ゲーミングMtGの面白さとは
この記事は、昔MtGを遊んでいて、最近のMtGの人気を見て「復帰しようか」と思った人たちと、単純にまったくゼロからMtGをはじめようと思う人に対して、昔とはまるで変わってしまった、MtGというゲームの面白さを語るものです。ゼロから始める人には、「MtGってすごく楽しそうなゲームだ!」と思ってもらえるように。昔MtGを遊んでいた人には「昔楽しかったMtGというゲームはもうない」と思ってしまうように。また、ゼロから始める人は「昔は窮屈でつまらなそうなゲームだったんだなぁ」と、昔遊んでいた人には「最近の若いもんはくだらんゲームをしておる」と思ってしまうように、恣意的に内容が構築されています。復帰勢でも、完全初心者でもない現役プレイヤーは、それが恣意的で歪んだ内容なのか、それとも自身も頷くことができる事実なのかを考えながら読み進めてください。
■1:自己責任の耐えるゲームとして生まれた古典的MtG
このカードの強さを、どう判斷するでしょうか。手札から土地を出す効果は上陸と相性がいいように思うものの、そのためにマナがかかるのがちょっと。おそらくそんな印象を持つでしょうが、このカードはインベイジョンが出た当時、まるで土地を出すこともなく、当時のプロシーンで結果を残しました。その価値は、2マナでパワーが2ある赤単で使用できるクリーチャーである、という1点のみであり、かの「スライ」によって提唱された「マナカーブ理論」の申し子だったのです。では何故この2マナの貧弱なカードが使用されたかといえば、このカード程度しか、2マナでパワー2のクリーチャーがいなかったためです。(※私の記憶だともう1種類しかいなかったはずです。そのもう1種類も、2マナ2/1で絶対に使うことのないだろう効果が書いてありました)
一方、これは上のカードと同じエキスパンションによって生まれ、現代にまで残り活躍する名カードです。しかし、このカードは、過去と現代ではまるで違った使われ方をしています。現代では「キーカードを探す」ために使われますが、過去では「デッキ内の土地枚数を削った上で、土地を探す」ために使われました。ゼロックス理論、今ではすっかり聞かない話です。序盤の1~2ターンに土地を探すためにこれらのカードを使えば、その間に高いコストパフォーマンスを誇る軽量クリーチャーに殴り殺されてしまうためです。
この2枚のカードの過去の使われ方からわかることは2点です。
・過去のMtGは、すべてのカードパワーが低かった。
・過去のMtGプレイヤーは、事故をとにかく恐れていた。
カードパワーが低かったから、パックから現れる大量のゴミカードをかきわけて、かろうじて使えるカードを探した結果が上のカード。カードパワーが低かったから、序盤は多少ゆっくり構えても問題なかったため成立した、下のカードを使うことで土地を削るという理論。そして、土地を引かなかったり、引きすぎてしまったりという「事故」が敗北に直結するため、数学的に計算されたマナカーブ理論を持って採用された上の弱いカードと、大量の軽量ドローでデッキの動きを限界まで平均化し事故のリスクを減らした下のカードが採用された理屈です。事実、過去に近づくほと、試合の「決まり手」は、「自分の事故による敗北」が多くを締めました。一方で、少し事故ってもカードパワーのチャンスが低い故、リカバリーのチャンスがあり、そこでいかに「耐えるプレイ」をするかという、腕の見せ所がありました。
つまり、古典的MtGとは「耐えるゲーム」であり、いかに安定したポテンシャルを発揮できるかという、「自己責任のゲーム」であったと言えます。試合終了後には、お互いの精神修練を讃え「ありがとうございました」という感謝の言葉が出ました。
■2:とにかく気持ちよく相手を倒す現代MtG
復帰した人は驚くかもしれませんが、これはオリジナルカードではありません。さらに言うと、緑のデッキの多くがこのカードを使用していません。現代MtGのカードパワー、特に、クリーチャーの強さのインフレは止まることをしらず、2マナパワー2は今やどの色にも当然存在し、そのほとんどにデメリットはなく、むしろ超強力なメリットが付与されています。
一方このカードを見て、ん?と思ったかもしれません。いや、天才のひらめきの方が強くない?だってこのカードはクリーチャーだからソーサリータイミングでしか使えず、打ち消されるリスクが大きいじゃないか、と。しかしこのカードは、現代の青が有する最高クラスのドロー呪文です。
これを見て単純に「クリーチャーの強さがインフレし、スペルは弱くなっていった」と考えるかもしれませんが、それは部分的な理解にすぎません。下のカードは強いのです。確かに打ち消されるリスクは大きいものの、全力が通った後はそのまま盤面を制圧できます。これは、天才のひらめきにはなかった大きなメリットです。一方、上のカードも除去をあわせられなければ、それだけで盤面を制圧します。
制圧。これが現代MtGのキーワードです。ようは、相手がうまく対応できなければ、それだけで勝利に繋がる「簡単」なカードが溢れています。もう5マナ4/4飛行の大気の精霊を、対抗呪文を構えながら出して、どうにか相手をさばきつつ5回攻撃する必要はありません。適当にマナが溜まったら出して、そのままリアクションがなければ勝利、というカードが世界には溢れかえっているのです。
つまるところ、こうです。
現代MtGは最高のカードゲームになったのです。ゲームの決まり手に、事故はほとんどありません。マリガンルールも変わりましたしね。一方、所謂「ブン回り」や「トップデッキ」という奇跡的な引きは頻繁にゲームの勝敗を決定づけます。無論、そうして勝つ以上、そうされて負けることも多いわけですが、これは公平な話です。事故をどうリカバリーするか、という腕も必要ありません。事故った瞬間にあなたはもう負けています。試合終了後に出るのは、「ありがとうござました」という煽りの言葉と、突きつけられる中指です。
■3:最高に楽しい現代MtG
パックを開封しましょう。現れるカードはどれも魅力的で、そのすべてがデッキの可能性を期待させます。このカードはこう使えば強いんだ!それが一瞬でわかるのです。もはや「このカードはゴミにしか見えないがどうやって使うんだ・・・?いや、ただのゴミか」とコモン箱に投げ込むカードはほとんどないのです。
デッキが組めなくても心配することはありません。インターネット上には情報が溢れかえっており、SNSや動画配信サイトを見れば、プロプレイヤーが自身のデッキを公開しています。それをそのままコピーすれば、すぐにでも勝つことができるでしょう。
無論、プレイ技術は一朝一夕では伸びません。多くのミスをしてしまうことでしょう。しかし、それが敗北に直結することはありません。少しミスっても、1枚で場を制圧する強力なレアカードを引き当てれば逆転はできます。数点のリソースを計算し、先の先までを読む必要はありません。強力なカードのポテンシャルをそのまま引き出せば、制圧は簡単です。とにかく気持ちの良いブン回りを叩きつけましょう。
■4:それについていけない老人たち
パックを開けて、悩む楽しみはなくなりました。すべての楽しみは開発によって用意されています。カード同士のコンボやシナジーもすべて用意されているので、自分だけが気付いた奇跡のコンボは存在しません。
デッキを組んでも、それは所詮下手の横好きです。プロの作ったデッキには勝てません。そうでなくても、SNS上で情報をやり取りされた結果、Webの向こうには数千人数万人のデッキビルダーが協力してあなたを打倒します。そして、誰もが当然のものとして、プロの作ったデッキをコピーした、環境最強のデッキを使います。
無論、プレイ技術は重要です。同じ条件下で戦えば、当然ミスが少なかった方が勝利します。しかし、同じ条件下など理論上天文学的な数値でしか発生しません。相手との間には必ず引き運の差が発生し、基本的により都合の良いドローをした方が勝利します。小手先の技術でその差をまくり返せるほど、現代MtGは優しくありません。強いて言うなら、制圧した状態を完全制圧にまで盤石化し、相手の反撃の芽を完全に封じるのは腕であると言えます。
■5:終わりに
老人の戯言なのですが、最近流行のゲーミングお嬢様という漫画で描かれる世界が好きになれません。(※ネタとして読む分には大好きです) 囲碁も将棋もチェスも、古典的なゲームは常に自分との戦いであり、また、対戦相手へのリスペクトがありました。煽り、煽られ。そんな文化は下品であり、敗北を自分の責任として受け取れない心の弱さです。しかし、もしも私が現代に生まれていたら、煽り煽られの文化を当然のものとして受け入れたでしょう。ぎりぎりの勝負などなく、常に圧勝か完全敗北で終わるのですから、終わりに出る言葉は「時間かけさせやがって、雑魚が」か「あー、はいはい!運が良かったですねぇ!」になりやすくなっています。それが当然のものとして受け止められる世代に羨ましさを感じつつ、老人はそろそろデュエルスペースよりも、行きつけの碁会所でも探すべきかと考えています。