時枝誠記と現象学 5
第2章 詞辞論
第4節 「語の意味の体系的組織は可能であるか」
「話者」の思想に還る
時枝誠記は1933年の古語注釈関係の論文「古語解釈の方法」(1)においてすでに、古語の意味の客観的な理解のためには、個々の語の着実な追体験を試みるべきであり、そのためには用法上の類別を数多く行わなければならないという考えを述べていました(2)。それから約2年半後、1936年3月発表の論文「語の意味の体系的組織は可能であるか」(3)においては、語の意味の研究について、これまでのように語を分解して解釈したり、「本義正義」に基づいて解釈したりする方法ではなく、本居宣長がそうしたように、話者の思想に立ち返り、《(語を)それ自身を不可分の統一体とし、用例に基き、帰納的に語の意味を決定しようとする態度》(4)(「体系的組織」)で、解釈に先行してなるべく多くの用例の蒐集を目指す旨を宣言しています。
また、時枝はその際、用例の類別(この場合は形容詞ですが)はなるべく細かく分け、語相互間の機能的な関係の変化による影響にも心を配るよう自戒しています。これだけでも、本稿がかなり強い意気込みのもとで書かれたものであることが分かります(ちなみに実際の用例の蒐集や解釈の作業は、『源氏物語』や『枕草子』などの古典を研究対象として行われています)。時枝は1933年12月に論文「国語学の体系についての卑見」(5)において、表現や理解など動的な過程を重視した言語本質観を堅持する考えを公にしていましたが、本稿はその後書かれたはじめての論文だったので、自らの言語本質観の立場から語の意味の問題を本格的に追究しようという強い意気込みだったのかもしれません。
日本語の形容詞と対象語
日本語の形容詞は、しばしば主語が省略されたかたちで単独で使われもするし、たとえ主語らしきものがあったとしても、名詞を修飾したり、接続する用言に対して副詞的に使われていたり、意味の理解に困難な場合が数多く存在します。たとえば、
この花は赤い
この本は面白い
という例文において、通常は「赤い」「面白い」の主語は「この花」「この本」とされますが、時枝は意味の理解を重視する立場からは必ずしもそうとはいえないのではないかと注意を促します。たしかに、「赤い」は「この花」の状態を述べているので、「この花」は「赤い」という属性の保有者として主語といえそうですが、「この本」は「面白い」の主語といえるでしょうか。
私はこの本が面白い
この場合も、「面白い」の主語は「私」であるか「この本」であるか、判別は難しいと時枝はいいます。以下、引用です。
このように時枝は、形容詞にあらわされる情意や属性の対象、あるいはそれら情意や属性の機縁となった語を「対象語」として規定します(対象語は、複数の語が連なって句を形成している場合もあります)。そうして時枝は、このように主語や対象語を探したり想定したりすることで、形容詞の意味の理解が深まるのではないかと期待しています。
たしかに、たとえば、
風は暖かい
昔は懐かしい
などにおいても、「風」「昔」はそれぞれ「暖かい」「懐かしい」の対象語だとすると、では主語はなんだろうとか、形容詞の意味は状態性のものだろうか情意性のものだろうか、など意味を理解するためのさまざまな意識が働きやすくなるというメリットはあるかもしれません。ましてや用例蒐集とその解析の結果、なにかしら法則的なものが明らかになれば、それは意味解析研究の発展の上で大きな貢献となることが期待されます。
情意性意味と状態性意味
対象語について措定を行なったあと、時枝は形容詞に見られる2種類の意味について説明します。
以上の時枝の言説をまとめると、①「主語」や「対象語」を特定あるいは想定すること、②形容詞の意味が「情意性のもの」か「状態性のもの」かを特定あるいは想定すること、この2点を合わせ熟考することで、より深い古語の理解に到達することができる、ということになります。そして、時枝は次のような例外的な事象を説明したうえで、対象語を絡めた、ある文法的な法則のようなものを公にします。
対象語とされるものが「模様」や「祭」のように感情表現の主語となりえない語である場合、当然それの述語的形容詞は状態性意味になるわけです(なぜならその対象語=主語は感情表現の主語とはなりえないから)が、ここまで明確な言葉で定式化してもらうと文法研究上貢献するところ少なくないものと思われます(9)。
「想像思惟」による意味の変化
時枝によると、日本語の形容詞には情意性意味と状態性意味とを併有しているものが数多くあるということでしたが、その場合の意味の推定を行なうためには、形容詞と対象語の関係をヨリ深く追究しなければならないとして、次のように述べます。
たしかに、私たちの実際の言語表現の過程を思い返してみても、ある対象を媒介として回想や思惟が働き、個別の体験を思い浮かべ、そこから個別の感情的表現が成立するということはあると思います。実際私も、かりにライオンを例にとった場合、情意性意味を以て「ライオンは恐ろしい」と言ってしまうかもしれません。というのも、かつて私は、タレントの松島トモ子さんが自らがライオンに噛まれたときの話をしているテレビ番組を見たことがあり、そのとき私は「人間に馴れたライオンでも噛むことはあるんだ、やっぱりライオンは怖い」と想像したことがあるので、そうした実体験的な「想像思惟」のため、情意性意味を以て「ライオンは恐ろしい」と言ってしまう可能性があると考えたわけです(この場合の「は」は係助詞ではなく、副助詞になると思います)。
「文」に接続する形容詞
また、時枝は古語の「をかし」という形容詞を例にとって、たとえば「祭の頃はをかし」(枕草子)という場合、「をかし」の対象は祭りの際に経験したさまざまな思い出の上に構成されており、「をかし」の対象は「或対象に志向する心の働きそれ自体である」場合もあると言い、次のように述べます。
ここでの時枝の意識は、「をかし」という形容詞表現の背後に存在する、対象に対する話者の心のありかた・働きかたに向けられます。そしてここで、時枝の論文において初めて「志向」という現象学の影響色濃い用語が出てきます。ちなみに、本稿(「体系的組織」)において時枝は「志向」という用語は2回、「主体」という用語は7回使用しています。若干現象学の影響は見られるといえるでしょうが、まだそれほど強い影響とまではいえないでしょう(12)。
ここで私が注目したのは、時枝が「をかし」の対象は「彼の顔」ではなく、「彼の顔は猿に似たり」という文的なものであり、しかもそこに判断がある、と述べている箇所です。このとき時枝はまだ、陳述に関しては山田孝雄の理論の影響下にあったためか、用言(形容詞)における陳述(判断)性を強く意識した表現となっています。1937年3月発表の論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」では、時枝は文や文的なものに接続するのは助詞助動詞であるとはっきり述べており(13)、また1937年8月発表の論文「語の形式的接続と意味的接続」では、基本的に文や文的なものに接続して陳述作用のあるのは助詞助動詞であり、一見用言に陳述作用があるように見えるものは、「…話者に於いて、或る事実について思想の統一のあることが、用言に寓せられて居ると見るべきである」(「語の形式的接続と意味的接続」。太字は引用者)と述べています。そう考えてみると、時枝独自の統語論、陳述論というのは、この1936年3月発表の論文「体系的組織」の段階では、まだ成立していなかったことが分かります。
詞辞論の原型としての「話者の情意」「話者の叙述面」
時枝は本稿で、形容詞の連用形副詞格には次の3通りの場合があると述べています。
以上の3つの場合のうち、主語を想定して理解しなければならないのは「二」と「三」の場合ですが、時枝は、これらは主語を動詞と同じものとして想定するか否かによって文意に異同があらわれてくるが、いまだたしかな想定方法を自ら手にしていないことを述べ、とりあえず「三」の場合について考察していくとして、次のように述べます。
さきほど私は、本稿において時枝がまだ用言(形容詞)の陳述性を認めていた箇所を紹介しましたが、ここでも、「淋しく(話者の情意)」とあることからも分かるように、「淋しく」全体が話者の情意をあらわしていると時枝が認めていることが分かります。もちろんここでの時枝はまだ詞辞論は構築しておらず、ここにいう「情意」は、形容詞という属性表現の語と結びついています。けれども、ここですでに、「話者の情意」という主観的なものと「話者の叙述面」という客観的なものの融合したものが「文」であるという、のちの言語過程説成立時における時枝の詞辞論の原型のような考えかたが垣間見られることは特筆すべきことといってよいでしょう。時枝が本稿を脱稿したのが1935年8月、最初に詞辞論を公表した論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」を脱稿したのが1937年1月です(16)ので、この1年5ヶ月の間に、詞辞論の本格的な発想を思いつき、そうしてここにいう「話者の情意」は助詞助動詞など「観念語」(=辞)へと託されることになるわけです。「文の解釈上より見た助詞助動詞」における「観念語概念語」論は、形容詞の「情意性意味」と「状態性意味」という問題構成からの発展形としての詞辞論だった可能性はあると思います(もちろんその発展の過程には、このあと検討する時枝の「国語の品詞分類についての疑点」や現象学の理論も何らかのかたちで関わってはくると思います)。
また、時枝は「三」の場合の例として、次のような考察も行なっています。
時枝はこの源氏物語の例では、通説とちがって主語を紫式部(= 話者)と想定して意味を理解しており、たしかに時枝の意味の理解のほうが話の流れとしては自然な感じがします。この例では、連用形副詞格に3通りの場合を想定して、論理的な反省を試みたことが生きたかたちとなっていると思われます。ちなみにこのあたりから、主語を想定する場合に想定した主語が実は「話者」だったということが増えており、時枝は「主語」とも「主格」とも違う「話者」という概念の特殊性に気づきはじめてきているのではないかと思われます。また、いま見た引用文にも「話者の情意の表現」という記述があり、時枝独自の「話者」概念の成立が刻々と近づいてきていることを予感させます。
「意味的接続関係」への萌芽
本稿の最後で時枝は、修飾格や述語格を保持する形容詞の連体形について考察を深めています。「体言に対して其の属性観念を以て装定せむが為に其の真上に置かれるもの」(18)(「体系的組織」)の一例として、時枝は次のように述べます。
以上の引用から、本稿の段階で時枝がすでに、のちに論文「語の形式的接続と意味的接続」(1937年)において展開される「意味的接続」関係の一端の認識に到達していたことが分かります。そこで時枝は、上のような理解を「統合関係」(「概念語=詞」の範疇の接続関係)のなかの一つの類型、「用言の連体形と体言」として類別しています(20)
そして、そうした「意味的接続」関係の探求はその後さらなる発展を遂げて、1939年3月発表の論文「言語に於ける単位と単語について」(22)において、入子型構造形式として図式化され、一応の完成をみることになります。
----以上、1936年に発表された時枝誠記の論文「語の意味の体系的組織は可能であるか」の内容を大まかに検討しつつ、語論や統語論における時枝のこの時期の認識のありかたを見てきましたが、のちの言語過程説の語論や統語論につながるところの、萌芽的な理論的記述があちこちに見られ、「文の解釈上より見た助詞助動詞」の前の段階の、準備的な労作としての一面も確認することができたと思います。
「話者」と「主語」
「主語」でも「主格」でもない、本稿で多く使われた「話者」という用語は、時枝の詞辞論構築の際に大きく関わっている概念であり、詞辞論を発表した論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」(1937年3月)では22回、本稿「体系的組織」(1936年3月)では14回使われており、その点から考えても本稿が時枝独特の「話者」(のちに主体)概念構築のための重要な通過点だったことが分かります(23)。つまり、本稿において形容詞に絡めて「話者」「主語」「対象語」についていろいろと重ねた論考は、たしかに未完成のものだったかもしれませんが、ここでえた知見はたしかに次へのステップになっているものと思われます。
----ここに、『国語学原論』からこの「話者」概念の完成形ともいえる「主体」に関する叙述を引用しておきます。時枝は「言語の存在条件」として「主体」「場面」「素材」の3つを措定してから、「主体」について次のように述べます。
これをよく読むと、「言語の主体は、語る処の主体であつて」と書いてあることからも分かるように、「主体」とは実は「話者」概念を言い換えたものです。「主語」はよく、「文法上、述語に対し、それが表す動作・作用を持つものを表した語」(24)などと言われますが、それは語るところの主体ではなくて、「述語」などと同格の「文」の中の成分であり、時枝のいう「話者」とはまったく違う概念です。日本語の構造は「主語」を簡単に省略できるようになっているので、古語を中心につねに「主語」「対象語」などとにらめっこしながら意味的な文法解析を繰り返し行なっていた時枝にとっては、逆に一人称とは違う「話者」という概念に到達しやすかったという面はあるかもしれません。私たちはよくこの「話者=主体」概念の説明をさらりとしがちですが、文法的な範疇にはない「語る人」を含めて合法則的な言語理論を構築することは、難しく、やはり時枝の努力と能力とその独特の言語本質観のなせる業であり、誰にでも簡単にできる発見ではないとは思います。
「文の解釈上より見た助詞助動詞」と「体系的組織」における「話者」概念のちがい
では、時枝がこの語るところの主体である「話者」概念に到達したのは、いつ頃のことだったのでしょう? それはやはり、「文の解釈上より見た助詞助動詞」(19373月発表)においてのことでした。
以上のように、「文の解釈上より見た助詞助動詞」という論文の段階では、用語は違えど、明らかに時枝は『原論』における「主体」論と同じ内容の「話者」論に到達しています。ここでいう「話者」という概念は、「主語」「述語」「対象語」などという「文」の中の範疇の概念ではなく、「文」という範疇から突き出た概念となっています。こうして、「文」の外の「話者」という視点をえることによって、時枝は広大な文法的視野を獲得することができたといえるでしょう。なぜなら、このような知見は、「では、話者の立場を表現する語とはどのような性質があり、またどのような品詞が該当するのであろうか?」などと、それに付随して発展させられうる、さまざまな理論的範疇が展望されうるからです。
一方、本稿「体系的組織」における時枝の「話者」認識は、まだ「主語」「主格」などと同じレベルのものとして認識されており、「文」の範疇に収まっています。そのことは、『枕草子』の「嬉しくも 降り積みたるかな」(春曙抄)について、時枝が《…「嬉しく」の主語は話者清少納言。此の叙述面の主語「雪」とは異主格で全く挿入されたものである》(28)(「体系的組織」)と述べていることからも知ることができます。この時点の時枝は、まだ「主語」と「話者」を入れかえ可能な概念としてみていたわけです。ただ、ここでの注釈作業や解析が、新しい「話者」概念到達へのひとつの道しるべになっていることはまちがいないものと思われます。
(2022年10月12日脱稿)
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[注]
(1) 時枝誠記「古語解釈の方法—さるはを中心として--」(『国語・国文』1933年9月)
(2) 同上。(『言語本質論』[岩波書店、1973年]196頁)
(3) 時枝誠記「語の意味の体系的組織は可能であるか—この問題の由来とその解決に必要な準備的調査--」(京城帝大文学会論纂第二輯日本文学研究の中【京城大坂屋号書店発行】)
(4) 『言語本質論』209頁。
(5) 時枝誠記「国語学の体系についての卑見」(『コトバ』1933年12月)
(6) 『言語本質論』215~216頁。
(7) 『言語本質論』218~219頁。
(8) 『言語本質論』220~221頁。
(9) 「主語」と「対象語」の関係はあくまで相対的なものであり、確実な判定方法というものではなく、今現在、教育の現場でもあまり使われてはいないようです。
(10) 『言語本質論』223頁。
(11) 『言語本質論』225~226頁。
(12) 時枝誠記「言語過程説の基礎にある諸問題」(松村明ら編『講座 日本語の文法 〈別巻〉』明治書院、1968年)によると、時枝が初めて山内得立著『現象学叙説』を読んだのは、1929年から1931年にかけての頃だったということです。読んではいるけれども、まだそれほど強い影響は受けていない時期だったと思われます。
(13) 時枝誠記「文の解釈上より見た助詞助動詞」(『文学』1937年3月)(『言語本質論』276頁、297頁)
(14) 『言語本質論』237~238頁。
(15) 『言語本質論』238~239頁。太字は引用者)
(16) 「体系的組織」も「文の解釈上より見た助詞助動詞」も、末尾に脱稿の日付の記載があります。
(17) 『言語本質論』240頁。
(18) 『言語本質論』242頁。
(19) 『言語本質論』243頁。
(20) 時枝誠記「語の形式的接続と意味的接続」(『国語と国文学』1937年8月)。ちなみに「体系的組織」の段階では、「観念語=辞」の範疇の「添加関係」の認識にはまだ到達していません。
(21) この段階の時枝は、用言の連体形や連用形に続く単純な肯定判断の零記号を想定することができていなかったようです(時枝の詞辞論によると、本来は、「暖い■春」「流るる■水」「はげしく■打つ■」となります)。
(22) 時枝誠記「言語に於ける単位と単語について」(『文学』1939年3月)
(23) ちなみに、1933年に発表された注釈関係の論文「古語解釈の方法--『さるは』を中心として--」(『国語・国文』1933年9月)では、「話者」という用語は1回も使われていません。
(24) 「Google日本語辞書」(Oxford Language)
(25) 『言語本質論』274~275頁。
(26) 『言語本質論』276頁。
(27) 『言語本質論』279頁。
(28) 『言語本質論』239頁。
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