第16走者 川谷大治:『注意と非注意のあいだに』
恒吉先生のバトンを受けて。
恒吉先生は面接を終え、「面接室から階段を降りて医院のドアを開けると、ほんの一瞬、別世界に入り込んだような妙な感覚にとらわれることがあります」と述べて、その感覚を離人感と呼んでいます。そして、「映画館の内と外、面接室の内と外にはこころを整えるためのスキマが必要なのかもしれません」と結んでいます。
確かに、そうです。映画も面接(セラピー)も終わりがあります。私の子どもの頃の思い出ですが、楽しかった遊びも夕方には終わりが来て、子どもたちは各々家に帰ります。始まりと終わりが繰り返され、朝が来て夜になり1日が終わり、正月が来て大晦日で1年が終わり、人間の生も誕生があり終わりが来るのです。
この始まりと終わりを私たちは、手を変え品を変え、意識しないまま繰り返しているのです。放課後の缶蹴りがどんなに面白くても夕方にはみんな帰ってしまう。もっと遊びたいと思っても、一人では缶蹴りができない。諦めて、子どもの頃の私は家に帰り、ご飯を食べて、テレビを見て、宿題なんかしないで、あとは寝たのです。すると、朝が来て、また1日が始まるのです。
この始まりと終わり、終わりから次の繰り返しの一瞬に必ず静けさが訪れます。それを恒吉先生は離人感、こころを整えるためのスキマ、と呼びました。その静けさは、なんと表現したらよいのか言葉が見つからないのですが、恒吉先生は「この感覚を『離人感』とひとことでいうには惜しい感覚」だと言い表しています。
海外旅行
インバウンドで海外から多くの旅行客が日本を訪れています。テレビのニュースを見ると、その中には若い旅行者だけではなく初老から高齢の方も少なくありません。仕事をリタイアして、彼らは人生の終わりの手前を大いに遊んでいるのです。そもそも定年制度というのは、ドイツのビスマルク首相が平均寿命まで生きてきた人たちに与えられた仕事から解放させた褒美です。それで、ヨーロッパの人たちは退職後、遊びや旅行に夢中になるのです。アメリカでもお年寄りたちが大きなキャンピングカーに乗って旅をします。インバウンドで日本にやって来る旅行客にはそうした人たちが多いのではないでしょうか。みんな老後を楽しんでいるようです。
でも、それにも終わりが来るのです。私は、どうせ終わりがくるなら、来るまで楽しまなくっちゃ、と単純に言えない性質です。旅行に行っても、終わりが来る日のことを思って、ふと悲しくなるので、あまり旅行は好きでない。楽しみは必ず終わりが来ると経験から知っているからです。あー、無常です。この世に終わりの来ないものはないのです。5泊6日の旅に出ても3泊目から最終日のことを想像するのです。終わりが来るのが切なくなります。そして家に帰りつくと、ほっとして、やはり我が家が一番だと思うのです。それなら、旅行なんかしなければよいのではと突っ込まれそうですが、妻の希望も叶えてやらないといけないので、泣く泣く付き合うのです。本当は、家で過ごしたいのです。で、家でどうやって過ごすのですか。あなたは退屈が苦だと言ってませんでした、と弱点を突き付けられると二の句が出ません。そうでした。私にとって退屈ほどつらいものはありません。忘れていました。ですから、妻の提案に端から反対できないのでした。旅行は妻の提案に従っただけと申したのは嘘でした。すみません。旅行は私の退屈しのぎからでした。
残り少ない人生に遊びや旅行に費やしたくない。
言いたいのは、ヨーロッパの引退者、つまり労働から解放された人たちのように旅行や遊びを私は楽しめないことなのです。吉田拓郎の「祭りのあと」の歌詞を引用します。
祭りのあとの淋しさが
いやでもやってくるのなら
祭りのあとの寂しさは
たとえば女でまぎらわし
もう帰ろう もう帰ってしまおう
寝静まった街を抜けて
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女でまぎらわす器量も私にはないので、唯々悲しみにくれるだけです。酔っ払っていると、祭りのあとの淋しさは少しはまぎれるかもしれません。先のエッセイでは殊勝なことを書きました。さも分かったかのようにスピノザの「寛仁」にすがっただけです。先人は残された人生をどう生きたのか、という話を紹介しただけで、私が何かを悟って、こころ静かに残された人生を生きているわけではありません。
残された人生を遊びや旅行に費やしたくないだけなのです。マグロや牛のように生きたいのです。唯々草を食べ、唯々泳ぐだけの人生を祖母のように全うしたいのです。お釈迦様のように利他の行為に自分を駆り立てる思いやエネルギーは、残念ながら、わたしには欠けてます。スピノザの第三種の認識「直観」はまだまだ手が届きません。
でも人生から遊びをとったら私は憂うつになりそうな気がします。私の臨床経験ですが、人生のおわりで一番怖いのは癌よりもうつ病です。老後のうつ病は難治です。60代、70代では薬が効いてすぐに楽になるのですが、80歳も長生きすると、薬が効かなくなるのです。それが死ぬまで続くのです。地獄はどんなところか知らないのですが、その苦しさは地獄にいるようなものです。薬も役に立たないし苦しみに寄り添うことも助けになりません。相方が生存していても、あるいは子どもたちと一緒に住んでいいても心中は孤独です。脳に器質的な変化が起きているのかもしれません。もはやコナトゥスが働かなくなっているのです。元気になりたい気持ちも失せて、ただきついと訴えるだけなのです。
ですから、ヨーロッパの人たちのように旅行や遊びにうつつを費やすと、その跳ね返りが怖いのです。来る老後に備えて、たとえ脳に変化が起きても、それをカバーできるように心を整えておきたいのです。跳ね返りの少ない小さな遊びだと良いのかもしれないですね。私の理想は鴨長明のような生き方です。しかしそれは憧れであって、仕事で退屈しのぎをしてきた私には到底手の届かない相談です。まず方丈の生活をする勇気がないし、名月を愛でて、虫の音に風流を感じる情感も持ち合わせていないし、そもそも孤独に耐えられそうもない。京都の下賀茂神社には長明が住んでいた方丈の造りがありましたね。移動に便利な組み立て式で広さが一丈四方なので「方丈」とつけられたようです。とても憧れます。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」と今でも覚えています。
話がずれてきました。元に戻しましょう。旅行のような大掛かりな楽しみではなく、誰にも頼らず、一人でできる日々の楽しみといったら読書とテレビで映画を見るくらいしか私には思いつきません。しかし、たとえそれが小さな遊びであっても、退屈しのぎだといけません。退屈しのぎだと、飽きてきますし、ふと、悲しくなってもののあわれにつぶされそうになります。平安時代の男たちのように泣いて袖を濡らせるなら新しい始まりが訪れそうです。でも20世紀に生まれた日本の男たちは泣くことができません。どう生きていったらよいのだろう?
精神分析を試みよう
何かの始まりと終わり、終わりから次の何かに移る一瞬に訪れる静けさ。その静けさとは“もののあわれ”なのでしょうか。ふとそう思ったのですが、それを分析してみると、何か答えが見つかるかもしれません。やってみましょう。
高校生の頃、死の恐怖に悩まされたことがありました。自分の存在がなくなることがとても恐ろしく感じられて、その答えを見つけようと図書館に行って本を探しました。満足する本を見つけられないまま、何度か足を運んでいたときに、小学校に上がる前に近所に住んでいた1歳年下の女の子から話しかけられました。私の悲壮感に思わず声をかけてくれたのです。状況を説明しますと、彼女は「あなたは毎日死んでいるじゃない」と解釈してくれたのです。寝るということは意識を失うことで、夢は見ますが、それは死と同じではないか、というのです。そして生き返るだけ儲けものだというわけです。私は彼女の解釈に救われました。
私たちは、毎朝、目が覚めた時はぼんやりしていますが、小さな死から復活して新たな誕生を迎えているのです。それは喜ばしいことなのです。でも睡眠とは違って、日々の行ないには始まりがあって終わりが来るのですが、次の行ないに移る時に、退屈が訪れるとたまったものではありません。次の行為に移れないと悲劇です。嫌いな退屈に引きずり回されて私はあたかも獄門首に遭うような感じになります。退屈とは、行為を終えて次の行為に移れないときの心理状態なのです。なので、本を読んでも夢中になれないし、散歩でもしたらと言われてもちっとも面白くないのです。次に移れないで苦しんでいるのですから。
退屈が来ないように願うしか今は手立てがありません。それに前の行為が楽しければ楽しいほど終わりの悲しみは強くなります。映画の世界に引きずり込まれて、エンドロールに浸り、そして映画館を出る時に、外の世界に一瞬くらくらするのです。読書も同じです。数独を解くときも同じです。勉強も同じです。この行いが終わり、次の行ないに移る隙間に一体何があるのでしょうか。
中間休止caesura
たとえば今私はこのエッセイを書いていますが、途中でコーヒーを飲んだり、トイレに立ったり、あれこれ行為して、再びパソコンに向かっています。本当は集中が切れて別の行為に移っているのでしょうが、集中が途切れたことは意識していないので、無意識の体験になっています。その意識の途切れには何があるのでしょうか。スピノザは自由意志を否定します。飛んでいる石はおのれの力で飛んでいると思っています。空に向かって飛ばした原因には思いを寄せないからです。意識は結果だけを受け取り、意識されていない精神内の諸原因の連鎖、あるいは原因についての混乱した認識(イマギナチオ)は意識されないのです。ですから、集中が途切れた時に私は「コーヒーを飲みたい」と思ってコーヒーを飲んだと認識しているのです。本当は行為に駆り立てる原因、つまり注意が途切れて、注意を元に戻すのに、コーヒーが役に立つという憶見をただ信じているだけなのです。集中が途切れたということは意識せず、「さあ、疲れたのでコーヒーでも飲もうか」と意識しているだけなのです。
そしてコーヒーを飲みながら、キーボードを叩き、乗ってくると、コーヒーは無用のものになり3分の1は飲み残したままになるのです。映画を見て映画館を出たときの脱日常(内)から日常(外)に戻る時の一瞬の隙間に私たちは何を体験しているのでしょうか。アッ、ここは映画の世界ではないのだ。さっきの世界はもうなくなったのだと感じているのでしょうか。セラピーが終わると、私は次のようなことをやっています。若いときはセラピー室を出て控室で小カップ麺を食べたり、ビスケットを口に入れたり、今はノートをとりもの思いにふけったりします。その間に、セラピーで興奮した脳は鎮静化していきます。セラピーが終わり、帰りの車の中でふっとセラピーを思い出して治療のヒントになることがあります。
いつもは意識していないこの隙間に意識を向けると、そこには何か大切なものがあるのかもしれない、と思うのです。緊張から解放されてリラックスするその瞬間に何が起きているのでしょうか。意識の側面に目を向けるなら、注意と非注意のあいだ、と言っていいでしょう。そのあいだに何があるのでしょうか、否、何が働いているのでしょうか。たえまなく続くこの中間休止caesuraのあいだに直観が生じる、と言います。物理学者の湯川秀樹は中間子論を入浴中に閃いたと言います。
隙間には何があるのか
セラピーではこの中間休止のあいだに治療のヒント(直観)を得ることがあります。でもそれだけではなさそうです。祭りのあとの淋しさを意識する直前の意識の切れ目、恒吉先生の指摘する隙間には私たちにとって大切な何かがあるようです。終わりが来る旅行、遊びから現実に戻る瞬間に私たち日本人は“もののあわれ”を体験しているのではないでしょうか。ですから、旅行のような大掛かりな遊びのときにはやがて訪れる淋しさに心打たれるのだと思うのです。
隙間には“もののあわれ”があるのだというのが私の見解です。正確には“もののあわれ”がひょっこり顔を出すと言った方がいいですね。そのもののあわれに引きずられていろんなイマギナチオが生まれます。それは過去の経験と記憶から成り立っていて無意識の領域にテンプレートして設置されてイマギナチオの連鎖を編み出します。
ですから旅行先の宿で寛いているともう最終日のことを私は想像して悲しくなるのです。こんな話をしたら、妻からこんな話を聞きました。私の実家に子どもを連れて遊びに行くと「着くなり、お義母さんからいつ帰るとね」と問われていたというのです。私の母も会うと別れを想像してしまうのです。会うは別れの始まりなのです。楽しみのあとには悲しみが待ち構えているので、端から楽しめず、会うことは悲しいことになるのです。この思考パターンは私の実家で見られる特殊な事例なのでしょうか。私はどうもそうだとばかり思えないのです。仏教が日本で栄えたのは、もののあわれが私たち日本人にあったからこそ、無常観、空の思想がスーッと入って来たのではないかと思うのです。注意と非注意のあいだにはもののあわれが顔を出すというのが私の今日の結論ですが、この問題は奥が深いので、勉強してみます。今日のところは“もののあわれ”だとしときましょう。