客観的価値と主観的価値
先日、友人からの紹介で「リペア家具デザイナー」の須藤さんとお会いした。
「リペア家具?デザイナー?面白そう!」ということで、直接お会いし、短い時間だったがお話することが出来た。
須藤さんの仕事は一言で表しにくいのですが、僕なりの解釈では
「(これまで市場で値付けがされてこなかった)主観的な価値」を仕事にされている方だなと感じ、とっても興味をそそられました。
例えば、ある家族に、おばあちゃんがいるとします。そのおばあちゃんには若いころから大切にしてきた、桐タンスがあります。ある日、ばあちゃんが引っ越しするだったり、別の理由で、その大切にしてきたタンスを手放さなければならないとき、皆さんだったら、そのタンス、どうしますか?見た目は年季が入っていて、まだまだ使える。家族の中であれば、そのタンスがどう使われてきて、ばあちゃんにとってどういう存在だったのかが感じることができます。なんか切ない気持ちになりますね。。。
もし、これをヤフオクやメルカリ、中古家具屋さんに売ってしまったら、この家族内だけで共有されている思い出、年と共に育ってきた想いみたいなものは、全く評価されないでしょう。客観的な市場価格を基に、機械的に値段が決められてしまいます。
須藤さんは、市場価格といった客観的な指標ではなく、もともとその家具を持っていた本人やその家族だけが感じ取れる主観的な価値に焦点を当てています。
例えば、実際に家具をリペアするときは、仕事の8割は持ち主やこれから渡る人との対話なんだそうです。この方の根底には何があるのか。何を大切にしているのか。。。ひたすらに聴いて、聴いて、聴いて、そして形にしていくのです。
この話伺ったとき、ぜひ私からもお願いしたい!と衝動的に思いました。私の名古屋の実家には、ばあちゃんがいて、同じように大切にしている家具があります。ただそれを自分が使おうと思うと、大きさだったり、デザイン面で使いにくさを感じる。それでもばあちゃんが大切にしてきたものだから、捨てたくない。だったら、リペアしてもらって、デザインは少しかっこよくしてもらった上で使い続けたい。皆さんにもそういった気持ち、ありませんか?
私はベトナムに住んでそろそろ10年。ここベトナムは、基本的に客観的な価値が大半を占める世界です。「新しくて、有名で、誰もが欲しい」モノ・コトが売れたりする。日本もかつてそういう時代があったのだと思います。
翻って日本。そういう時代を一周して曲がり角に差し掛かっています。その中で、須藤さんの仕事は、今の日本の経済状況だったり、価値観を体現する仕事だと感じる。経済2週目ビジネス?とも言えるのかな。
そして、何よりこの活動をビジネスとしてしっかりと成立させている点も素晴らしいです。実際に、新品で同じものを購入するときよりも高くなることもあるそうです。それでも、お客さんは支払ってくれる。なぜなら世界に一つとない、唯一無二なものだから。
そんな須藤さんがベトナムに来たのは、単純に仕事に疲れてリフレッシュしたかった!とのことでしたが(笑)、ベトナム人の余裕がある方なら購入したい人いるんじゃないかとも思います。
須藤さんがいらっしゃる山形には、質のよい木がたくさんあるのですが、使い道の大半が紙やティッシュペーパーになってしまう。そうすると大手メーカーに安く買われてしまっているとのことでした。
であれば、Made in Japanの木を使って、日本の家具職人がその人のための一点モノを作ってくれる(ただし、値段はそれなりにする)というサービスいいんじゃないかと、最後はほくそ笑んで終わった次第です(笑)
もとい、実家に眠っている家具をお持ちの方はぜひご検討ください。(注文多数ですぐには着手できないとのことですが。。さすが!)。
つないでくれたO合さん、いつもありがとうございます!須藤さん、いつかベトナムでも仕事しましょう!