第15走者 恒吉徹三:面接と映画と離人感
初めまして。3をキーワードに、産後の養育者への「3つの寄り添い」のことや子どもたちのみている世界についても語ってくださったドクター渡邉から、三男坊でもないのに名前に三がつくわたしがバトンを受け取りました。
ところで川谷医院は福岡市天神からすると南の方角にあります。近くにはナッツバターの量り売りの店や、すぐそばの路地を入っていくと入り口を見落としてしまいそうなベーグルサンドが人気の店などもあって、観光客の姿を見かけることもあります。そんな街中にある医院でのカウンセリング(面接)が終って、面接室から階段を降りて医院のドアを開けると、ほんの一瞬、別世界に入り込んだような妙な感覚にとらわれることがあります。
医院のすぐ前の道を、会社帰りの人たちが楽しそうにおしゃべりしながら歩いていたり、買い物帰りの人が自転車でさっと横切ったりするのですが、ちょっと大げさに表現すると、向こうとこっちというくらいに世界との間にちょっとしたへだたりがある感覚です。この感覚はすぐに消えて、一日が終わったんだなーと現実感が戻ってきます。そして、テンポ早く歩いている人たちのスキマに、観覧車に乗り込む時のようにタイミングをはかって入りこみます。少し歩くとショーウィンドウにしゃれた和服が目にとまったり、100mほど先の交差点そばの居酒屋の換気扇からブワッと出てくる何かの匂いをよけたりしながら、さらに進むと真っ赤なトマトや大きな甘夏やふさふさとした穂のついたままのトウモロコシがならぶ八百屋があってその時々の季節を感じます。この通りは生きているなあと、日常の暮らしのあることにホッとします。
つい最近のことですが、前田重治先生の『夢・空想・倒錯』(彩古書房)の本を読んでいたら、「映画館の扉を出た瞬間の離人感」と書かれた部分があって、面接室から外に出た時の感覚は、そうこの映画館を出た時の感覚だと腑に落ちました。面接室は映画館のように真っ暗でも窓もなく閉ざされた空間でもありませんが、日常とはちがう時間を過ごしていたことにあらためて気づきました。わたしにとって面接室での1時間は、どこか映画を観ている時の感覚に近いということかもしれません。そんなふうにいうと、面接に来ている人から「えっ?わたしの話って娯楽か何かと同じ扱いですか?」とか、「それって映画が好きだからのこじつけですよね?」とか、「もしかして、ひとごとみたいに話を聞いているんですか?」と突っ込まれかもしれません。
映画を観ているときには、スクリーンの中の世界にすっかりはまり込むくらいの感覚にたいていなっています。3回も同じ映画を観ると、養育者から放っておかれた主人公が、親類に預けられて心地いい関わりを受けたことで生き生きとする様子をみるころには、主人公と同じように暖かく包まれたような気持ちになったりもします(『コット、夏の始まり』)。それでもときには、Twitterでフォローしている俳優さんたちのコメントにひかれてみたのに、1回目にみたときにはなんの感情も感動もない無風状態のようなこともあります(『花束みたいな恋をした』)。期待しすぎてがっかりすることはよくあることですが、何も感じ取れなかったことは記憶になく、どうしてだろうと二度みたのですがそれでも無風状態のワケはわからないままでした。
話ついでに、わたしがいいなあと思う映画について書きます。「えっ?ここで終わりですか?」と思うほど突然映画館の外に放り出される気分になったり、あまりにも意味がわからなくて同じ映画を観て楽しそうな表情をして映画館をさっそうと出ていく人に、「どう思います?この映画?」って声をかけたくなったり(『アイスと雨音』)、一度観たくらいでは何をみせられたのかわからず、一年くらい考え続けたりするような映画(『バーミー』)などです。映画が終わってからも、映画について考えるのもわたしにとってはいい時間です。と言っても、タイトルだけ、ポスターだけ、この俳優さんが出ているのなら、アフタートークがあるのなら面白そうだから、とあらすじもジャンルも知らずに観ていることがほとんどです。最近みた『あんのこと』も、河合優実さんという俳優に関心があって内容を知らずにみたのですが、かなり重たい内容でした。それでもほとんど情報もなく映画を観るのは、映画にはまり込むにはいいのかもしれません。
もちろん、どれほどはまりこんで映画をみても、映画の主人公たちはわたしの質問には答えてくれませんし、どんな体験をわたしがしても何の反応もなくつれないですが、上映時間だけは目の前から消えていなくなることはありません。けれど、エンドロールが流れていくとスクリーンはふっと真っ暗になります。この瞬間の味わいは捨て難いものです。はー、とため息が出たり、ずしりと体が重かったり、すっと軽やかに立ち上がったり。ぞろぞろと席から立ち上がって外へと出ていく人の流れに乗って映画館から外に出た瞬間、外の光のまぶしさと例の妙な感覚がわいてきます。この感覚を「離人感」とひとことでいうには惜しい感覚です。ほどよく疲れた感覚だったり、ちょっと自分が世界から浮いた感覚だったり、自分と外の世界にほんのわずかなスキマを感じたり。深海にアクアラングで潜った時には、途中で整える時間が必要だそうですが、映画館の内と外、面接室の内と外にはこころを少しととのえるためのスキマが必要なのかもしれません。
さて、これまで観た映画のことを思いめぐらせながら離人感について書いていると、記憶の中の映画の世界にはまり込んで戻って来られなくなりそうですからここまでにします。何これ?と意味のわからなさに放り出された気分になっていらっしゃるかもしれませんが、その気分も含めて味わっていただけましたたら幸いです。