見出し画像

時差進化 - 第11話:揺れる選択

昼夜の区別がつかないほど厚い雲が海上を覆う中、オセアナのクルーたちは一刻を争う作業を続けていた。結晶ファージの謎を解き明かすには、深海で得たデータを早急にまとめ上げる必要がある。だが、その一方で外部から届く情報は刻々と逼迫していた。

「各国政府が本格的な海域封鎖を検討中だって?」
ヘンリエッタ・サントスは通信端末のモニターから目を離さずに呟く。メディアは「謎の海洋ウイルス」「未知の微生物による生態系崩壊」などと騒ぎ立て、SNSでは憶測が飛び交い始めている。右利き生命とファージによる“時差進化”の影響が地上社会まで波及するのは、もはや時間の問題だ。

「実際、異変が加速してる証拠が増えすぎてるんだ。」
オットーは深い疲労を滲ませながら、追加サンプルの解析結果を差し出す。「沿岸で捕獲された魚の組織からもD型分子が検出され、オートファージ異常が動物レベルで起きてる可能性が高い。パニックが起こって当然かもしれない。」

「でも、ここで海域を封鎖してしまえば……」
リン・マルグリス博士が言葉を区切る。「右利き生命の真の意図も分からないし、ファージの制御方法が闇に葬られる。下手をすると強引な排除策だけが先行して、地球規模で大変なことになるわ。」

対立と決断のはざま

制御室の会議スペースでは、ウィル・ディアス船長がこの難局に頭を抱えていた。政府の圧力が強まり、オセアナに「速やかな引き揚げと、深海調査の中断」を求める通告が届いている。しかし、その対応を誤れば、「右利き生命」の暴走を止められないまま世界に深刻な被害が及ぶかもしれない。

「海洋封鎖をするなら、私たちは退去させられる可能性が高い。乗組員の健康面も考慮すれば、それが妥当なのかもしれないが……」
ウィルは皆を見回す。「今こそ科学者として、真実を解き明かす最後のチャンスでもある。どちらを優先すべきか、私たちの意見を出してくれ。」

「私は最後までやるべきだと思う。」ヘンリエッタが即答する。「このまま封鎖しても、右利き生命やファージが自然に止まる保証はない。むしろ、時間をかけずにメカニズムを解明しないと、地上がさらなる混乱を招くだけ。」

「私も同感だ。」リンが頷く。「ただし、急ぐ必要はある。封鎖命令が正式に下りれば、私たちを強制排除することもあり得るから。」

だが、アナベル・コールマンは反論を控えない。「待って。もし乗組員にD型分子が一気に広がれば、誰が責任を取るの? 未知の感染で人命に関わるリスクがある以上、ここで研究を続けるのは危険すぎる。」

「人命を守るためにも、真実を掴まなきゃならないのよ。」ヘンリエッタが声を張る。「現状、大規模なパニックは既に起こりつつある。私たちが打開策を示せない限り、政府の強制封鎖だけじゃ事態は収束しないわ。」

外部との最終連絡

そんな中、通信端末が激しく点滅し、ウィルが呼応する。外部の国際研究機関から緊急連絡が入り、海洋封鎖に対して学術的見解を求められているのだ。画面に現れた代表者は険しい顔をしていた。

「オセアナの皆さん。現状を教えてください。各国政府は最早、封鎖しか手がないと主張していますが、あなた方は別の道があると考えているんですか?」

ウィルは息を整え、あくまで冷静に答える。「ファージと右利き生命が生んだ“融合現象”は、確かに脅威になり得ます。しかし、その背後には制御や利用の可能性を含む高度なメカニズムが潜んでいる。短絡的に閉じ込めてしまえば、取り返しのつかない形で陸に波及する恐れがある。」

「政府サイドからは“放置すればパンデミック化”との意見も出ています。あなた方はそれをどう考えます?」

横からヘンリエッタが割って入る。「私たちが少しでも長く調査を続けられれば、ファージの立体化学的特性やオートファージとの関連を解明でき、封じ込め以外の具体的対処法を提示できると信じています。」

通信相手は黙り込んだ後、「分かりました。私からも各国に意見を伝えましょう。ですが猶予は長くありません。おそらく数日内には決定が下されるかと……。」と述べて通信を終えた。

陸が見せる大きな揺れ

会議を終え、クルーたちが制御室を離れたところで、アナベルがウィルを呼び止める。「たった数日の間にどこまで解明できる? あなたも分かってるはず。これは本来、数年かかるレベルの研究でしょう?」

ウィルは苦く笑う。「科学的整合性を完璧に証明する余裕はないさ。でも、どんな不完全でも“希望”の目を示さなきゃ陸が大混乱に陥る。左利き生命しか存在しない常識が崩れつつある今、世界は疑心暗鬼だ。」

「あまりにも危うい綱渡りね……。それに台風が近づいていて、海面も荒れ始めてる。ほんの数日で調査が終わるとも思えない。」

「分かってる。」ウィルの目はどこか疲労を帯びながらも意志が残っていた。「けど、やるしかない。陸が揺れる影――それを食い止められるかどうかは、私たちにかかってるんだから。」

新たなサンプル解析

ラボではヘンリエッタが熱中して結晶ファージの構造解析を続けていた。オットーがサポートし、立体化学的にD型とL型が繋がる“分子接着剤”のようなパターンを発見しかけている。もしこれが本物なら、制御方法を逆算できる可能性がある。

「これよ、たぶん……。ファージ表面の特定部位が、オートファージ活性の分子経路をハックしてる。」
ヘンリエッタはモニターを指し示す。「ここを遮断すれば、D型分子の細胞内侵入をある程度抑えられるかも。逆にここをうまく利用すれば、鏡像バリアを制御下に置く道もある。」

オットーの目が輝く。「つまり、右利き生命の猛威も、“選ばれなかった進化”を制御下に置く術も、見えてくるってわけだ。これなら封鎖策だけじゃなく、科学的対応策も示せるかも……!」

嵐の船上

甲板では大波が打ち寄せ、クルーたちが緊迫した面持ちで作業に追われていた。黒い雲が海面を覆い、轟く雷鳴が一瞬夜空を割る。まるで自然も、陸と海が激しく揺れている状況を象徴するかのようだ。

ヘンリエッタはラボの窓からそれを見て、胸に小さく決意を固める。「時間との勝負……数日内に何とか成果をまとめてみせるわ。陸で混乱する人たちに、私たちが答えられる可能性を示さなきゃ。」

リンが隣で微笑んだ。「大丈夫、あなたならできる。私たちは“共生”を見失わないためにここにいるんだから。」

外では嵐が荒れ狂い、陸では封鎖論が強まる。深海ではファージの巣が未知なる光を放ち、右利き生命との境界をどんどん溶かしていく。
全てが交錯し、世界が大きく揺さぶられているこの瞬間――数日後にやってくる決断が、地球の生命史を変えるかもしれない。誰もが息を詰め、嵐の中で希望の火を探していた。

いいなと思ったら応援しよう!