主人公に「成る」のではない、「慣れる」のだ
あたかも、初めから決まっているもののように思える「主人公」という属性。このテの使命を帯びたキャラクターは特殊である。
それは他のあらゆるキャラクターの人生を背負い、世界の命運を左右し、あげく読み手が物語世界に馴染むための案内役でもある。
だから、そんな主人公は初めから作られるものなのだと、思ってしまうことも多い。ここまで特殊な任務を帯びているのである、無理からぬことだ。
けれど、それはあまり正しい認識とは言えない。
主人公とは、そもそも、まずは物語の中の1キャラクターでしかないことを、思い出すべきだ。
それはけして、「主人公」などという職業ではなく(そういったメタ的な作品でない限り)、それを当人が認識しているわけでもなく、また周囲が主人公らしくあれ、主人公だから特別扱い、主人公ゆえに責任を問う……などという「自覚」はない。
即ち、物語世界の登場人物にとって、「中心人物」とはまさに自分以外の何物でもないのだから、主人公という概念は、物語を外側から見る者と違って当然なのだ。
とすれば、物語と言うものに、厳密には主人公は存在しないことになる……わけではない。
主人公は存在する。しかし、それが「最初から」でないだけである。
物語における主人公とは、それが「そうである」ものではなく「そうなる」もの、「成る」ではなく「慣れる」もの、ということだ。
あるキャラクターが名実ともに主人公になるためには、物語の進行とともに、事件や出会い、失敗や別れ、成功や達成といった様々な経験が必要である。
それが充分でない内は、そのキャラクターは主人公とは「感じることはできない」し、「そうであることもない」。
だから万が一にでも、作者が主人公だと決め打ちしたキャラクターを、そのように扱ってはならない。
主人公たる行動もできず、また、そのように思えないキャラクターなのだから、きちんと、機が熟すまで待つべきなのだ。
それでこそ、そのキャラクターは真の主人公となれる。
くれぐれも、「主人公」を単なる称号、自由に付け替えできるものと考えない方がいい。
主人公は特殊である。
だからこそ、お仕着せではない、「慣れる」ための時間が、必ず必要なのである。
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