ネットの広告を邪魔に思う
ゲームをしていると。
ネット上で小説やブログやマンガを読んでいると。
サイトで動画や音楽を視聴していると。
そこにはかならず、アレが出てくる。
私たちが1日に必ず1度は目にするもの。
それが、広告である。
とにかく、なにか別の娯楽であったり、情報を調べている時などの広告は邪魔に感じる。
近頃は物理的に割り込んでくるような広告はアダルトサイトくらいでしか見なくなった。
だがそれでも、ページの下部とか、いいところまでゲームを進められた直後とか、YouTubeを流し見している時とかに、広告は頼まれてもいないのに出現する。
そしてその度にアドブロックを入れようとして、なんだか難しくてやめる。
どうして、広告は邪魔なのだろうか?
それはオススメ商品を教えてくれる親切なヤツなはずなのに。
多分、それは、広告に血が通っていないからである。
つまり、リスティングだとかネイティブだとかアフィリエイトだとか色々な種類がある中で……結局、広告はいつも汎用的な形でしか作られていないからだ。
その広告コンテンツの内容が、出現する場所に合わせて変化することはない。
広告は常に一定だ。
伝えたいことを、伝えたいまま、伝えたいだけ出してくる。
それが広告の使命である。それが、存在意義である。
だから、私たちがなにかコンテンツに熱中しているとき、その体験を全く無視して、汎用的に、機械的にやってくる広告を邪魔だと思うのである。
広告は私たちの活動を見ていない。
もちろん、ネット上での検索履歴とか、閲覧履歴とかを参考にして「なにを出すか」は決める。
でも、「どのように出すか」においては柔軟性がない。いつも同じだ。
そのために、私たちは広告に、私たちの活動を邪魔されたように感じるのである。
出現する広告とは対話できそうにない。
インターネットが発達してしばらく、今度はそれを閲覧するデバイスが小型化・個人化して、更に月日が経っている。
そのような中で、私たちはこのインターネットを、もはやごく個人的な体験をする場所として、すっかり認識するようになった。
そんなところに度々貼り出される「汎用的」な広告コンテンツは……どうしても邪魔にしか思えない。
それでも、広告のあり方はまだまだ変化し続けてはいる(リワード型など)。
その先に、もっと私たちの体験に細かく寄り添った、押し付けがましくない、邪魔に思わなくなるようなやり方が、見つけ出されるのかもしれない。
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