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【 ハウス・オブ・グッチ 】 感想vol.078 @MOVIX八尾⑤ 22/1/29

21/米/シネスコ/監督:リドリー・スコット/脚本:ベッキー・ジョンストン、ロベルト・ベンティベーニャ/撮影:ダリウス・ウォルスキー

『最後の決闘裁判』を観逃しているのだが、幅広いジャンルを撮ってきたリドリー・スコットの新作であり、何ともサスペンスフルな予告篇の印象が強く、観賞欲を抑えきれなくなった私は、真冬の空の下、自転車を劇場へと向かわせるのであった。

ストーリーについて。トラック輸送会社の一人娘として育ったパトリツィア・レッジャーニ。彼女はある晩、パーティーでマウリツィオ・グッチと出会う。彼女は彼の誠実そうな姿に、彼は彼女の愛嬌の良さに、それぞれ惹かれ合い、やがて恋に落ちる。マウリツィオは彼女を父のロドルフォに引き合わせるも、ロドルフォは彼女の出自に不満を持ち、結婚の許しを与えない。家を飛び出したマウリツィオは、パトリツィアの家に転がり込み、輸送会社の一員として働き始める。そして、二人はついに結婚する。初めは二人を認めなかったロドルフォであるが、娘が誕生した事をきっかけに、父と息子は和解する。パトリツィアは、ロドルフォの兄である、アルドに気に入られる。彼は、実の息子で、自信家のパオロではなく、マウリツィオに会社の経営を引き継がせたいと考えていたのだ。華麗なる一族との優雅な暮らしを経験してきたパトリツィアは、占い師のピーナの教唆もあり、いつしか全財産を手中に収めたいと願う様になる。家族同士の裏切りと姑息な画策。果たして、最後に笑うものは誰になるのか。

現実の出来事とは少々設定などが違うようである。実際のパオロは社長に就任していたりして、劇中で描かれていた人物程、無能ではなさそうである。
ジャレット・レト演じる所のパオロは悲哀に満ちて、その惨めな境遇が滑稽さを醸すという、なかなかに重要な役どころを担っていた。なかなかに演じることのできる役者はいるまい。
やはり、気性の荒いイタリア人の役を演じさせれば、年老いてもなお、アル・パチーノの輝きというものは失われない。レディー・ガがの存在感も素晴らしかったのだが、私の中ではアル・パチーノの方が印象深く残ってしまう。まぁ、純粋たる役者であると比べてしまうのも酷な話ではあるのだが。

基本的に気分が晴れることのほとんどない作品であった。冒頭のお尻を振り振り歩くレディー・ガガを観て、やはり西洋人はセックスアピールが露骨だな、と思ってちょっと笑ってしまう。ただ、結構可愛い。レディー・ガガの音楽をそれほど聴いたことがないので、何とも評し難いが、スクリーンの中の彼女は、純粋に毎日を生きる20代の若い女性でしかない。楽しいこと大好き!って感じ。アダム・ドライバーにデートを誘わせるシーンも何だか、微笑ましい。彼女が彼のベスパのウインドスクリーンに口紅で電話番号を書く件があるのだが、その数字が一瞬、よろしくね、と書いてある様に見えた。そんな訳はないのだが、その後のシーンで、アル・パチーノが「コンニチワ~」と言っていたりして、やっぱり日本語意識してるのか?と思って、何だか個人的に笑ってしまった。

劇中の登場人物たちの感情は、常に一方的で、相互に向き合い、睦まじく終わるということがない。終始、寂しさが漂っているのだ。特段、心当たりがないのに、突如として行われる裏切り。得たはずの信頼が失われ、会話は空虚なものになってしまう。こういうのって、本当に辛い。私もこういった経験をこれまでに味わってきた。知らず知らずに傷つけていたのか、と反省するも、いやしかし、こっちも結構我慢してたのになぁ、というジレンマに襲われて吐きそうになる。
もう取り返しはつかないのは重々に承知だけれど、楽しく話せていた頃に戻りたいと、切に願う。これは傲慢なのでしょうか。

実際の事件における、パトリツィアの心情は知らねども、人を殺める程に憎いということは、それ程までに深く愛していたが故であろう。全ては対話だ。相手を思いやれる会話を、これからはしていこう。そんな事を改めて認識した映画であった。

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