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物語に大切なのは引き際と押し際

 物語の面白さを引き立たせる手法の1つとして、牽引と推押がある。前者は物語の描写を充分にしないということ、途中で打ち切ったり、中途半端な情報しか表現しないということを意味する。そして推押とはその反対で、描写したい何かをとことんまで全面に押し出して目立たせて、印象深く表現することである。
 面白さのためにこのような正反対の手法が必要なのは、物語における面白さとは、その時々で基準が変わるからである。つまり私達がある物語を面白いと思う時、それは別の物語においては同じではないことがある。それどころか同種、もっと言えば同じ1つの物語であっても、状況や展開などの諸要素によって面白さの定義が変わる。
 そういった感じ方の違いに合わせ、物語は違う提供のされ方が適応されねばならない。牽引と推押はその例である。

 具体的には、牽引はその物語の面白いところを引き立たせるために、つまり続きがある場合に必要となる。なんらかの「すごいこと」がこれから起こるぞ、という場合に、それこまでの過程からただ引き続くだけでは味気がない。特に「そこに至るまで」が区切りなく長くなっている場合などは、牽引が必須である。
 そして推押はその物語の面白いところを遠慮なく出すために用いられる。これは即ち、オチがある場合ということができて、そこで物語は大爆発して、その後は落ち着かざるを得ないという場合。それならばそこにエネルギーを注ぎこもうということで、推押が選択される。

 牽引と推押は、どちらかだけがいるのではなく、物語の面白さのためにどちらも必要なものであることは当然だ。なぜなら、これらが面白さを際立たせる効果を持つばかりでなく、牽引と推押は相互作用するからである。
 この際、物語の面白さとは「引いて押すことのギャップ」によって成り立っていると言っても良いだろう。もちろん、時々にあったやり方というのは模索され、選択されるべきだが、何より牽引と推押には相互作用がある。

 物語には引き際と押し際が肝心だ。それは場合によって「面白さ」の定義が異なる物語というもののために編み出された、簡素なようでいて蔑ろにはできない重要な手法である。

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