不便っていうけど、見方を変えたら…
今朝、登園すると嬉しいメッセージを保護者さんからいただきました。
「うちの子はあまり人の名前を発しないのですが、Kawaz先生の名前を急に呼び出しました。好きなの?と聞いたら“うん“と答えていました」と。
こう言うメッセージをいただくたびに、保育士って素敵な職業だと思うし、子どもや保護者と信頼関係を少しずつ構築できているのかなと思います。
さて、このメッセージは手紙でいただいたわけでもなく、口頭で伝えていただいたわけでもなく“コドモン“というアプリ内にある連絡帳機能を用いて打ち込まれたメッセージでした。
保育者の業務を減らすことを目的の一つとし、数年前からコドモンなどのアプリが保育業界内で取り入れられています。ICT化というやつです。
手書きで行っていた日案、週案、月案、児童票。全て紙ベースでした。これら全てをデータで保存し、手書きではなく打ち込みにすることで業務負担を軽減しています。
前園、そして今の園でもこのコドモンは取り入れており、私もその恩恵を受けている1人です。
そしてこれは保護者側にもたくさんのメリットがあり、園からの連絡も出欠席の連絡も全てアプリ一つで済ませられるように。冒頭の日常のひとコマの様子もスマホでパパッと打って送れるわけです。そこにも手書きという文化はなくなりつつあります。
でも、手書きの文化を知っている世代からすると、iPadに表示された無機質な文字って、思っている以上に冷たく感じる時があります。特に否定的な内容だったり、クレームだったりする内容は。
これが手書きだと、もちろん内容によってはしんどい場合もありますが、その文字に人や背景、思いが見えるというか。この先も顔を合わせる以上、腹わた煮え繰り返るくらい怒っているけれど、言葉を選ぼうとする。
これがパパッと打てる現代、伝える相手が見えているのかな…と思うことがあります。ただ面と向かってでは言えないという保護者にとっては楽だという場合もあるかもしれないけれど。
保育は結局、人と人です。面と向かい合うものです。それは保育者:子どもでもあるし、保育者:保護者も同じです。これはコロナ禍で痛いほど思い知らされました。
何もか手軽に、楽にとしてきた結果、色々な不便を取り除けたと思います。けれど保育において必要な不便はあるし、あえて取り除かないという選択肢があってもいいというのが私の考えです。その“必要な不便“を園の個性に出来たとしたら、それは他園と差別化を図ることのできる“強み“になるのではないかと思っています。