記憶と感情はどうしても忘れてしまうね。

・大谷翔平がライトへのサヨナラヒットを打ったことだとか、ダルビッシュ投手が7回を2安打におさえ、日米通算200勝をあげたことだとか、知っていても知らなくてもなんにも変わらない。しかし、そういうことを好きで知っているのだから、ぼくはそれを知ってよかったのだ。

でも、それ以上に、ぼくは知らなくていいことを知りすぎているような気がする。ニュースの形式で伝えられていることは、いかにも大事なことですというふうに伝えられる。ここでいちいち具体的には書かないけれど、そんなことについて、「あなた(わたし)」がそんなに詳しく知っていてなんになるのだと思う。ついつい知ってしまう程度のことでも、ほんとはどうでもいいかもしれないくらいなのに、「けっこう詳しい」ところまで…どうして? そのことについて、無責任な会話などがあったとき、「知ってる者」としていようとしているのだろうか。たとえばスポーツ賭博について「知ってる者」であって、なにかいいことでもあるのだろうか。さまざまな異常な犯罪について詳しくなって、世界を見る視点がなにかよくなるのだろうか。そういうことを「あなた(わたし)」に言ってやりたい。

妙に珍奇で、刺激の強い情報がどんどんニュースになる。「いやだねぇ」というため息を深くするために、あれやこれやの事件なんかについて詳しくなっているのだ。そして、刺激ばかり強い事件に「商品価値」があるとして、狙ってその方面のニュースをつくる人たちもいる。世間はよく「デジタル情報の断捨離」とか言うけれど、選別するまでもないゴミのような情報を、わざわざ拾い集めているのも、じぶんなのである。

ぼくは、これからは、もっと「そんなことも知らないんですか?!」と言われる人間になろうと思う。「論語」だの「俳句」だのを知ろうとする時間だとか、遠くの景色を眺める時間のほうを、多くして。でも、実際、好奇心ってやつは止められないんだけど。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。俗人なりの、凡人なりの、「温故知新」をやってみたいす。

ほぼ日アプリ 糸井重里が毎日書くエッセイみたいなもの 2024/05/21分

最近は、ほぼ日アプリのこの欄を見るのがすごく好きになっている。

新聞の下のあれと似てる。
あれ名前なんて言うんだっけ。?

まあコラムみたいなやつってことにしとこう。

過去のツイートには
ちゃんと自分がいて、
でも残ってないと思い出す手段もなくて

残すことの大切さを
毎回痛いほど実感するのです。

自分のためにnoteを書こう。
武道館にたつバンドマンの
バイト中の暇つぶし。

ちゃんとふつふつと
考え込むのではなくて
書きなぐりながら感情を残していこう。

歌詞を大切にするバンドにしたいね
きっとそうなるだろう


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