時枝誠記と現象学 9
第2章 詞辞論
第8節 「文の概念について」
1937年と時枝誠記
「時枝誠記伝」(1)には、言語過程説の理論を構築し、「文の概念について」などを執筆していた1937年当時の時枝について、次のような記述があります。
私たちはともすると忘れがちですが、1937年当時、時枝は現在のソウルにあった京城帝国大学の教授でした。時枝誠記が当時、朝鮮という「辺境」において、いろいろな重圧のもと、いろいろな苦悩とともに学究生活を送り、論文を書いていたことがうかがわれます。「或事件」を含め、当時時枝が抱えていた「心を悩ます出来事」については、また別の機会に触れることができればと考えています。
言語本質観と「形態部」の認識方法
時枝誠記は1937年5月3日に「語の形式的接続と意味的接続」を脱稿したのち、1937年6月1日に「言語過程に於ける美的形式について」(『文学』、1937年11月および1938年1月)を脱稿し、続けて1937年9月21日に「文の概念について(上)(下)」(『国語と国文学』1937年11月および12月)を脱稿します。詞辞論と深く関係してくるところから、ここではまず、後者のほうをとりあげることにします。「文の概念について」という論文において時枝はまず、一般的に文論の前提となっている、意味と音声との結合したものが言語であるという「言語二面観」の考えかた自体に疑義を呈し、そうした「言語二面観」の立場から展開される語や文やその形態に関する学問的体系は、それ自体がそもそも正しいものかどうか怪しいものであると問題提起します。そこで時枝は、もう一度原点に立ち返って、われわれに与えられているのは、具体的な音声や文字の連続それのみである、という立場から始めるべきではないか、と語り、このような学的状況下において、いかにして語や文やその形態を認識するべきなのか、と問いを立てます。
時枝の言語本質観は、「言語は、これを概観するならば、分裂綜合によつて展開する思想の流れを、これに対応する音声或は文字を媒材として、これを分節的に線条的に外部に表現する処の心的過程の一形式である」(「文の概念について(上)」)というものです。時枝はこのような言語本質観の立場から、文法研究の対象となる形態部の認識方法について、次のように述べます。
このような時枝の問いかけに対し、小林英夫はそれは「哲学の問題」だと返答しますが、時枝はいやちがう、「音声・文字を通して意味が先づ把握される」ことが先であると主張します。時枝のこうした内容の優位性を主張する叙述は、そもそも「音韻」というものも、表現主体の「主体的な音声意識」においてのみ識別可能であるとする『原論』での叙述(2)や、「観察的立場は、常に主体的立場を前提とすることによつてのみ可能とされる」という時枝の立場論(3)を彷彿とさせるものがあります。
ともあれ時枝はこのように、文法研究の対象となる形態部の認識においては、まず最初に文の解釈、すなわち「意味の分節と意味連関の把握」、いいかえれば「語と語との連関関係の把握」が重要であり、そこから形態部の認識を始めるべきであると主張します。そして、そのような立場から語や文の内在的な研究を行ない法則を見出そうとしたもの、いいかえれば「かかる心的過程の或る連鎖をとつて、そこに意味に従つて分節された個々の過程即ち一語と一語との相関関係の間に横たわる法則的なものを見出そうとした」のが論文「語の形式的接続と意味的接続」であったと述べます。
すでに第七節で紹介したように、時枝は「語の形式的接続と意味的接続」において、自らの言語本質観の立場から日本語の文を意味的に分析しており、そこでは、「観念語(辞)」による「添加関係」が意味的なかたまりとしての「連結的構造」を形成し、「概念語(詞)」による「統合関係」が語や句を入子型にまとめる「包合的構造(入子型構造)」を形成していると主張して、この二つの構造が絡み合い重層化を成しているところに日本語の文の意味的な面での法則性を見出そうとしていました。
過去の文論の検討
次に時枝は、過去の「文」についての学説について、ひとつひとつ簡単に考察を加えていきます。
まず最初に、言語学者シャルル・バイイの文論、すなわち「文とは判断の伝達であ」り、それは「題(thēme)」と「説(propos)」というニ項から成るという、論理的観点からつくられた文論をとりあげます。これは、いいかえれば文とは「主語」「述語」から成るという、日本語の現実にはあまりそぐわない文論です。こうした文論について時枝は、たとえば「come!」のような一語文の表現を「I commended you to come」と置き換えて文と認めるという、窮屈な説明にならざるをえなくなり、次第に説得力を失っていったと述べます。
次に時枝は、ヘンリー・スウィートの次のような言葉を引用します。
この「文とは思想の完全なる或は完結せる表現である」(「文の概念について」)という説も、日本においては、「完結と完全といふ二の概念が混同されたが為」(同上)に、「完結(complete)」の概念が実は文の条件として重要なものであるかもしれないのに、無意味なものとして葬り去られてしまったと時枝は説明します。
山田孝雄の文論・陳述論
次に時枝は、山田孝雄の有名な統覚作用論を含む文論について言及します。山田孝雄の統覚作用論、文論は次のようなものでした。
このように、山田はこれまでの論理的観点からの文論とは異なり、文の背後に表現主体の思想を想定し、そしてその思想が統合作用(あるいは統覚作用)によって統合され、まとまり、それが実際に表現されたものが文であると言います。この考えかたからすると、それまで文と認められなかった感動や希望をあらわすいわゆる体言止めの文、すなわち「喚体の句」も文と認められることになり、時枝はその点を評価します。
また、山田の文論で特徴的なのは、思想の段階で「主位の観念」と「賓位の観念」とを統合する作用、いいかえれば思想の内容を統合する作用のことを文法学上「陳述作用」と呼び、欧米の言語でいうならば「繫辞」がこれに該当するものとし、かつ日本語においてそれは述格に存すると規定したことです(なお、「主位の観念」と「賓位の観念」とが存在する一般的な文のことを山田は「述体の句」とよびます)。
時枝は山田がその文論において、思想を統合する作用を陳述作用と呼び、これがあることを文の条件とし、しかもそれが「主位の観念」とも「賓位の観念」とも別のものとして規定して、両者を統一する作用としていることについて、賛意を表しています(4)。けれども、山田が陳述作用が述格すなわち用言に存するとしたことには疑問を呈します。
「氏の図解」というのは、上に示した「主位」「賓位」「繫辞」であらわした図解をさしています。たしかに、「月明らかなり」や「花紅なり」、あるいは「山は雪か」「外は雨らしい」などにおいては、この図解のように、「主位」や「賓位」とは別にこれらのあとに「繫辞」(この場合は「なり」「か」「らしい」)が連結されているので、この「繫辞」が「陳述作用」を表現していると言うことは可能です。ところが山田は、「外は寒い」「風がそよぐ」などの例においては、「寒い」「そよぐ」など用言が属性概念とともに「陳述作用」(判断概念)をも表現していると述べているのであり、それは例の図解にそぐわないことになります。時枝はこうした矛盾を指摘して、
と述べます。このように、時枝はこの論文ですでに用言に関係する陳述という問題構成において、「用言に陳述の能力が寓せられて居る」という表現を否定するようになっており、あとでまた具体的に触れますが、用言においては陳述(判断)を「言語形式零の形に於いて累加する」(「文の概念について(下)」)という表現を用いるようになっています。前節で三浦つとむの言葉を引用して指摘したように、日本語は膠着語であり、属性の表現と判断の表現とを別々に表現する構造になっているので、用言と陳述という問題構成においては、この時枝の考えかた(零記号を含む)、すなわち用言と陳述とを分けて考える方が日本語の現実に合致しているといえるでしょう。
時枝はこのように山田の文論における陳述作用論を基本的には支持しつつも、用言と陳述との関係についての山田の考えかたには異義を唱えます。そして次に、山田の「喚体の句」(感動や希望をあらわしたりする、いわゆる体言止めに代表される文)をとりあげます。山田孝雄は「喚体の句」と陳述との関係については、次のように述べていました。
ここにいう「呼格」とは、「…文中にありて他の語と何等の形式的関係なしに立てるもの」(5)のことをさし、その名前の由来は「その対象又は対者を呼びかけて指定する」(6)からというものであり、ほとんどの場合、いわゆる名詞がこれに該当します。また、「その意識の統一点」とは、「統覚作用」のことをさしています。つまり上の引用文で山田は、おおざっぱにいうと、「体言止め」の文に代表される「喚体の句」においては、「統覚作用」は「呼格」にあると述べていることになります。ただ、厳密に、どこに統覚作用が働いているというような、具体的な記述はありません。
これに対して時枝は次のように述べます。
山田孝雄は、「喚体の句」においては、「連体格ーーー中心骨子たる体言」という構成をもって「感動」をあらわしているとしました(7) が、時枝はこのことを手厳しく批判しています。たしかに、時枝理論によれば「助詞」「助動詞」「零記号の陳述」が「感動」をあらわしているといえますが、山田の「喚体」論においては、「述体」論における「陳述」に相当する構文機能の提示がありません(8)。この点においては、時枝の指摘は的を射ているといえるでしょう。
時枝誠記の文論①――思想の表現と意識内容・意識作用
時枝誠記が音声と意味の結合したものが言語であるという「言語二面観」に疑問をもっており、自らは、思想の流れなど過程的構造をその背後にもつところの心的過程の一形式を言語として規定していたことはすでに見てきたところですが、時枝は文の本質を語るにあたって、まず言語の背後に存在する「思想」「意識内容」「意識作用」といったことを問題にします。
こうして、時枝は、文を語るにあたって、まず言語の背後に、自我の主体的な活動を想定し、意識内容と意識作用との結合したものとしての「思想」を想定します。そして「思想」の表現されたものが言語であり、文であるということになります。「言語」の学問的分析に際して自然科学的言語観を批判して人間の「表現行為」の側面を重視した(9)時枝は、「文」の学問的規定に際しても「表現行為」の過程を重要視していたといえるでしょう。ここで時枝が述べていることを理解している人は意外と少ないものと思われます。私たちは、よく辞書に記載されている「山」「行く」「楽しい」など見出しの記号を「言語」とか「言葉」と言いますが、時枝の言語本質観によると、それらは厳密にいうとその背後に上記のような人間の意識における理知的な営みが存在しないので、「言語」「言葉」ではないということになります。猫がパソコンのキーボードを叩いて表示された記号は、それがどんなに理解可能な文章だったとしても、「言語」ではないことになります。表象や概念など対象的なものと人間の判断、感情、意志など自我の活動とが合一してはじめて現実的に言語が形成されるというわけです。
時枝誠記の文論②――概念語(詞)と観念語(辞)の結合
時枝は文成立の第一条件として、次のように述べます。
第6節で見てきたように、時枝は話者の心理や主体的なもののみを表現する語(=辞)と、それ以外の主に対象世界や属性などを表現する語(=詞)とに二大別しましたが、これらの合一を文成立の第一条件とします。これによって、論理的形式以外のものも文とすることができるだけでなく、いわゆる「喚体の句」や一語文における陳述のありかたも、零記号の陳述や助詞および助動詞によるものとして合理的に説明できることになります(10)。ここでも、用言における陳述作用の説明に際し、「併有」という表現が使われておらず、用言に「自我の活動が累加されて居る」と述べられています。用言における属性表現と判断表現の「併有」説は、早くもこの段階(1937年9月21日時点)で否定されてしまっていると見てよさそうです。
また、時枝は、思想の表現はそもそも統一の意識なしには成立しえないものであるとして、思想表現の統一は観念語(辞)の「総括機能」によるものであると規定します。
文の統一という観点において、主語述語より辞すなわち主体的表現が重要であるというのは、私もそのとおりだと思いますが、けれども文末の辞の表現がそれまでの表現全体を総括しているとする考えかたは、仁田義雄氏をはじめとして批判する人も多く(11)、三浦つとむも指摘しているように、そういった考えかたはある種のフェティシズムととらえられてしまいかねず(12)、私自身は、文における主体的表現の重要性を指摘する程度でよいのではないかと思います。それよりも、私には、文の理解としての観点から、むしろ時枝の創始になる「入子型構造形式」の有用性を強調するほうがはるかに有意義であるように思われます。なぜなら、時枝の「入子型構造形式」は、文の解析において重要である、詞辞の融合したひとかたまり、あるいは複数のかたまりである「連結的構造」の可視化や、三浦つとむのいう多重世界(13)を可視化するものとして、きわめて有効なものだと思われるからです。
時枝誠記の文論③――表現の完結
時枝は文成立の二つ目の条件として、「表現の完結」ということを取り上げます。
近年の文法書では、句点から句点までのひと続きの文字の連なりを「文」とするなど極端な形式主義的な規定が見受けられます(14)が、時枝の完結ということは、その前に思想の表現と詞辞の合一という内容的な規定が存在している点で異なっているとともに、完結を明示する辞の表現形式すなわち多くの場合辞の「終止形」を伴うものであるとしているところが異なります。
また、時枝は文の完結ということに絡めて、次のような興味深い発言をしています。
時枝は例として、「おい娘、兵士が一人来たらう」という文を挙げ、このまま「らう」を推量の表現と同時に疑問の表現としても使う場合は、「尻上がりの抑揚」を累加させる必要があるが、問いかけの終助詞「か」連結させて「来たらうか」とすれば、通常の平坦な抑揚で完結させることができると述べています。ここから推測されることは、日本語においては、断続の関係を明示する語形式の発達によって、さらにいえば多種多様な助詞助動詞の発達によって、言語としての主体的表現の多種多様な発達へとつながると同時に、その反面ジェスチャーや抑揚など非言語表現としての主体的表現の発達がその他の形態の言語に比べて抑制されたのではないか、ということです。逆にいえば、日本語の表現力を豊かにしようとするならば、助詞助動詞など主体的表現の表現力を重点的に磨けばよいのではないかということになります。このへんはまた別の機会に論じてみたい、興味深い論点だと思います。
現象学の影響について
さきほど、文末の辞がそれまでの表現内容を総括するという時枝独自の「総括作用」論について少し触れましたが、時枝独自のこの「総括作用」論あるいは「総括機能」論の背景にあるかもしれないであろう山内得立(やまうちとくりゅう)による現象学の記述を次に挙げておこうと思います。
「表象作用」のように単にあるものを指示するだけでなく、判断の種々相を措定する作用である「措定作用」、何らかの「信念的性質」を有するところの「措定作用」について語られていますが、時枝の言語過程説においては、この「措定作用」的なものとして「総括作用」が語られていたのかもしれません(まだ確信をもって言うことはできませんが)。
また、「表象と判断とは心的作用としても全く別種の領域に属し…」の部分などは、時枝が「文の解釈上より見た助詞助動詞」にて新しい語の二大別の理論である新しい詞辞論を発表するに際し、その理論的根拠のひとつともなりえた可能性があると思います。
さらにもう少し、時枝の「総括作用」論、「総括機能」論に関係している可能性のある山内得立の記述を紹介しておこうと思います。
時枝は「文の形式的接続と意味的接続」において、文の内容を総括するところの辞(観念語)による「総括機能」論を展開していましたが、「総括機能」論を展開するうえで、ここで山内得立が述べている、ひとつひとつの「表象的措定作用」を綜合するところの綜合的な措定作用である「綜合作用」という概念から、なにがしかのヒントを得ていた可能性はあると思います。ちなみに、こうした山内現象学が現在の現象学研究においてどのように位置づけられているのか、私はまったく把握していません。ただ、時枝誠記が1930年代の後半に言語過程説の理論を構築する際、特に「陳述作用」論や「総括機能」論を展開するにあたり、当時の山内得立の「現象学叙説」のこういった記述内容に少なからぬ影響を受けた面があるのではないか、とは考えています。
また、時枝の「文の概念について(下)」には、
という部分がありますが、この「志向的感情」の部分は、『原論』へ転載されるにあたり「主体的感情」と書き改められています(15)。総じて時枝は、『原論』をまとめる1940年から1941年にかけての段階においては、現象学的痕跡をなるべく消すように努力していたフシがあります(もっとも、時枝は後年、現象学からの影響について公言するようになっていたため、一時的なものと思われますが)。こうした、1930年代後半の論文と『原論』におけるそれらの内容的な異同の問題については、また別の場所で取り上げて考察してみようと思います。
(2023/3/13 脱稿)
(続く)
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[注]
(1)鈴木一彦「時枝誠記伝」(明治書院企画編集部編『日本語学者列伝』【明治書院、1997年】所収)。
(2)時枝誠記『国語学原論』25~33頁。文庫版『原論(上)』42~50頁。
(3)時枝誠記『国語学原論』29頁。文庫版『原論(上)』45頁。
(4)山田孝雄の「句」論の内容は実質的に文論とみて差し支えないものと思われます。石神照雄「文研究の論理」(石神『日本語文法 体系と方法』【ひつじ書房、1997年】所収)参照。
(5)山田孝雄『日本文法論』【宝文館、1908年】806頁。
(6)同上。
(7)山田孝雄『日本文法学概論』【宝文館、1936年】945頁。
(8)石神照雄氏は、「文に於ける呼格と述格」(『信州大学人文科学論集 33』【コミュニケーション学科編、1999年3月】)において、山田孝雄の「喚体の句」論において「陳述」に該当する構文機能の提示がないことについて、次のように述べています。
そして、石神氏は、「喚体」の場合の統覚作用「X」は、山田自身としては、「感動」として現れていると見做していたのではないかと問題提起しています。
(9)時枝誠記『言語本質論』【岩波書店、1973年】304~308頁。
(10) ただし、時枝は『日本文法 口語篇』【岩波書店、1950年。183頁】では助詞に陳述機能を認めなくなっています。文庫版(『日本文法 口語篇・文語篇』【講談社学術文庫、2020年】)223頁参照。
(11)仁田義雄(にったよしお)「時枝文法における文認定」【大阪外国語大学学報、1978年3月】。
(12)三浦つとむ『言語過程説の展開』【勁草書房、1983年】475頁。
(13)三浦つとむ『日本語の文法』【勁草書房、1975年】266~274頁。
(14)田近洵一『くわしい国文法 中学1~3年』【文英堂、1993年】11~12頁。
(15)『原論』349頁。文庫版『原論(下)』49頁。
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