時枝誠記と現象学 4


第2章 詞辞論


第3節 詞辞論の定義と「概念過程」論


「文の解釈上より見た助詞助動詞」における詞辞論

 時枝誠記は、みずからが構築した詞辞論を初めて公にした論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」(『文学』1937年3月)において、次のように述べています。

《…文意の解釈上、所謂助詞助動詞の中に含まれる語は、これを他の名詞動詞形容詞等の語と比較して考へる時、その著しく相違して居ると考へられる点は次の様な事実である。例へば、
  我行か
と云ふ文に於いて、 を、「我」「行く」と比較して見る時、その思想内容に就いては、此の両者は、共に或る観念を表はして居るものであることに於いて何等の相違を見出すことが出来ない。 の表はす観念は甚だ稀薄であつて把握することは困難であるが、これを
  我行くまじ
まじと比較して見る時、それが或る厳然たる観念であることは明らかに認められることである。だから語の持つ思想内容から助詞助動詞を他の語と区別することは困難である。処がこれらの語を、それが表現される過程に就いて見る時、「我」「行く」は夫々の思想内容を概念化して表出してゐるのに反して、はむは、思想内容が概念化せられず、そのまま直接的に表出されて居る。これは語の性質から見て著しい相違であると見なければならない。この事実は、次の様な例の対比について見れば一層明らかになるであらう。
  一 悲しい   驚く   急げ
  二 あゝ    おやまあ さあさあ

第一類第二類の表はすものを、その思想内容から見れば、共に「悲しみ」「驚き」「急ぎ」と云ふ同一事実であるが、「悲しい」と表出するのは、悲しみの感情を概念化して表出したのであり、「あゝ」とは、概念過程を経ず直接的に表出したのである。前例の は右の第二類の感歎詞に本質的に類似して居るのである。この概念過程を有するか否かと云ふことが、助詞助動詞を特色付ける第一に重要なことであると思ふ。

 概念過程と云ふことは、話者の意識内容を話者から切り離して、話者の外にあるものとし、対象化して表現することである。従つて概念化せられた語は、話者以外の他のものの心理的内容に就いても表出することが出来る。「我」は「我にかへる」と云ふ様に、又「行く」は「彼も行く」と云ふ様に表現に自由さがある。これに反して概念過程を経ない直接表現の語は常に話者の意識に関することだけしか表現し得ない》(時枝誠記「文の解釈上より見た助詞助動詞」。太字の「だけ」は原文では圏点。本論文中の太字は基本的にすべて二重傍線)

 時枝は、このように、ごく初期の段階においては、「概念過程」を経た語類を「概念語」(のちの詞)と名づけ、「概念過程」を経ない語類を「観念語」(のちの辞)と名づけます。前者には〈名詞〉〈動詞〉〈形容詞〉などが該当し、後者には〈助詞〉〈助動詞〉〈感動詞〉などが該当するとされました。この分類法の背景には、時枝特有の言語観、言語は表現過程そのものであり、理解過程そのものである、という確固とした言語本質観が存在します。このような言語本質観のゆえに、表現過程の相違が語の性質の違いに出るであろうと見立てることとなり、以上のような語の二大別になっています。たしかに、このような分類法は、独立観念の有無によって語の二大別を行なった山田孝雄や、自ら独立して文節を作りうるか否かで語の二大別を行なった橋本進吉などの方法とは異なるものであり、独自性はありますが、けれども菊澤季生(きくざわすえお)から次のような批判を受けることになります。

《  暑いな
   おゝ、暑い
などといふ時は、既に概念化が行はれてゐる。助詞や助動詞は、多くの場合、概念化の産物である。
   彼は行かむ
の「は」や「む」は、此様な概念化の行はれた結果付加せられたのである。時枝氏の所謂概念語であるといふ意味に於て、「彼」も「行」もすでにある概念を持つてゐるが、併し、概念化が低度な場合に於ては、
   彼 行く
位ですますであらう。これに「は」を加へ「む」を付けて叙述形式を整備するのは、高度の概念化の行はれた結果であると言はねばなるまい。その高度の概念化の要求に応ずるため、多くの助詞(少数の感動助詞は感動詞と同様に考へ得られる場合がある)や助動詞が発達して、文中に補助的に付加せられる事となつたのであらう。従つて、感動詞や一部の感動助詞の中には時枝氏の所謂観念語と考へ得るものがあらうが、ひろく助詞一般及び助動詞を含めて、ことごとく観念語に含めようとするが如きは、容易く首肯する事が出来ない》(菊澤季生「時枝誠記氏の文の概念に就て」【『国語と国文学』1938年5月】)

 この菊澤季生による批判は、実は的を射ている部分があるのもたしかです。「は」や「む」などという特定の形象を伴って言語として成立している表現であるならば、「概念語」ほどではないにしても、そこに何らかの「概念」が表現されているのではないか、と考えることはある意味当然だからです。事実、三浦つとむも、主体的表現について、《…ここに表現されているのは、古い認識論でいわれている意味での概念ではありませんが、言語表現によって感情や意志が普遍的・抽象的なものとしてとらえられるという意味で、新しい認識論ではこれを特殊な概念と認めるのが適当でしょう。》(1)と述べていました。私も、この三浦の見解に与するものです。----時枝は、菊澤季生の批判に対して、次のように反論します。

《…概念語(詞)観念語(辞)の区別に就いての氏の批判を見るに、氏は私の概念過程なる考方を、専ら語の意味内容の具体性抽象性を意味するものの如く考へられた。その意味でならば、助詞助動詞のあらはす意味内容は総て抽象的であり、従つて高次の概念化の所産と云ひ得るであらう。併し乍ら私の意味した概念過程と云ふことはさう云ふことではなかつた筈である。私は次の様に述べた。

  概念化と云ふことは、一切の事実を客観化することであつて、たとへ自己の感情情緒をも、この過程によつて客観化され対象化される(文学昭和十二年七月号一〇頁)。

概念化と云ふことは、鈴木朗の古い表現に従へば、「物事をさし顕す」ことである。氏が助詞や助動詞は、多くの場合概念化の産物である(八七頁)と云はれる時、やはり氏は表出された助詞助動詞を話者より切離し、これを対象化してその意味内容を検討されて居るのである。これは私が表出そのものの如実の相を把捉しようとしたのと全く相反して居る。私が極力排斥しようとした自然科学的観点は、氏に於て猶堅く保持されて居ると認めざるを得ない。概念語或は概念過程と云ふ用語が、氏に於けるが如く誤解せられることを思ふ時、この用語の拙劣なることが痛感せられる。やはり古い詞辞の名称が適切の様に思ふのである》(時枝誠記「菊澤季生氏に答へて」【『国語と国文学』1938年9月】)

 こうして、時枝による語の二大別の力点が、実は「概念化」や「概念過程」ということにあったのではなく、「客観化」や「対象化」という点のほうにあったことが徐々に浮き彫りにされていきます。1937年の論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」においては詞辞論が「概念過程」論を中心に展開されていましたが、徐々にその論の中心は「客観化(あるいは客体化)」「対象化」であるかどうか、という点のほうに移って行くことになります。戦後の『国語学原論 続篇』(岩波書店、1955年6月)においても、語の二大別に関する「概念過程」論はいっさい出てきません。

時枝最晩年の論文における詞辞論の定義

 時枝の最晩年の論文「言語において文法とは何か」(2)でも、詞辞を定義する際に「概念過程」論はいっさい見当たりませんでした。

《 詞は、話し手・自我が受容する客体界を表現する語。現象学における対称面noemaの表現。仏教哲学における「境」の表現に関する語。
 辞は、話し手・自我の客体界に対する統一作用を表現する語。主体的表現の語。現象学における志向作用noesisの表現。仏教哲学における「根」の表現に関する語》(時枝誠記「言語において文法とは何か」【松村明ら編『講座 日本語の文法』 2】[明治書院、1967年11月]所収)

 また、時枝の詞辞論においては、《辞は常に言語主体の立場に属するものしか表現出来ない》(3)という観点も重要だと思います。この「言語主体」とは、いわゆる「話者」のことですね。辞は客体界に志向する話者の感情や情緒や意志や欲求などを表現するけれども、逆の言いかたをするならば、辞はつねに話者の立場に属するものしか表現できない、ということになります。実はこの、「辞はつねに話者の立場に属するものしか表現できない」というとらえかたこそ、時枝誠記の偉大な発見のひとつということができるでしょう。三浦つとむも次のように述べています。

《…日本語は英語などとちがって、話し手自身の感情や判断や立場など主体的なものを独立した一語で表現することが多い。だがこれも日本語が異常なのではなく、やはり言語表現の本質にもとづくものである。絵画や写真でも、対象とする客体について表現するだけでなくて、同時に客体への作者の対しかたが、客体を見る位置や「枠」づけなどで示されている。近代美術はとりわけ作者の見かたや思想など主体的な側面を強く訴えようとしている。しかしこれらは対象的に感覚的なかたちとして描かれていて、客体と完全に縁を切った表現ではない。ところが言語での認識は対象の感覚的な認識をタナあげしているから、客体をとらえた認識と主体自身の感情や判断や立場の移行などをとらえかえした認識とを、それぞれ分離した別の単語で表現することができるのである。前者を客体的表現とよび、後者を主体的表現とよんで、この区別を単語分類の基礎におかねばならぬと主張したのは時枝誠記氏であるが、これはまったく正当であった》(三浦つとむ「言語理論の第一歩」【雑誌『国語の教育』[国土社、1968年10月]所収】。太字は原文では傍点)

 では、次回より、時枝が以上のような詞辞論を構築するに至った経緯について、当時の論文などを参照にしつつ、くわしく辿っていってみることにしてみましょう。果たしてそこに、現象学の影響はあるのでしょうか? あるとしたら、どの程度なのでしょうか?


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[注]


(1)三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫版、1976年6月)77頁。

(2)時枝誠記「言語において文法とは何か」(【松村明ら編『講座 日本語の文法 2』明治書院、1967年11月】所収)

(3)時枝誠記『日本文法 口語篇・文語篇』(講談社学術文庫版、2020年3月)81頁。



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