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問う。希う。


「せんせい、ぼくんちの冷蔵庫
お菓子がいっぱい
僕が入れた、固めた」

『固めた。冷蔵庫?』

「あ、冷凍庫」

 という会話が
本日の午後6時。

僕の目を見て
急に言い出した意味はわからない

独特な子ではあるけど
良くも悪くも純粋な子。

『気持ちはわかります
先生も昔、ありとあらゆるお菓子を
とりあえず1回凍らせて食べる事に
はまっていました。かばやきさんとか。』

自分でも
なんの意味があったのか分からないけど
とりあえず試したかったんだろうな、と

「おいしいですよね!」

『はい、とても。
ところで、なんで凍るんですかね?』

「え……??
それは冷凍庫だからですよ!」

『何故、冷凍庫に入れると
凍るんですか』

「え…………
寒い……から?」

『寒い、とは』

「え…………マイナス……?
マイナスだから凍るんです!」

『マイナス、とは』

「え…………
え……温度!温度!あついとかさむいとか!」

『温度って、なんなんでしょう』

「え〜……え……
せんせい小学生のぼくには
わかりません」

『大人でもわからない人は居るから
小学生だからわからない
ということは無いですよ。
小学生でも知っている人は
多分居るかも』

「おおお……。
おうちかえって聞いてきます!
お父さんとお母さんに!」

ごめん、この子のご両親。
帰ったら聞かれるだろうけど
真摯に向き合ってください。

『ところで
凍る理由がわからない冷凍庫
当たり前に使ってますけど
どう思います?』

「え、怖い」

『なるほど。怖いんですね』

その感想
正しいと思う。
世の中理由も原理もわからず
利用しているものばかりで

時折、
そういうものに
意味もなく怖くなるので
科学者の様な、先人達は
積み上げてきたんだろうな、と。

「先生またこんど、さよなら」

と、彼は「温度ってなんだぁ〜」
っと頭を抱えながら帰って行き
周りの子に「何言ってんの」
と笑われていたけど
小学三年年でそこまで真剣に
考えてくれたのは
正直嬉しかったわけですが。

こちらからの的確な問い、で
子供の視点が増えて
視野が広がるのではないか、と
ここ最近思うわけで。

疑問を持つ
という行為はどこまでが正しいのか。

疑うことは悪い事
嘘をつくのは悪い事

そう教えられる子供が大半。

信じる
という行為は
相手のまだ見ぬ虚像を
過去の出来事から作り上げて
その虚像を自分の中の事実として
物事を進める行為だと
個人的には思うんですけどね。

裏切られた

自分が作りあげた虚像通りに
相手が動かなかった時に
発生するのだし。

信じるより虚が先なんですか。

実物の存在証明に
虚数が必要、みたいな。

無い

有る
の関係って面白いですよね。

シュレディンガーの猫
ここでも猫。 

猫の被害に気をつけよう
の看板の下に猫がいて
その上にも猫がいて
少し走ったら猫がいるのが
帰りの景色。

希うのも
多分同じ。

どうでも良いことだけど
写真の鳩
1番右側
強そうじゃないですか。



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