芋ロックツケ払い
花が枯れていくみたいに
火に炙られて
少しづつ縮んでゆく烏賊を見ていた
黒の小さな斑点のある
白い肉から抜け滴る水分が
舞台中自分からぽたぽた落ちる汗が
床に垂れていく景色と被って
俺みたいだなこいつ
とふと思った。
舞台上の自分も
照明や熱気に炙られているのでしょうか。
視界の左端に映る大将の
腕は細身だけど
ごつごつとしていて
象のように分厚い手に視線が移って
レタスを受けに
赤い弁当箱に詰められている
ぶつ切りのアボガドと鶏肉を
つまみ食いしたい衝動に駆られたのですが
せっかくの健康的おかずなので
それは駄目だと自制
さすがにその程度の遠慮は
自分にあったんだなぁと。
正直心の中では
食べる?の言葉待ちだったので
自分は食欲の権化。
三大欲求には忠実なのでしょう。
アボガド好きだし、俺。
良く行く近所の居酒屋。
裏には大将の趣味の
アカハライモリが居たり
カウンターに淡水魚や熱帯魚
あとスッポンさんが居る。
さん付けなのは貫禄があるからと
彼の目は綺麗で
尚且つこちらをじっと見据えてくるので
畏怖の念を込めて。
僕より経験豊富なんじゃないでしょうか。
そんな顔をしている。
人の料理する姿を
主に手を見るのが好きなので
見ていた午後10時。
手持ちは何もない
お金もないしスマホも無い
要は手ぶらで居酒屋に居座っていた。
元々はただの散歩だった。
毎朝散歩はしているけど
春雷も過ぎて
ちょうど風の湿度も上がり
温い、撫でるような
肌を這うような
そんな丁度良い空気だったし
何となく、本当に何となく
寝る前に散歩するかぁよし行こう
と衝動的に夜に紛れたわけですが
考えたい事や
整理したい事柄は常で
散歩しながら解消しようと
自問自答していたら
なんだかんだまあまあ歩いて
ここまで来ていたんですよ。
日中と違って
夜は音が少ないので
自分の雪駄の打音が
からんからんと
だだっ広い夜道に反響していて
自分以外の人間が
今この世に本当に居るんだろうかね
とかふと思った。
2台くらい車が通ったので
そりゃ居るかぁ、と
居酒屋は今日は灯っていたので
この間は空いてなかったし
入るか
大将元気かな
と思いつつ
大将〜こんばんわ〜と言いつつ入ると
普通にお客さんがまあまあ居て
ちょっと気まずかったわけですが
大将がご飯作るのを眺めるつもりが
カウンタは全部埋まっていて見れないので
テーブル席の畳に座って
遠目にスッポンさんを眺めていた。
貫禄あるね。
今日はラフだねぇ格好、と一言。
本当は服すら着たくないですよ。
と言うと
流石にそれはやめときないと
大将は焼きそばを作りながら笑っていた。
忙しそうだし帰るかと思っていたけど
カウンター席の料理を見ると
ほぼほぼ呑みの終盤だった様だし
焼きそばはお持ち帰り用だったみたいで
それを渡すとカウンター席が空いた。
すかさずそこに移動するわけですが。
大将に「皿、よけといて」と言われて
皿を左端に寄せる。
テーブル席の料理を
作り始める大将の作業をぼおっと眺める。
火が揺れる。
鉄鍋が音を立てる。
油が飛ぶ。
野菜がしなる。
手際がいいなぁと感心しながら
途中「熱ぃ〜」と言いつつ
いちごミルクを飲んでいる大将を見て
可愛いもん飲んでんなぁと思い少し笑うと
「貰いもんよ、貰いもん」と
大将がニヤリと笑った。
なんでわかったんだ。
煤けた木棚
油焦げた調理器具
年季の入った天井と壁
こちらを見据えるスッポンさん。
じっと見返して見つめると
ふいとよそ向いたので
ちょっと勝った気になった。
それから水が新しくなったらしい
横長い金魚水槽を眺めていた。
この間より水槽と水が綺麗になっていたので
掃除したのでしょう。
「これ、スパイは緑でしょ」と
大将がいきなり画面を指さした。
ああ、テレビのと思って
「なんでそう思ったんですか」
と聞くと
「最初カードを見てニヤついてた」
とビールグラスを片している大将に
「よく見てますねぇ流石」
と賞賛。
大将がへっへと笑い
「さぁなん作るかなぁ」と
ガサガサ冷蔵庫を掘っていたので
金魚水槽をまた眺めた。
琉金、出目金、和金。
それにドジョウのアルビノ種。
ぽつぽつと白点病の子が居た。
「大将、白点ありますよこの子達」
「ああ〜やっぱりまだダメか。
塩足すかなぁ」
と。
浸透圧の問題で、白点病には塩が効く。
だっけか。
水草装飾水槽にハマる前は
単純に生体だけ育てていたので
塩をよく使っていたのを思い出した。
また金魚を眺める。
1匹、赤白ベースの体に
尾の先が藍染みたいに少し黒い子。
さっきからこの子が気になる。
端的に言うとボロボロだったけど
一番綺麗だと思った。
時々強気な個体につつかれていた。
泳ぎも下手で
目が大きいくて
愛嬌があって
危なっかしくて
煌びやかでは無いけど
素朴で綺麗で
慌てふためく様で
おろおろと必死に生きていて
被虐的で
可愛いなと思った。
その姿がふと
成人したての頃の思い出と重なって
無駄に口角が歪んだ。
自分に対して鼻で笑ったのですが。
結局俺はこういう個体が
好きなんでしょう
今も変わらず。
そんな個体が
どんどん綺麗に
強く変化する姿が
見たいんでしょうね。
そうしているとテーブル席の
大将の知り合いっぽいお客さんも帰り
店内は大将と自分の2人になった。
水槽の出目金を眺める。
「喧嘩でもしたかい」
といつの間にか
アボガドを剥き始めている大将に
声をかけられた。
「全く。悩みも特になく、です」
「へっへっ。そうかい。みんなよく
喧嘩した日はウチに来るよ」
恐るべし。
「ただの散歩してたら、ここまで来て
空いてたから入りましたよ
この間は空いてなかったですし」
「あ〜この間はね
体調悪くて寝込んでた」
「ゆっくり休んでくださいよ」
「そうはいかんよ。
というか休めるなら休みたい」
寂しそうに笑う人だなぁ
と素直に思った。
「片付けと皿洗いしますよ」
「よかよか、座っときない
今日は何も食べんのかい。なん呑むね」
「それが
まさかここまで歩くと思ってなく
尚且つ空いてるとも知らなかったので
財布もスマホもありませんのです
というわけで駄弁りに来ました
あと大将がご飯作るのを見に来ました
料理のお勉強」
と横開きの万歳をする。
「そうね、じゃあ芋ロックでいいかね」
「いや、今度ちゃんと来ますよ」
「よかよ」
「じゃあ大将、ツケ払いで」
「ウチにツケ払いは無いけどねえ」
「人生初のツケ払い
体験させてくださいよー」
「しゃあないねぇ」
と、いつも頼んでいるので
覚えられていたのか
芋ロックが目の前に来た
いつも通り並々である。
こんな形でテレビの中で見た事のある
大将〜ツケ払いで〜
を人生初体験。
面白い。
大将はアボガドを他所に
鶏肉の角切りに
多分片栗粉を眩して
揚げ焼きしだした。
「……オリーブ?」
「そう、オリーブオイル」
「健康的ですね。何故」
「母ちゃんの料理て」
「ほう。なるほど。
晩御飯?」
「いや、弁当」
「弁当」
「毎日母親にな、お弁当作るんよ
せやないと食べんかんな」
「素敵な事をしてるんですね毎日
お母様幸せでは」
「もう102よ
そんくらいしてやらんとな」
「102!お元気ですね。
しっかり食べるんですねしかも」
「1日で小分けして
食べよるんやないかな?」
「なるほど。
それで柔らかいものばかりで
栄養価高いものばかりだったんですね」
アボガド、小松菜、
鶏ももの素揚げを
タレで和えて溶き片栗粉を入れて
柔らかくしたもの
レタスを仕切り
カンパチの焼き
牛すじ煮込み
ご飯には明太子。
手際よく大将は作り
「なんかあと1品欲しいなぁ」
と冷蔵庫をまた掘り出す。
親孝行だな、と。
聞くところによると
2年前から毎日作っているそうで。
作った弁当は毎回写真に収ていた。
毎日考えられていた。
お母様の身体の事を
考えられていた。
そんな弁当ばかりだった。
果たして自分はそんな事が
同じようにできるのだろうか
とふと思った。
芋ロックはなくなった。
美味しかった。
烏賊にするかぁ柔らかいし
と大将は烏賊を取り出して
こっちは使いたくねぇけどなぁ
仕方ねぇなぁと
網焼きコンロに火をつけて
網を置いて
大将は笑顔のまま
網の上に
烏賊を置いた。
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