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リアルだけが本物の私ではない

サードプレイス。家でもない、学校や職場でもない、もう一つの居場所はどこだろう。私は家が仕事場だから、ここではない何処かだったら、すでにサードプレイスかもしれない。

サードプレイスは、日常的にいる場所である、家や職場以外で、心落ち着く場所のこと。多分この場所は一人で過ごす場所ではなくて、行けば落ち着く、誰かがいる場所ってのが本来の意味だろう。

なるほど、そうか。と思ったのが、私のサードプレイスはネットの世界、例えばsnsでの私の場所(アカウント)かもしれない。

snsの世界はリアルに出会ったことのない人でも、その人の発信する言葉や感じかた、写真などの写し方に人柄が混じる。それは直接話すよりも、色濃く感じ取れることだったりもする。その人に対する勝手なイメージを浮かべたとしても、その中の世界では、それがその人なんだと思う。

少し…いやっ何年も前だな。アバターという映画で、身体から意識だけを抜き出して、別の生き物として過ごす時間と、本来の自分の肉体として過ごす日常を行ったり来たりしながら、結局最後はアバターとして生きることを選んだ。というような話。この話にリンクする部分だけを抜き出したから、映画の内容はもっといろんな意味が含んでるけどね。

アバターの中の人は本物の自分だ。自分がやっている以上、本物も偽物もない。それでもリアルに会うことが「本物」ではなくなってくる。友情だって、恋だって、きっとリアルに会う前にそう感じることが増えるのかもね。

サードプレイスを豊かに生きていくにはきっと、どれだけその誤差を埋められるかなのかな。誤差があればあるほど、どちらかの現実が苦しくなるってことなのかもしれない。


うん。きっとそうだ。だから私は素を出すことにしたんだな。

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