第2章 詞辞論
第3節 詞辞論の定義と「概念過程」論
「文の解釈上より見た助詞助動詞」における詞辞論
時枝誠記は、みずからが構築した詞辞論を初めて公にした論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」(『文学』1937年3月)において、次のように述べています。
時枝は、このように、ごく初期の段階においては、「概念過程」を経た語類を「概念語」(のちの詞)と名づけ、「概念過程」を経ない語類を「観念語」(のちの辞)と名づけます。前者には〈名詞〉〈動詞〉〈形容詞〉などが該当し、後者には〈助詞〉〈助動詞〉〈感動詞〉などが該当するとされました。この分類法の背景には、時枝特有の言語観、言語は表現過程そのものであり、理解過程そのものである、という確固とした言語本質観が存在します。このような言語本質観のゆえに、表現過程の相違が語の性質の違いに出るであろうと見立てることとなり、以上のような語の二大別になっています。たしかに、このような分類法は、独立観念の有無によって語の二大別を行なった山田孝雄や、自ら独立して文節を作りうるか否かで語の二大別を行なった橋本進吉などの方法とは異なるものであり、独自性はありますが、けれども菊澤季生(きくざわすえお)から次のような批判を受けることになります。
この菊澤季生による批判は、実は的を射ている部分があるのもたしかです。「は」や「む」などという特定の形象を伴って言語として成立している表現であるならば、「概念語」ほどではないにしても、そこに何らかの「概念」が表現されているのではないか、と考えることはある意味当然だからです。事実、三浦つとむも、主体的表現について、《…ここに表現されているのは、古い認識論でいわれている意味での概念ではありませんが、言語表現によって感情や意志が普遍的・抽象的なものとしてとらえられるという意味で、新しい認識論ではこれを特殊な概念と認めるのが適当でしょう。》(1)と述べていました。私も、この三浦の見解に与するものです。----時枝は、菊澤季生の批判に対して、次のように反論します。
こうして、時枝による語の二大別の力点が、実は「概念化」や「概念過程」ということにあったのではなく、「客観化」や「対象化」という点のほうにあったことが徐々に浮き彫りにされていきます。1937年の論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」においては詞辞論が「概念過程」論を中心に展開されていましたが、徐々にその論の中心は「客観化(あるいは客体化)」「対象化」であるかどうか、という点のほうに移って行くことになります。戦後の『国語学原論 続篇』(岩波書店、1955年6月)においても、語の二大別に関する「概念過程」論はいっさい出てきません。
時枝最晩年の論文における詞辞論の定義
時枝の最晩年の論文「言語において文法とは何か」(2)でも、詞辞を定義する際に「概念過程」論はいっさい見当たりませんでした。
また、時枝の詞辞論においては、《辞は常に言語主体の立場に属するものしか表現出来ない》(3)という観点も重要だと思います。この「言語主体」とは、いわゆる「話者」のことですね。辞は客体界に志向する話者の感情や情緒や意志や欲求などを表現するけれども、逆の言いかたをするならば、辞はつねに話者の立場に属するものしか表現できない、ということになります。実はこの、「辞はつねに話者の立場に属するものしか表現できない」というとらえかたこそ、時枝誠記の偉大な発見のひとつということができるでしょう。三浦つとむも次のように述べています。
では、次回より、時枝が以上のような詞辞論を構築するに至った経緯について、当時の論文などを参照にしつつ、くわしく辿っていってみることにしてみましょう。果たしてそこに、現象学の影響はあるのでしょうか? あるとしたら、どの程度なのでしょうか?
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[注]
(1)三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫版、1976年6月)77頁。
(2)時枝誠記「言語において文法とは何か」(【松村明ら編『講座 日本語の文法 2』明治書院、1967年11月】所収)
(3)時枝誠記『日本文法 口語篇・文語篇』(講談社学術文庫版、2020年3月)81頁。