍が、私に教えてくれた。
彼は話すのが上手だった。彼が息を吐けばまるで火花が散るようで、目の前で戦いが起こっていると錯覚させた。興奮と憤怒と慈愛と憎悪がぐちゃぐちゃに引っ掻き回されるような鼓動の発露は、原稿用紙が10枚では足りなかった。粗削りな、決して豊富と言えるわけではない語彙で、彼の言葉を必死に紡いだ。

授業は合計して三時限行われた。私は執筆という行為に魅せられ、家に持ち帰っては書いて、消して、リライトした。

授業が終わったのち、全員の作品を全員が自由に読めるように展示された。私の物語は、かつては世界に恐れられていた老いた龍が過去を懐かしむように壮大な歴史について語る、とういう内容だった。その言葉に、物語に、皆が魅せられているようだった。先生も絶賛していた。「こんなに上手に書ける子は初めて」と言っていたことを今でも鮮明に覚えている。それは過剰に評価しているのではないか、と疑いもした。しかし、悪い気分ではなかった。

それから長い間小説を書いてはいなかったが、中学生のときにまた、同じような授業が行われた。そこでは、『盆土産』という三浦哲郎先生によって執筆された小説の続きを書くというものだった。

またも、絶賛された。学年全員に私が書いた物語が配布され、お手本として扱われることになった。

しかし、文字を書くという行為だけでは飽き足りなかった。もっとたくさんのものを作りたかった。だから私はプログラミングを始めたし、ラップを歌ったし、粘土細工を作ったし、風景画を描いた。

どれも中途半端に終わらせてしまったが、そのどれもが「コンテンツ」であった。私は、何かを作ることが好きだった。今や私は、コンテンツクリエイターという肩書きだ。

私のVtuberとしての目的は二つ。ひとつは、私が愛してやまない「本」の良さを広めること。そして、私が作るコンテンツを誰かに楽しんでもらうことだ。そのための手段としてVtuberになったのだ。私はまだ若い。これからの人生で、作りたいコンテンツが山のようにある。その全てを、私はやるのだ。


まとめとして、以下にプラトンの言葉を引用しよう。

自分に打ち勝つことが、もっとも偉大な勝利である。

プラトン

前回から引き続き、最後まで読んでくれてありがとう。あなたに最大限の感謝と祝福を。そして、これからもどうぞよろしく。

いいなと思ったら応援しよう!