おおきに
祖父が亡くなった。
会社のビルの3階で、一人で遅めのランチを食べたあと、気合いを入れるためのモンスターを買って仕事に戻ろうというときに父から連絡が来た。
就職で東京に来てからもうすぐ4年、実家のある京都には正月かお盆かゴールデンウィークにそれぞれ数日帰るくらいで、10年前に脳出血で倒れてから施設や病院でほとんど寝たきりだった祖父には、一年に一回から二回会いに行くくらいだった。
最近は会いに行っても眠っていることがほとんどで、目を覚ましてくれても、耳は聞こえないし、顔を見ても私が誰かを覚えていないから、毎回自己紹介を耳元で大きな声でしなければならなかったが、頷いてくれるだけで、私は少し安心するのだった。
お酒好きが祟って、急に倒れたが、そのあと10年以上生きた。
病気になってからも、食欲はあるし、自分は耳が聞こえなくても大声で話すし、手を握ると、力強く握り返してくれた。
病気になったのに気に入らないことがあると大きな声を出して主張するし、強いなあ、おとうちゃんの生命力やな、とお母さんたちはよく話していた。
生きることに執着しているおじいちゃんがいることが嬉しかった。誇らしかった。
寡黙な祖父とは、あまり話すこともなかった。
やっぱり年に数回会うくらいだったから、毎回恥ずかしくて、
「おじいちゃんひさびさ〜」
『おう、ゆうちゃん元気か、そうか』
とやりとりするくらい。
学校の成績のことも、部活のことも、就職先のことも、おじいちゃんに聞かれたことも、話したこともなかったと思う。
それでも、やっぱりその連絡が来たときには、自然と涙がでてきた。
せわしない東京で、仕事に追われて、あっという間に一週間、一ヶ月がすぎる。
病院に入院しているおじいちゃんのことも、実家の家族のことでさえも、能動的に気にかける瞬間がほとんどない。
もう少し会いに行けばよかった、話してればよかった、そのときが迫っていることは、会いに行くたびに感じていたのに、どうしても後回しになってしまっていた。
そしてついにそのときは来てしまった。
おじいちゃんは最期のときを家族の誰にも、看取られなかった。
母が病院についたのは、おじいちゃんが逝ってしまった2分あとだった。
おじいちゃんの過ごした86年は、彼にとってどうだっただろうか。
戦争中に生まれ、大工仕事で汗水流し、必死に生きた時代。
仕事場の近くで見かけた女性に恋をし、のちに結婚、2人の娘を育てた時代。
妻を亡くしてからの時代。
娘が結婚、孫ができ、お酒を少し飲みすぎた時代。
お酒好きが祟り、倒れてしまったとき。半身不随になってからの時代。
周りのお世話なしには、生活ができなくなった時代。
もうすぐ平成時代が終わるが、人ひとりの人生にしても、いろんな時代があるんだろうと、ふと思った。
いつか私も、いまを"ワーカホリック東京時代"と呼ぶのだろうか。
額の中のおじいちゃんは、テレビもついていない静かな部屋の中、今も優しい顔でこちらをみている。
自分を取り巻く環境の変化、自分の身に起こること、そのときの選択、自分でコントロールできることばかりではないが、全部が自分の人生をつくる。
その時々に見出しをつけたら、"一般の方"でも、演出家にも、主人公にもなれること。
いま自分が生きている意味や、時間の過ごし方、周りの人との関わり方、自分が大切にしたいもの、人生は有限であること、本当に自分が何をしたいのか、を考えさせてくれたおじいちゃんに、感謝したい。
「おおきに、おおきにな。」