時枝誠記と現象学 7
第2章 詞辞論
第6節 伝統的な語の分類法と現象学~時枝誠記のジャンプ!~
「文の解釈上より見た助詞助動詞」
時枝誠記が言語過程説の立場からする新しい詞辞論を初めて公表したのは、周知のように、「文の解釈上より見た助詞助動詞」(『文学』、1937年3月)においてでした。ここで時枝は、「助詞助動詞」に着目した観点から語の分類の基礎的な考えかたについて考察しています。いいかえればこの論文は、「助詞助動詞」の本質を、言語を「心的内容」を表出する表現行為ととらえる時枝独自の言語本質観の立場から考察していって、その結果として、新しい語の二大別の理論である、新しい詞辞論の構想にたどりついた、という流れで構成されています。ここでの語の二大別は、一つは話者が思想内容を概念化・客体化して表現している語(=概念語)であり、もう一つは話者が思想内容を概念化・客体化せず、直接的に表現している語(=観念語)である、前者には「名詞」「動詞」「形容詞」などが属し、後者には「助詞」「助動詞」「感動詞」などが属する、----これが語の分類のもっとも基礎的なものである、というものです。
また、この新しい詞辞論(この段階では「詞」は「概念語」、「辞」は「観念語」とされていますが)によってどのような問題が解けるか、ということも二、三提示されています。
以下、羅列します。
① 日本語の助動詞と接尾語との本質的な違いについて合理的な説明ができる点。
・助動詞は、「文や文的なもの〔=文的素材〕」に意味上、接続するが、
「怪しまる」→「怪しま----る」
「恐ろしがる」→「恐ろし----がる」
のように、「接尾語」は語そのものに接続しており、「文や文的なもの」に接続していない。
・「観念語(辞)」である「助詞助動詞」は話者の心理や主体的なもののみを表現する語だが、「概念語(詞)」である「接尾語」は、第三者の心理などについても表現できる語であるという点で「助詞助動詞」とは大きく異なる。
② 「あり」の性質の異なる二つの用法について、本質的な説明ができる点。
・「あり」においては、形式は同じでも、実際上は性質の異なる二種類の語があるとみるべきである。一つは、判断をあらわす助動詞であり、もう一つは、存在をあらわす動詞である。前者は観念語(辞)であり、後者は「概念語」(詞)である。
③ 一般に「助動詞」とされているけれども、他の「助動詞」とは別なものと意識されている「る」「らる」「す」「さす」「しむ」などをどう扱うかの問題を解決できる。
・これらは、新しい詞辞論の立場からするならば、意味上は文や文的なものに接続しておらず、語そのものに接続しているので、「助動詞」から除外して「概念語」である「接尾語」に分類すべきである。
----ほかにも若干ありますが、ここでは省略します。
この新しい詞辞論を展開するに当たって採用された論理は、
ⓐ表現過程において「概念過程」を経た語が「概念語(詞)」であり、「概念過程」を経ない語が「観念語(辞)」であるという「概念過程」論。
ⓑ「概念語」と「観念語」という二種の語は、それぞれ「対象世界」(客体的なもの)と話者の「自我」(主体的なもの)という二つの世界を表わすものである、という論理。
ⓒ文意の解釈上、「概念語(詞)」は話者の心理に関することも第三者の心理に関することも表現できるが、「観念語(辞)」は話者の心理に関することしか表現できない、という論理。
などです。ⓐは、本稿第3節「詞辞論の定義と『概念過程』論」でも触れましたが、いろいろと反論もあったりして、後年は採用されなくなった論理です。一方、その次のⓑの論理は、実は時枝が最晩年においても採用していた、重要な論理の一つです。
このように、この段階では「概念過程」論の陰に隠れてしまっていてあまり目立ちませんが、「概念語(詞)」は対象世界を表現するものであり、「観念語(辞)」は自我の世界を対象化せず、直接的に表現するものである、という論理も、実は時枝の新しい詞辞論においては非常に重要なものです。
「助詞助動詞」=「話者の心理に関することしか表現しえない語」という発想~「話者」概念の成立~
ⓒの論理は、本章第4節「語の意味の体系的組織は可能であるか」で若干触れましたが、時枝が形容詞についての考究を重ねる過程において徐々に意識するようになった、新しい「話者」概念(すなわち、生きた実在する人間の存在!)の成立を前提としたものです。すなわち、この「文の解釈上より見た助詞助動詞」においては、すでに新しい「話者」概念は成立しています。なぜなら、新しい「話者」概念を前提としなければ、(心理の表現に着目した場合)「話者の心理に関することしか表現しえない語(群)」という発想は出てこないからです。
時枝はここで「助動詞」は意味上、文に接続するものであると述べていますが、明らかにこれは、「私」でも「彼」でも「あなた」でもない語る主体であるところの「話者」の目線に立って述べた考えかたです。「私」も「彼」や「あなた」と同じように対象化された「主格」であり、文の成分であることに変りはないので、文の外に出た立場から文に対する判断を下すことはできませんが、「話者」にはそれができるのです。なので、この、新しい「話者」目線に立ち、なおかつ、その上で、文意の解釈作業を行なうことによって初めて、「話者の心理に関することしか表現しえない語(群)」が存在するという発想が出てくるのです。日本語の「外は雪が降つて居るらしい」という表現において、「外は雪が降つて居る」と推測しているのは、「話者」以外ではありません。前年に書いた論文「語の意味の体系的組織は可能であるか」での考究が生かされ、なおかつ、文意の解釈を重視するという姿勢もあって、ここにおいて新たな「話者」概念が構築されるに至った、と見ることができるでしょう。
なお、鈴木朖は「辞」の比喩として「心の声」という表現を挙げています(1)が、時枝はまさにここにおいて、その「心の声」の主(=「話者」)を突きとめることが出来たといえるのかもしれません。「助詞助動詞」は、その「心の声」の主の心理(や立場)に関することしか表現できない語(群)である、というわけです。いいかえれば、「助詞助動詞」は、「話者の主体的なもののみを表現する語(群)」だともいえるでしょう。
この、古来「手爾乎葉」と呼ばれてきた語群を、「話者の主体的なもののみを表現する語(群)」と見るという発想こそ、(もちろん現象学の助けを借りる部分があったとしても)時枝誠記の数々の発見のなかでも、最大のものの一つといえるかもしれません。なぜなら、絵画や彫刻、音楽など数ある表現のなかでも、対象の客体的な面から離れて、表現者の認識の主体的なもののみを表現できるということは、言語表現のもっとも重要な特徴のひとつだからです(2)。また、実際、この発見を契機として、時枝は「話者の主体的なもののみを表現する語(群)」と「それ以外の語(群)」という、もっとも本質的な意味での内容的な区別による語の二大別の成立へとつなげていくことになります。
ノエマ・ノエシス理論の影響
さらにこの、「話者の主体的なもののみを表現する語(群)」と「それ以外の語(群)」という語の二大別の発想へ進む過程においては、現象学のノエマ・ノエシス理論も絡んでくるのではないかと思われます。すでに述べたように、時枝の語の分類についての考えかたの背景には、日本の伝統的な語の分類法についての考えかたが存在します。具体的には、鎌倉時代の『手爾葉大概抄』における「〔詞〕は寺社の如く、〔手尓葉〕は荘厳の如し」という比喩や、本居宣長の「玉」とそれを連ねる「緒」という比喩や、「布」と「それを縫う人間の手技」という比喩、さらには鈴木朖の「三種の詞」と「テニヲハ」という分類などです。晩年の時枝は現象学のノエマ・ノエシス理論がこれらを理解する「てがかり」になったと述べています。
「山内得立先生の説明」とは、哲学者・山内得立(やまうちとくりゅう)の著書『現象学叙説』(4)の中の記述のことをさしています。このように、現象学におけるノエマ・ノエシス理論の基本的な考えかたが、日本の伝統的な語の分類法を理解する手がかりとなり、それが語の分類における一種の二元論的な考えかたを構築するのに影響していることが分かります。すなわち、時枝はノエマ・ノエシス理論を通して以下のような認識を得たものと思われます。
・「てにをは」(観念語)=ノエシス=主体的なもの=自我の表現
・「詞」(概念語)=ノエマ=客体的なもの=対象世界の表現
・両者の統一として言語表現は成立する。
ノエマ・ノエシス理論の吸収によって、時枝は、「(話者の)心の声」と現象学の扱う「情意」や「判断」など諸々の「作用」とを結びつけることができ、ひいては伝統的な語の分類法と近代的な西欧の学問的方法との接点を見出すことができ、ここから「助詞助動詞」などを話者の主体的なもの全般を表現する語として定義する方向へと自信をもって進むことができたといってよいかもしれません。いいかえると、時枝はノエマ・ノエシス理論の吸収によって、上記のような、語の分類の土台としての大づかみな二元論的な把握の仕方、およびそのための近代的な学問としての説明の言葉を獲得したといえるのではないかと思います。
以下、時枝の講演録「『時枝文法』の成立とその源流」より、日本の伝統的な語の分類観に対して、時枝がノエマ・ノエシス理論を背景にした二元論的な説明を加えていく箇所を見ていきたいと思います。
鎌倉時代に成立した『手爾葉大概抄』における語の分類法に関する比喩(「詞は寺社の如く、手爾波は荘厳の如し」)(5)について、時枝は日本古来の仏教哲学から導き出されてきた語の分類法ではないかとしながらも、以下のようなことを述べています。
ここに書かれている『手爾葉大概抄』の語の分類法についての解釈は、仏教哲学の立場から解釈したものというよりも、本質的には、現象学のノエマ・ノエシス理論的な立場から『手爾葉大概抄』を解釈した記述といえるのではないでしょうか。「お稲荷さん」や「仏さま」という仏教関連用語はむしろ喩えとして使われているだけで、語の分類の本質を述べる段では、「一つのことばは客体をあらわし、一つのことばは人間の主体をあらわす、こういうふうにやった」と述べているからです。しかも両者の「合体」によって思想の表現は成立するとまで述べています。
続いて時枝は、本居宣長の『詞玉緒』の「序」と『詞玉緒』の「巻七」の「序」における語の分類の比喩についても、「主体」「客体」という用語を使いながら二元論的な説明を加え、そして最後に、鈴木朖の「言語四種論」について言及します。
まず最初に、鈴木朖の『言語四種論』より、「三種ノ詞」(「動詞」「形容詞」「名詞」など)と「テニヲハ」(「助詞」「助動詞」など)について語っている部分を引用しておきます。
これについて、時枝は次のような説明をします。
このように、鈴木朖の語の分類法についても、「主体的」「客体的」という言葉を使って現象学的な視点と言葉から解説しています。時枝は、このように、言語化するのが難しかった日本の伝統的な語の分類法を、現象学の視点(ノエマ・ノエシスという二元論)と言葉を採用することによって、近代的な学問に耐えうるところの、解釈法、およびそれを説明する言葉を獲得したのではないか、と私は考えています。1937年3月に雑誌『文学』に新しい詞辞論を発表するか否か迷っていた時枝が、大胆にもそれを発表する事を決断した背景には、こうした現象学による裏づけとまではいかないかもしれないけれども、現象学的な二元論的な見方、および近代的学問に耐えうるところの説明する言葉を獲得したことによる、ある種の自信が存在していたものと思われます。
「文の解釈上より見た助詞助動詞」の「修正・補記」
時枝が新しい詞辞論を最初に公表した論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」には、実はのちに時枝自身の筆による「修正・補記」というものが加えられています。1973年に刊行された時枝の論文集『言語本質論』の中の本論文の末尾に、「編者注」として、「この論文には、時枝博士が修正・補記を加えられた抜刷が残っている。これらの書き入れについては巻末の『校訂覚書』にしるすことにし」(9)と記されています。この「校訂覚書」をみると、本論文の「五 概念語観念語相互間の語の移動」の辺りの上欄に、次のような図と文章の書き入れがあったということです。
この図は、一見して、現象学のノエマ・ノエシス理論の影響をうけた図解であることが分かります。そして、そこに記されている文章は、ノエマ・ノエシスの関係になぞらえて、「概念語(詞)」と「観念語(辞)」の関係について語っているもののように思われます。すなわち、この文章の前半部分、「対象ト志向トノ表現ノ中間ニ志向ノ概念的表現アルベシ」は、意訳すると、
【 「対象」の表現は「概念語(詞)」であり、「志向」の表現は「観念語(辞)」であるが、両者の中間的な存在として、たとえば感動詞の「ああ」に対して名詞の「驚愕」というような、話者の感情の概念化されたものとしての「概念語(詞)」というものがある 】
とでもいえるかもしれません。ですが、この文章の後半部分、「志向表現ハ同時ニ対象ノ概念的表現デアルコトモ注意スベシ」については、私は、長い間、その意味を理解することができずにいました。この後半部分については、おそらく多くの人は、ノエマとノエシスとがそうであるように、「辞」と「詞」とが相互に密接な関係にあることを述べているのではないかと理解されるのではないでしょうか。私も、最初はそうでした。ところが、よく考えてみると、前半部分の、両表現の中間に志向の概念的表現がある、という言葉の次にくるものとしては、あまりに一般的な内容すぎて、どうも釣り合いがとれないという気がしてきます(11)。前半部分の、感動詞の「ああ」のような感情が概念的に表現されると名詞の「驚愕」になりますよ、という内容の類いの次にくるものとしては、やはり「観念語(辞)」の概念化された「用言」の類いについての言及があってもよいのではないかと思ったのです。すなわち、この前半部分に対して後半部分は、「ああ」という感情は属性表現(概念的表現の一種)として「おどろく」とも表現されうるのですよ、と述べれば、この図の説明としては、前半部分と釣り合いがとれます。
ところが、これが「用言」についての言及だとすると、「志向表現ハ同時ニ対象ノ概念的表現デアル」ですから、たとえば「おどろく」という表現においては、陳述(判断)表現は同時に対象の属性表現でもある、と述べていることになります。これでは、「用言」を「概念語(詞)」として扱うことができなくなってしまいます。時枝としては、「用言」は第三者の心理についても述べることができる表現ですから、当然「概念語(詞)」のほうに分類されることになります。その場合、「陳述(判断)」という「辞」的な要素はどうしても排除しなければなりません。けれども、この「文の解釈上より見た助詞助動詞」という論文の段階では、まだそれがなされた状態ではありません。
今回、私は、時枝誠記の過去文献をあらためて読み直してくることによって、また時枝の「概念過程」論の意味を考え直してみることによって、時枝の「用言」に対する認識のありかたを順を追って見てくることができ、ひいてはそれによって、上記のような後半部分の記述内容の謎について理解できたような気がします。それはまだ仮説の段階ですが、以下のように私は考えています。
すでにこの論考(「時枝誠記と現象学」)で明らかになったように、1936年前半頃までの時枝は、「用言」については山田孝雄と同じように、陳述表現と属性表現とが融合されたものとしてとらえていました。ところが1936年7月脱稿の論文「国語の品詞分類についての疑点」(1936年10月発表)において初めて、「用言の陳述性」について疑問を持つようになります。そこで時枝は、「用言の本質は陳述にあり」とする山田孝雄の考えかたに疑義を呈しています。それから半年後に時枝は「文の解釈上より見た助詞助動詞」を脱稿する(1937年1月)ことになるのですが、この時点において、すでに時枝は「助詞助動詞」に着目してこれを「観念語(辞)」とし、その観点からする語の二大別の構想を発表しようとしていたのですから、「用言」に陳述(判断)を含めないことを決めていた可能性があります。ところが実際は、この1937年1月脱稿の論文では、時枝はまだ「用言の陳述性」を完全に否定してはいませんでした。おそらく、この問題を処理するにはそれなりに時間と労力を要するからでしょう。それで、時枝は、この「文の解釈上」の時点では、「用言の陳述性」における矛盾とも思える問題をとりあえず放置して、論文中では触れずにすませ、上記のような「補記」の記載によって次回に解決すべき自分への課題とし、備忘録的な意味で「補記」として残したのかもしれません(12)。
事実、時枝は「文の解釈上」の四か月後に書き上げた論文「語の形式的接続と意味的接続」(1937年5月脱稿)において、自らへの課題とした「用言の陳述性」の問題について論述し、この問題の解決ともいえる作業をいち早くやり終えています。というのは、時枝はそこで初めて零記号の考えかたを公にし、用言に関わる陳述性について論述し、用言そのものに陳述はないということを示唆しているからです。そしてその後、1937年9月脱稿の論文「文の概念について」において新しい詞辞論の立場からする文論を確立し、1939年の論文「言語に於ける単位と単語について」において統語論を本格的に論じて、初めて「用言の陳述性」を完全に否定するに至ります。
また、時枝の「概念過程」論に明らかであるように、時枝は「辞」は概念化されない「作用」であると考えていたので、後半部分の「志向表現ハ同時ニ対象ノ概念的表現デアル」は、文字通り「辞が詞を包んでいる」状態を表現している可能性もあるのではないかと思われます(13)。ただ、「辞が詞を包む」という、のちの「総括機能」と呼ばれるような内容についての記述はこの時点ではまだ存在しないので、「辞が詞を包む」という思想内容の原型のようなものがここに表現されているのかもしれません。
以上述べたことを総括すると、この後半部分の記述は、おそらく時枝本人にとっては、次のようなことを意味しているのではないかと思われます。
【「おどろく」などの「用言」はたしかに「概念語(詞)」だが、これとて実際の文においては、必ず何らかのかたちで「志向表現」=「観念語(辞)」的なものが同時に関わっているはずである。ちょうど意識におけるノエマとノエシスとの関わりかたが密接であるように。「用言」に陳述があるように見える現象については、これから詳しく文論、統語論として解明していくつもりであるが、ここでは論述することはできないので、とりあえず次回論文への宿題として、補記に記しておく】
「時枝誠記のジャンプ!」を可能にした「概念過程」論
すでに見てきたように、時枝は、自ら新たな「話者」概念を構築し新たな文法的視野に立つことによって、またノエマ・ノエシス理論の影響によって語の分類の土台としての大づかみな二元論的な把握の仕方、およびそのための近代的な学問としての説明の言葉を獲得することによって、「概念語(詞)」と「観念語(辞)」という語の分類についての新しい基礎的な考えかたを公表しました。時枝の新しい詞辞論の背景にノエマ・ノエシス理論があるであろうことは、すでに引用した図や記述によっても明らかですが、ここで、もう一つ、その根拠となる時枝自身の言葉を引用しておきます。
時枝が詞辞論を公表したのが1937年ですから、その前年、時枝は哲学の専門家から山内得立の解説による現象学の理論について学習していたわけです。そしてそのことによって、日本の伝統的な単語の分類の基礎についてだいぶ理解できるようになったと自ら述べています。
こうして1937年3月に発表した論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」によって新しい詞辞論を公にした時枝ですが、その際、時枝が語の分類の根拠となる最重要の論理として採用したのは、すでに述べたように「概念過程」論でした。時枝の語の二大別に採用された「概念過程」論の論理とは、一つは話者が思想内容を概念化して表現している語(=概念語)であり、もう一つは話者が思想内容を概念化せずに表現している語(=観念語)である、----これが語の分類のもっとも基礎的なものである、というものです。ところがこの「概念過程」論は、第3節で紹介したように、一部の学者から批判を受けることとなり、後年時枝は採用しなくなった論理でした。時枝は表現過程そのものが言語であると考えていたので、表現過程の相違すなわち概念過程の相違が語の性質を決定づける最重要のものとして考えられたことは分かるのですが、けれども、この「概念」というものをどうとらえるかということは人によってそれぞれ違うので、語論の二大別の最重要の論理として使うのは得策ではなかったかもしれません。
すでに第3節で紹介したように、後年の時枝にとって語の二大別の重要な論理は、話者の意識を客体化したものや、対象世界を表現した語であるか、話者の自我の世界を直接的に表現した語であるか、という論理でした。ただ、私は今回、本節を書くにあたっていろいろと調べたり考えたりした結果、時枝のこの「概念過程」論には、もう一つ重要な効能があったのではないかと推定するようになりました。
1936年後半から1937年1月にかけて、時枝はノエマ・ノエシス理論の吸収によって主体的なものと客体的なものとの合一による表現の完成という語の分類上の確固とした思想的背景を得て、語の新しい二大別としての詞辞論を公にしようと構想を練っていました。それは、「助詞助動詞」に着目して、これらを話者の自我の世界の表現、話者の主体的なもののみを表現する語として規定し、「それ以外の語」との二大別とする構想ですが、このような基本的な考えかたのもと、実際に品詞を分類していく際にもっとも難しいのは、陳述(判断)と属性表現との融合した鵺(ぬえ)的存在である「動詞」「形容詞」など「用言」の存在です。
いいかえると、時枝が新しい語の二大別を公表しようとしていたとき、最後の障壁となっていたのが、山田孝雄の主張する「用言の本質は陳述にあり」という考えかただったのかもしれません。なぜなら、用言に陳述ありとするならば文意の解釈上、「概念語(詞)」に属すると思われた「動詞」「形容詞」も「観念語(辞)」すなわち主体的な表現ということになってしまい、「助詞」「助動詞」「感動詞」「動詞」「形容詞」がすべて語の二大別の一方に所属するという明白な不均衡が生じてしまうことになってしまうからです。そこで、大きなターニングポイントとなったのが、1936年7月に脱稿した論文「国語の品詞分類についての疑点」において公にした、「用言の陳述性」についての疑問です。ここで時枝は、多くの人が信じこんでいる、「用言の陳述性」について、もう一度深く考え直してみる必要があるのではないかと気づいた可能性があります。また時枝としては、日本語の場合、文意の解釈上からも「動詞」「形容詞」は主体的な表現の系列に属するものとは思われない、すなわちそれらは「話者」以外の心理についても表現することができるので、それらに陳述(判断)が存在するとは当然思われません。ですので、「助詞」「助動詞」を主体的な表現のメインとしてとりあげようとする場合、用言すなわち「動詞」「形容詞」は何としても主体的な表現の系列から除外しなければならない、ということになります。
それで、いまだ鵺的存在である「動詞」「形容詞」を何とか「概念語(詞)」の方へ振り分けるために、時枝が使ったのが「概念過程」論だったのかもしれない、と私は思うのです。「動詞」「形容詞」は、「は」「が」「も」「だ」など「助詞助動詞」に比べると「概念」をあらわしていることは明らかなので、この「概念過程」論を使って「動詞」「形容詞」を「概念語(詞)」へ配し、「観念語(辞)」と「概念語(詞)」の数上の釣り合いも持たせ、これをもって新しい詞辞論の発表に踏み切ったのではないでしょうか? その際、概念的表現である用言に「応用的一面」として「陳述(判断)」が存在するように見えることはいったん塩漬けにして、時枝にとってもそれは一種の「観念語」と「概念語」の融合した表現であるように見えるという認識はあるけれども、今大事なのはとりあえず自分自身の新しい語の二大別としての詞辞論を公にすることであって、「用言」論の細部はのちに熟考し解決することとしたのではないでしょうか? とりあえず語の大づかみな二大別の理論を公表するに際し、「力技」的に利用されたのが、「概念過程」論だった可能性があります。そしてここに、先ほどの「補記」の存在理由があったのかもしれません。事実、先ほど述べたように、時枝は「文の解釈上」の脱稿から4ヶ月後には、「用言の陳述性」についての問題をほぼ解決させたと思われる論文「語の形式的接続と意味的接続」を発表しています。そうして、零記号を使って「用言」における「辞」の関わりかたの構造を自ら説明できるようになったあとでは、「用言」が「詞」であることを文の構造的にも論理的に説明することができるので、後年、最初に使われた「概念過程」論は使われなくなっていったのかもしれません。
このように、時枝は、直接的な契機としては、「用言の陳述性」への疑問が一つの大きな原動力となり、「助詞助動詞」を中心とする語の二大別の構想を強化して、そして実際に公にする際に重要な理論的な武器として使われたのが「概念過程」論だった、といえるのではないでしょうか?
----かつて日本の伝統的な語の分類法に拠って若き時枝が抱いた語の二大別の構想は、以上見てきたように、新しい「話者」概念を構築し、現象学の理論からの示唆をうけ新しい説明上の言葉も獲得し、なおかつ「用言の陳述性」への疑問が生じたものの新しく「概念過程」論を構築して論理的説明を強化した、この場所において、とうとう時枝はジャンプしたのです! 言語過程説の初めての公理ともいえる、「話者の主体的なもののみを表現する語」と「それ以外の語」という二大別の考えかたは、このようにして誕生したのではないか、というのが、いま現在の私の仮説です。
(2022/11/24 脱稿)
(続く)
~~~
[注]
(1) 鈴木朖『言語四種論 雅語音聲考・希雅』(勉誠社、1979年)17頁。
(2) 三浦つとむは、対象の感性的な面から離れて超感性的な面の表現が言語としての表現である、そして、言語表現がそのように対象の感性的な面から一面自由になっていることの帰結として、言語では主体的表現と客体的表現とを別々に表現できるようになったと述べています
(3) 時枝誠記「『時枝文法』の成立とその源流」(松村明ら編『講座 日本語の文法 〈1〉』【明治書院、1968年】)23頁。
(4) 山内得立『現象学叙説』(岩波書店、1929年)
(5) 『手爾葉大概抄』(福井久蔵編『国語学体系 第14巻』【厚生閣、1938年】)41頁。
(6) 時枝誠記「『時枝文法』の成立とその源流」18~19頁。
(7) 鈴木朖『言語四種論 雅語音聲考・希雅』17~18頁。
(8) 時枝誠記「『時枝文法』の成立とその源流」21~23頁。
(9) 時枝誠記『言語本質論』(岩波書店、1973年)298頁。
(10) 同上、380頁。
(11) 後年『日本文法 口語篇』(岩波書店、1950年)において時枝は、同じような図を用いて、次のような記述をしています。
このように、「対象世界」と「情意」との関係になぞらえて、「詞」と「辞」の密接な関係について語った説明であることが明白である場合はいいのですが、「文の解釈上」の「補記」のように、あの図を示したうえで、「辞」が同時に「詞」であるとも受けとれる説明がなされている場合、いろいろと想像をかき立てられます。
(12) 時枝は後年《昭和十二年三月、雑誌「文学」に「文の解釈上より見た助詞助動詞」と題する論文を発表したことは、私にとっては、背水の陣を布したも同然であつた。その前に、「文学」編輯部から依頼を受けて、それまでに鬱積してゐた私の考への何処に焦点を置くべきかに迷つてゐる内に、次号予告に発表されてしまつた関係上、止むなく四苦八苦の思ひで、辛うじて脱稿し得たものである》(時枝誠記『国語学への道』【三省堂、1957年】92頁)と語っていますが、「止むなく四苦八苦の思ひで、辛うじて脱稿し得た」とは、このへんの残された課題の存在を意識した言葉なのかもしれません。
(13) 時枝がこのように、「辞」を概念化されない「作用」としてとらえていたことが、のちに時枝が「零記号」を発見するきっかけになった可能性は大いにあると思います。
(14)時枝誠記「『時枝文法』の成立とその源流」11~12頁。
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