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#3 人製ダイヤモンド

母と叔母が喧嘩している。
いい年の娘が二人、3日前に亡くなった父親の供養の仕方の話でもめている。

お墓はないので、50万円払ってお寺で永代供養にするか、35万円で10年間だけ壺の中でお骨を預かってもらい、その後ほかの故人と同じ場所に移される方式にするか。(こうなると、どれがおじいちゃんの骨かわからなくなる)

お墓をどうするか。
これは残されたものにとっては、結構難しい課題になる。

母方の家系は、今後数十年の間に途絶えるだろうとおもう。
これからお墓を立てたとして、定期的にメンテナンスできなかったら、それこそ天国にいるおじいちゃんを無下に扱うことになる気がして、私は、お墓を立てることには反対派。(おじいちゃんが生前に”お墓を立ててくれ”と言っていないかぎりは)

元気なうちに、自分が死んだとき周りの人にどうしてほしいか、どう供養されたいか、どこにどんなお墓がほしいかを決めておくことは、お世話になった人たちへの最後の、感謝の伝え方なのかもしれない。

ちなみに、私の父は、旅館にお墓が欲しいという。
父と関わりのない一般の人の気持ちになってみると、お墓のある旅館なんて行きたくない、って気持ちになるだろうが、父のやってほしいことはこうだ。
「一回忌、三回忌、七回忌と、定期的にその旅館に集まって、自分を思い出しながらどんちゃん騒ぎをして欲しい」
うん、それ結構、いいかもしれない。
お墓を立てるのを許してくれるくらい御用達の旅館つくらんと。

東京オリンピックを控え、多様性が叫ばれる時代、人の死に方、供養の仕方にも、多様性が認めれるようになればいいなと思う。

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