【 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.333 】 感想vol.018 @TOHOシネマズなんば② 21/1/9
12/日/シネスコ/総監督:庵野秀明/脚本:庵野秀明/総作画:本田雄
9年前、私は劇場に居た。そして、心の裡に広がる虚無を、どうにかして宥めようとしていた。
私は一体、何を求めていたのか。前作『破』の亡霊に囚われ過ぎていたのだ。
そう、胸が熱くなる様な展開を、知らず知らずに期待してしまっていたのだ。殊に、エヴァンゲリオンにおいて、予想通りになろうはずはないのに。
それにしても、辛すぎたのだ。こんなにも、報われない主人公の姿を、終始見させられ続けるとは思ってもいなかったのだ。
14年も眠り続けたシンジ君に対して、アスカが吐き捨てた「ヱヴァの呪縛」という言葉が、まるで自分に向けられたかの様に感じ、「いい加減、大人になれよ」と諭されている様で、心持が悪かった。
何一つとして救われない。全ての行動が、裏目に出る。槍でやり直す事も叶わず、希望の大切さを説くカヲル君も、やはり死んでしまったではないか。
新劇場版シリーズの中で、今作よりシネスコサイズが採用されたのだが、画角が描くその余白も相まってか、シンジ君の孤立と孤独が際立って感じられてしまった。
それからおよそ1週間後、私は劇場に居た。
今度はプレミアムシートを利用して。初めての経験であったが、至上のラグジュアリー。伸び伸びとした環境は、作品への没入感を促進する。
『Q』の、物語は理解していた。だが、描かれている事を再確認する行為が私には必要であったのだ。やはり悲しかった。
しかし、『破』の予告篇までは、『Q』の副題を「Quickening」(=胎動)としていた。なるほど、そうか、と独り言ちた。
これはシンジ君の、延いては世界の再生に繋がる場面であったのだ。奇跡の前には受難が必須。だから、この痛みは受け入れるしかないのだ。
そしてやはり、希望は残っていたではないか。シンジ君を突き放す者はいるものの、誰一人として見放してはいなかったではないか。
心証が晴れやかになった訳ではないが、心情としては最期を見届ける準備は整った。
それから時を経て現代へ。私は劇場に居た。
今回は、9年前に上映された同作の、IMAX上映版。各部のディティール修正と、音も再ミックスされた、4Kアップコンバート対応作品(4Kではなく、解像度は2K)。
内容に変更がなされた訳ではないが、『シン・エヴァンゲリオン』の上映も近づき、気持ちも昂ってきているので、観賞に至る。
正直、震えた。こんなにも面白い作品であったのかと、自分の記憶を疑った。
冒頭の初号機奪還作戦シーンは、音響効果の功か、スリリングさが増し、目を見張るものがある。使い方は間違っているが、ゴミ箱に何かを投げ入れる際に、無意味に「ジェットソン」とつぶやいてしまった。
エンターテインメントとして、優れた作品であったと、再認識。ああ、もう直、最期が始まるのだ。
自分の中に胎動を感じながら、終焉を待ちたい。
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