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効率化への誤解を正す。
効率化に頭を悩ませる時にわかっていないこととは、すなわち効率化とは何を目的にするかということである。
効率化という言葉の意味はもちろん魔法ではない。けれど私達はそれをどこかそのように捉えて、結果として掴みきれないことが多々ある。すなわち、それは無限の力を秘めた便利な道具ではないのに、あたかも効率化が、今の不都合をすべて解決してくれるかのように感じているということである。
実際のところ、人間とは非常に無駄の多い生き物だ。だからひとたび「効率化」に舵を切れば、思うよりも多くの何かをどんどんと良い方向へ持っていくことができるだろう。
しかしそんな無駄だらけの私達といえども、それはすぐに枯渇する。向けるべき対象のいなくなった効率化は宙に浮いて、何もすることなくただそこにあるだけだ。
そうしてなんにもならなくなった効率化は、むしろ無駄を生み出すきっかけになる。まるで今まで変えてきた無駄を吐き出すように、それは傍若無人に振る舞い、私達のさらなる効率化を邪魔する。だから私達は終わりない。あくなき効率化の旅へと急ぐのだ。
ただ1つ。効率化がもたらしてくれる価値というのはそれではない。つまり効率化とは私達の目の前から無駄をなくしてくれるものではなく、単に私達に無駄を減らすすべを与えてくれるものだ。
効率化とはなくすものではなく減らすもの。しかもそれは100%の力を使ってそうしてくれるものではなく、ある程度は頑張ってくれるけれど、きっと完璧とは言えないものである。
私達は効率化という言葉の響きに騙されて、過度な期待をしてしまっている。そしてそのせいで、私達は、心地よい生活のためにしなければならないことを忘れてしまう。
それは私達自身が動くことである。効率化という操作を経た物事は、従来よりも必ず簡単で単純になっているはずた。それに手を付けないでさらなる効率化を求めるのは手段と目的を取り違えてしまっている。
効率化。それは完全に任せることではなく、行動のための補助具である。正解を提示してくれるものではなく、ヒントをくれるものである。
効率化に頭を悩ませている時に覚えておきたいのは、こういった効率化の真の姿と、私達自身の心構えである。
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