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働くことに対する自惚れ

おはようございます。文学サークル「ペンシルビバップ」の川和真之です。

先日サークル代表と、お互い読み終えた芥川賞候補5作品について語り合っていたのですが、そうなのかと気付かされることがありました。

候補の中に竹中優子『ダンス』と言う作品があります。一緒に働く女性2人を軸に展開するお話しで、プライベートなことで仕事を休みがちな先輩と、それをフォローする主人公がでてきます。僕はこの本を読んでいて、「主人公ちゃんと仕事しろよってイライラしゃうんだよね」とサークル代表に言いました。

「え? 休みがちな先輩にじゃなくて?」

「だって、嫌々仕事こなしてるだけじゃないですか」

「厳しすぎません? 笑。主人公はちゃんと仕事してるのに……」

こんなやりとりをしたのですが、なるほど、僕は主人公にはイライラしますが、仕事を休みがちな先輩にはイライラしません。これはかなり、働くことに対して歪みがあるのだろうなぁと思いました。

僕にとって仕事は、もちろんかったるいし、お金のためではあるのですが、人よりも秀でていると浸れるものです。分かりやすく言うと、すごい! って言ってもらいやすい分野、気持ちよくなれる活動なんですね。うーん。欲にまみれている!

ただ、そんなことには最初は気付きませんから、20代はゴリゴリと仕事に邁進していました。飲み会もお仕事とすれば、平均帰宅時間は24時まわってたんじゃないですかね。名実ともにほぼ仕事している感じです。その時間で多くのことを学びました。どうだZ世代、我々の仕事の仕方はこれだ! みたいな。

ダラダラ仕事していたとか、無駄のことだらけだったというよりは、僕の所属していた部門はうん十年黒字で、最も海外に裾野を広げつつある部門だったので、必要な仕事に対して人員が足りてなかったんですね。だから忙しかった。なんとか持ち堪えてくれと言われていました。国内社員と海外店社員の数が拮抗するくらいに、どんどん海外に人が出ていってしまうなか、国内は国内で、少人数で大量の仕事を回しながら、海外に波及する仕事を見つけていく。周りの人は耐えきれずにメンタルになっちゃう人が多かったです。片手で数えきれない。でも僕は大丈夫でした。

タフさの素養は学生時代からありました。だからこの会社に採用されたのでしょう。大学時代から毎日家に帰るのは24時回ってました。そこからレポートやって朝6時に起きて学校いってたのだから若さゆえって感じです。当時は理系なので相当量の課題がありました。そんななか、遠く離れた文系キャンパスにあるゴリゴリ部活動に参加していました。アルバイトも入れるとOFFは長期休みのみ、OFFとは数ヶ月ごとにやってくるものでした。

教員になってからも、仕事の仕方は最初の赴任地で身につくという通り、ほぼ同じような働き方だった気がします。とはいえ、仕事はやればやるほど速くなっていきます。だからやれる量は日を追うごとに増えていって、ゆとりが生まれてきました。

そういう意味では、最初はがむしゃらですが、だんだん休めるようにはなりました。いまの仕事はもう9年目ですからね。昨年は有休20日間使い切りました。

どうですか? なんか自惚れてませんか? 俺はすごい! 見てみて! みたいな。歪みだなぁと思います。こんな感じで生きてきたので、仕事は一生懸命、全力でするものだ。という価値観が完全に埋め込まれています。

一方で、なにか配慮要因のある人に対しては、それを求めようとは思いません。『ダンス』における先輩は、配慮に値する、いろいろと大変な時期、仕事が手につかないのは当然です。落ち着くまでは仕方ないのだからフォローしてあげよう、となります。

なので、フォローするのがだるいと言ってる主人公にイライラするのです。黙ってフォローしろよ、そもそも、あんたはもっとできるだろうが、と。

純文学を読んでいると、今回もそうでしたが、なよなよ、している主人公が実に多いと感じます。もっとシャキッとしろよ、タフに生きろよ、と。嫌でもその気持ちが浮かんできます。わかるなぁ、という共感よりも、なんなのかね、みたいな非難する気持ちです。

完全に強者側からの視点ですね。たまたま、恵まれているに過ぎないのに、それに気づくことのできない、マス層側からの視点。それが僕にはあります。こんなんで純文学なんて書けるのかね。しょっちゅう思います。

しかし、この自惚れとついに、決別というか、お別れしなければならない日が近づいている気がします。そう、先週子どもが産まれたからです(ぱちぱち)。

結婚して子どもが産まれたとなると、当然、仕事をセーブしなくてはなりません。周りの人にも迷惑をたくさんかけてしまいます。というか、絶賛いま迷惑をかけまくっています。絶対的強者側だった立場から、人に迷惑をかけないと仕事のできない弱い立場となりました。自惚れているわけにはいかない環境に、ようやくなったのです。

しかし心がこう叫びます。

こなしてて人生なにが楽しいのか。

これまで仕事をしながら頭をよぎった、気に入っている言葉です。仕事をセーブすると、こなし始めるのですね。そしてそれは「つまらない」に直結します。これからこの仕事の歪みは、自惚れは、是正されていって、ある意味では正常な、また、ある意味ではつまらない人間になっていくのでしょうか。

仕事をこなすのは、やっぱりイヤだなぁ。

長くなってしまいました。最後までお読みいただきありがとうございます。

今日も負けない心でいきましょう!

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