時枝誠記と現象学 5


第2章 詞辞論


第4節 「語の意味の体系的組織は可能であるか」


「話者」の思想に還る

 時枝誠記は1933年の古語注釈関係の論文「古語解釈の方法」(1)においてすでに、古語の意味の客観的な理解のためには、個々の語の着実な追体験を試みるべきであり、そのためには用法上の類別を数多く行わなければならないという考えを述べていました(2)。それから約2年半後、1936年3月発表の論文「語の意味の体系的組織は可能であるか」(3)においては、語の意味の研究について、これまでのように語を分解して解釈したり、「本義正義」に基づいて解釈したりする方法ではなく、本居宣長がそうしたように、話者の思想に立ち返り、《(語を)それ自身を不可分の統一体とし、用例に基き、帰納的に語の意味を決定しようとする態度》(4)(「体系的組織」)で、解釈に先行してなるべく多くの用例の蒐集を目指す旨を宣言しています。

 また、時枝はその際、用例の類別(この場合は形容詞ですが)はなるべく細かく分け、語相互間の機能的な関係の変化による影響にも心を配るよう自戒しています。これだけでも、本稿がかなり強い意気込みのもとで書かれたものであることが分かります(ちなみに実際の用例の蒐集や解釈の作業は、『源氏物語』や『枕草子』などの古典を研究対象として行われています)。時枝は1933年12月に論文「国語学の体系についての卑見」(5)において、表現や理解など動的な過程を重視した言語本質観を堅持する考えを公にしていましたが、本稿はその後書かれたはじめての論文だったので、自らの言語本質観の立場から語の意味の問題を本格的に追究しようという強い意気込みだったのかもしれません。

日本語の形容詞と対象語

 日本語の形容詞は、しばしば主語が省略されたかたちで単独で使われもするし、たとえ主語らしきものがあったとしても、名詞を修飾したり、接続する用言に対して副詞的に使われていたり、意味の理解に困難な場合が数多く存在します。たとえば、

  この花は赤い
  この本は面白い

という例文において、通常は「赤い」「面白い」の主語は「この花」「この本」とされますが、時枝は意味の理解を重視する立場からは必ずしもそうとはいえないのではないかと注意を促します。たしかに、「赤い」は「この花」の状態を述べているので、「この花」は「赤い」という属性の保有者として主語といえそうですが、「この本」は「面白い」の主語といえるでしょうか。

  私はこの本が面白い

 この場合も、「面白い」の主語は「私」であるか「この本」であるか、判別は難しいと時枝はいいます。以下、引用です。

《…国語には、独逸語の如き格変化がなく、又助詞そのものも、必ず主語にのみ伴ふといふ様な限定されたものが無い。従つて今の場合、「私」「この本」の何れに就いて見ても、何れが主語でなければならないといふ明かな法則は見出せないのである。初めの例について見ても「この本は面白い」に「私」が省略されて居ると見ることも差支へない。そして、今の場合、主語の決定如何によつて、「面白い」といふ語の意味に二の面があることが分る。若し「私」を主語とするならば、「面白い」は「私」の気持ちを表はしたことになり、若し、「この本」を主語とするならば、「面白い」は「この本」の属性を表はしたことになる。この様に、気持ちを表はす意味と、状態を表はす意味とが合体して一語を以て表はされるといふことは国語形容詞の或るものに就いて注目すべき現象であると思ふ。そこで今の場合、「私」「この本」の何れを主語となすのが、此の語の適当な理解であらうか。この事を理解する為には、次の「対象語」なる観念を導入する事によつて一層明らかになるであらう。
  私はこの本が面白い
に於いて、「この本」は「面白い」といふ感じを起こさせた機縁となり、対象となつた語であつて、「面白い」といふ感情は、「面白い」といふ属性を持つた「この本」の然らしめた処である。この様に解釈して、私は「面白い」の主語は「私」であり、対象語を「この本」と考へるのである。
  彼は面白い
右の例に於いては、主語の決定の仕方によつて、意味が相違して来る。「彼」を主語とするならば、「面白い」は「彼」の有する気持ちであり、彼が何物かに就いて面白く感じて居る事を意味する。若しここに省略された「私」を主語と考へるならば、「彼」は対象語たる位置を持ち、私が彼に就いて面白く感じて居ることを意味する。「彼」は「私」に面白い感じを起こさせた対象であり、機縁である。即ち彼はその性格に於いて、滑稽味とか洒脱味とかを備へて居ることを意味する》(6)(体系的組織」)

 このように時枝は、形容詞にあらわされる情意や属性の対象、あるいはそれら情意や属性の機縁となった語を「対象語」として規定します(対象語は、複数の語が連なって句を形成している場合もあります)。そうして時枝は、このように主語や対象語を探したり想定したりすることで、形容詞の意味の理解が深まるのではないかと期待しています。

 たしかに、たとえば、

  風は暖かい
  昔は懐かしい

などにおいても、「風」「昔」はそれぞれ「暖かい」「懐かしい」の対象語だとすると、では主語はなんだろうとか、形容詞の意味は状態性のものだろうか情意性のものだろうか、など意味を理解するためのさまざまな意識が働きやすくなるというメリットはあるかもしれません。ましてや用例蒐集とその解析の結果、なにかしら法則的なものが明らかになれば、それは意味解析研究の発展の上で大きな貢献となることが期待されます。

情意性意味と状態性意味

 対象語について措定を行なったあと、時枝は形容詞に見られる2種類の意味について説明します。

《…形容詞の主語と対象語との問題は、延いて、形容詞の或るものには、情意性意味と状態性意味の二面が存する事を教へるもので、情意性意味はその情意の主体に属し、状態性意味は、対象の属性に所属し、多くの形容詞は此の二面の意味を持つ。
  虎は恐ろしい
  お正月は楽しい
  秋は淋しい
皆同様に、主語の情意と共に対象の或る属性を意味して居る。処が或る形容詞は、単に状態性意味のみを示し、これに対応する主観の情意を示さないことがある。例へば、
  この花は赤い
  あの山は高い
  流れが速い
これに反して、或る形容詞は、情意性意味のみを表はし、これに対応する対象の状態を示さないことがある。
  故郷が恋しい
  水がほしい
  栄達が望ましい》(7)(「体系的組織」)

 以上の時枝の言説をまとめると、①「主語」や「対象語」を特定あるいは想定すること、②形容詞の意味が「情意性のもの」か「状態性のもの」かを特定あるいは想定すること、この2点を合わせ熟考することで、より深い古語の理解に到達することができる、ということになります。そして、時枝は次のような例外的な事象を説明したうえで、対象語を絡めた、ある文法的な法則のようなものを公にします。

 《秋の夕暮れは淋しい
  歓楽の後は淋しい
右の淋しいは多くの他の用例と共に情意性意味を表して居ることは明らかである。処が、
  この模様は淋しい
  今年の祭は淋しい
右の淋しいは前例と比較して、どうしても情意性意味を持つたものとは解せられない。純然たる属性を示して居るに過ぎない。それは、全く、「赤い」「高い」等の形容詞と同等で、従つて属性の保有者である「模様」「祭」が主語の位置になるのである。これは形容詞の意味変化—情意性意味より状態性意味へ—に伴ふ当然の結果であるといひ得る。此の一の意味の移動の現象を解釈の技術の側から結論するならば次の様に云ひ得るであらう。
 
「対象語の位置にあるものを主語とする時は、その述語的形容詞は、対象の属性を示す状態性意味のみを以て解釈する」
即ち淋しい感を起こさせる種々な対象の属性が、例へば、沈鬱であるとか、単調であるとかいふ様な属性が今の場合の意味を専有することになる》(8)(「体系的組織」)

 対象語とされるものが「模様」や「祭」のように感情表現の主語となりえない語である場合、当然それの述語的形容詞は状態性意味になるわけです(なぜならその対象語=主語は感情表現の主語とはなりえないから)が、ここまで明確な言葉で定式化してもらうと文法研究上貢献するところ少なくないものと思われます(9)。

「想像思惟」による意味の変化

 時枝によると、日本語の形容詞には情意性意味と状態性意味とを併有しているものが数多くあるということでしたが、その場合の意味の推定を行なうためには、形容詞と対象語の関係をヨリ深く追究しなければならないとして、次のように述べます。

《…対象語は形容詞と如何なる関係に於いて繋りがあるかを見るに、此の関係は常に必しも同一ではない。
  虎は恐ろしい
「虎」と「恐ろしい」との関係は、或る場合には「虎」の持つ属性が直に「恐ろしい」といふ情意に対応する。此の場合は理解が簡単である。「秋の夕暮は淋しい」「祭の後は淋しい」の如きも同様である。処が、対象語と形容詞の意味の関係は、この様に密接な関係ばかりでなく、単に機縁として繋れて居ることがあることは注目すべきことである。即ち或る対象を機縁として、そこから起こる種々な想像思惟を仲介として結ばれることがある。「虎は恐ろしい」といふ場合でも、「虎」を機縁として、虎の猛烈な攻撃力を考へ、自己に与へる危害といふ様なものを想像することによつて恐ろしいといふ感情を得る場合がある。従つて屡々全く矛盾した様な対象と感情の結合や、又距離の非常に懸離れた結付きをなして居ることが存在する。それは全くその場合に於ける主観と対象との特殊なる意味関係によつて成立するのである》(10)(「体系的組織」)

 たしかに、私たちの実際の言語表現の過程を思い返してみても、ある対象を媒介として回想や思惟が働き、個別の体験を思い浮かべ、そこから個別の感情的表現が成立するということはあると思います。実際私も、かりにライオンを例にとった場合、情意性意味を以て「ライオンは恐ろしい」と言ってしまうかもしれません。というのも、かつて私は、タレントの松島トモ子さんが自らがライオンに噛まれたときの話をしているテレビ番組を見たことがあり、そのとき私は「人間に馴れたライオンでも噛むことはあるんだ、やっぱりライオンは怖い」と想像したことがあるので、そうした実体験的な「想像思惟」のため、情意性意味を以て「ライオンは恐ろしい」と言ってしまう可能性があると考えたわけです(この場合の「は」は係助詞ではなく、副助詞になると思います)。

「文」に接続する形容詞

 また、時枝は古語の「をかし」という形容詞を例にとって、たとえば「祭の頃はをかし」(枕草子)という場合、「をかし」の対象は祭りの際に経験したさまざまな思い出の上に構成されており、「をかし」の対象は「或対象に志向する心の働きそれ自体である」場合もあると言い、次のように述べます。

《もつと具体的に言えば、
彼の顔は猿に似てをかし。
に於いては、「彼の顔」が「をかし」と云ふ感情の対象であると解すべきでなく、又「をかし」の意味を、猿に似た彼の属性に求むべきでなく、「をかし」の対象は、「彼の顔は猿に似たり」と云ふ判断に求めなければならない。此の場合、「彼の顔」の存在の仕方は、即ち、「彼の顔」を対象としてそれに志向する話者の心の働きと合致し、そこに、「をかし」の直接的な対象が構成されるのである》(11)(「体系的組織」 太字は引用者)

 ここでの時枝の意識は、「をかし」という形容詞表現の背後に存在する、対象に対する話者の心のありかた・働きかたに向けられます。そしてここで、時枝の論文において初めて「志向」という現象学の影響色濃い用語が出てきます。ちなみに、本稿(「体系的組織」)において時枝は「志向」という用語は2回、「主体」という用語は7回使用しています。若干現象学の影響は見られるといえるでしょうが、まだそれほど強い影響とまではいえないでしょう(12)。

 ここで私が注目したのは、時枝が「をかし」の対象は「彼の顔」ではなく、「彼の顔は猿に似たり」という文的なものであり、しかもそこに判断がある、と述べている箇所です。このとき時枝はまだ、陳述に関しては山田孝雄の理論の影響下にあったためか、用言(形容詞)における陳述(判断)性を強く意識した表現となっています。1937年3月発表の論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」では、時枝は文や文的なものに接続するのは助詞助動詞であるとはっきり述べており(13)、また1937年8月発表の論文「語の形式的接続と意味的接続」では、基本的に文や文的なものに接続して陳述作用のあるのは助詞助動詞であり、一見用言に陳述作用があるように見えるものは、「…話者に於いて、或る事実について思想の統一のあることが、用言に寓せられて居ると見るべきである」(「語の形式的接続と意味的接続」。太字は引用者)と述べています。そう考えてみると、時枝独自の統語論、陳述論というのは、この1936年3月発表の論文「体系的組織」の段階では、まだ成立していなかったことが分かります。

詞辞論の原型としての「話者の情意」「話者の叙述面」

 時枝は本稿で、形容詞の連用形副詞格には次の3通りの場合があると述べています。

《 一、用言の属性の摘出
  二、用言と同じ主格を想定し得る述語格を以てする意味の限定
  三、用言と異る主格を想定し得る述語格を以てする意味の限定
一は例へば、
  水清く流る
  花美しく咲く
の如く、「清く」「美しく」は夫々「流る」「咲く」等の用言の属性を摘出して意味を限定する。
二は例へば、
  子供が面白く遊んで居る
  彼は淋しく故郷を去つた
の如く、「面白く」「淋しく」の主語は、夫々「遊んで居る」「去つた」等の動詞と同主格で、動作に伴ふ同主体の情意である。
三は例へば、
  彼はなんでもない事でも面白く話します
  雨が淋しく降つて居る
の如く、「面白く」「淋しく」は「話します」「降つて居る」等の動詞の主語とは別の主語に属する情意であつて、第二の場合とは全然異る。而も第二と第三とは共に主語を想定して理解すべきものであるに拘はらず、主語を動詞と同主格にするか、異主格にするかによつて、文意の上に異同が現れて来る》(14)(「体系的組織」)

 以上の3つの場合のうち、主語を想定して理解しなければならないのは「二」と「三」の場合ですが、時枝は、これらは主語を動詞と同じものとして想定するか否かによって文意に異同があらわれてくるが、いまだたしかな想定方法を自ら手にしていないことを述べ、とりあえず「三」の場合について考察していくとして、次のように述べます。

《…(「雨が淋しく降つて居る」を分析して【引用者注】)「雨が降つて居る」は、話者の叙述面であつて、事実の記述である。「淋しく」は事実を対象とする話者の情意で、叙述面に対しては挿入された形のものである。この第三の場合を図に表はすならば、
  雨が     降つて居る(話者の叙述面
     淋しく(話者の情意)      》(15)(「体系的組織」。太字は引用者)

 さきほど私は、本稿において時枝がまだ用言(形容詞)の陳述性を認めていた箇所を紹介しましたが、ここでも、「淋しく(話者の情意)」とあることからも分かるように、「淋しく」全体が話者の情意をあらわしていると時枝が認めていることが分かります。もちろんここでの時枝はまだ詞辞論は構築しておらず、ここにいう「情意」は、形容詞という属性表現の語と結びついています。けれども、ここですでに、「話者の情意」という主観的なものと「話者の叙述面」という客観的なものの融合したものが「文」であるという、のちの言語過程説成立時における時枝の詞辞論の原型のような考えかたが垣間見られることは特筆すべきことといってよいでしょう。時枝が本稿を脱稿したのが1935年8月、最初に詞辞論を公表した論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」を脱稿したのが1937年1月です(16)ので、この1年5ヶ月の間に、詞辞論の本格的な発想を思いつき、そうしてここにいう「話者の情意」は助詞助動詞など「観念語」(=辞)へと託されることになるわけです。「文の解釈上より見た助詞助動詞」における「観念語概念語」論は、形容詞の「情意性意味」と「状態性意味」という問題構成からの発展形としての詞辞論だった可能性はあると思います(もちろんその発展の過程には、このあと検討する時枝の「国語の品詞分類についての疑点」や現象学の理論も何らかのかたちで関わってはくると思います)。

 また、時枝は「三」の場合の例として、次のような考察も行なっています。

《 「深山木に羽交し居る鳥の又なく妬き春にもあるかな囀る声も耳留められてなむとあり。いとほしう面赤みて、聞えむ方なく思ひ居給へるに」(岩波文庫版3の111)
右文の解釈は、「いとほしう」の主語を第二の場合と見て、「面赤みて」の主語「玉葛」と同格とすべきか、第三の場合として話者の情意の表現とするかによつて解釈が動揺して来る。全訳王朝文学叢書は、前者の方法により、「玉葛はつらさに顔が赤くなつて」と解した(第6巻266頁)。私は「面赤みて」を露骨な手紙の文面によつて、玉葛が恥しくなつたと云ふ意にとり、第三の場合として、話者式部の情意の表現と解し、「お気の毒な事に、お顔を赤くされお返事のしようもなく云々」とするのが適当ではないかと考へるのである》(17)(「体系的組織」)

 時枝はこの源氏物語の例では、通説とちがって主語を紫式部(= 話者)と想定して意味を理解しており、たしかに時枝の意味の理解のほうが話の流れとしては自然な感じがします。この例では、連用形副詞格に3通りの場合を想定して、論理的な反省を試みたことが生きたかたちとなっていると思われます。ちなみにこのあたりから、主語を想定する場合に想定した主語が実は「話者」だったということが増えており、時枝は「主語」とも「主格」とも違う「話者」という概念の特殊性に気づきはじめてきているのではないかと思われます。また、いま見た引用文にも「話者の情意の表現」という記述があり、時枝独自の「話者」概念の成立が刻々と近づいてきていることを予感させます。

「意味的接続関係」への萌芽

 本稿の最後で時枝は、修飾格や述語格を保持する形容詞の連体形について考察を深めています。「体言に対して其の属性観念を以て装定せむが為に其の真上に置かれるもの」(18)(「体系的組織」)の一例として、時枝は次のように述べます。

《 心のよき人  名の悪しき者  瓦の赤い家
「よき」「悪しき」「赤い」は皆、下の体言とは意味上何の連絡もない。それは主語と共に一の句を構成し、それが全体として下の体言の修飾をなすのである。従つて、意味の理解に於いても、これら連体形は、述語格の場合と同列に考へなければならない》(19)(「体系的組織」)

 以上の引用から、本稿の段階で時枝がすでに、のちに論文「語の形式的接続と意味的接続」(1937年)において展開される「意味的接続」関係の一端の認識に到達していたことが分かります。そこで時枝は、上のような理解を「統合関係」(「概念語=詞」の範疇の接続関係)のなかの一つの類型、「用言の連体形と体言」として類別しています(20)

《 統合的接続関係とは、例へば、「暖い春」「流るる水」「はげしく打つ」に於けるが如き関係であつて、若しこれを単に形式的に見るならば、「暖い春」は、形容詞の連体形と体言との接続であり、「流るる水」は、動詞の連体形と体言との接続であり、「はげしく打つ」は、形容詞の連用形と動詞との接続であるが、意味的に見れば、上の語が下の語を装定し、下の語が上の語を統合して居ると考へられるのである》(21)(「語の形式的接続と意味的接続」)

そして、そうした「意味的接続」関係の探求はその後さらなる発展を遂げて、1939年3月発表の論文「言語に於ける単位と単語について」(22)において、入子型構造形式として図式化され、一応の完成をみることになります。

 ----以上、1936年に発表された時枝誠記の論文「語の意味の体系的組織は可能であるか」の内容を大まかに検討しつつ、語論や統語論における時枝のこの時期の認識のありかたを見てきましたが、のちの言語過程説の語論や統語論につながるところの、萌芽的な理論的記述があちこちに見られ、「文の解釈上より見た助詞助動詞」の前の段階の、準備的な労作としての一面も確認することができたと思います。

「話者」と「主語」

 「主語」でも「主格」でもない、本稿で多く使われた「話者」という用語は、時枝の詞辞論構築の際に大きく関わっている概念であり、詞辞論を発表した論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」(1937年3月)では22回、本稿「体系的組織」(1936年3月)では14回使われており、その点から考えても本稿が時枝独特の「話者」(のちに主体)概念構築のための重要な通過点だったことが分かります(23)。つまり、本稿において形容詞に絡めて「話者」「主語」「対象語」についていろいろと重ねた論考は、たしかに未完成のものだったかもしれませんが、ここでえた知見はたしかに次へのステップになっているものと思われます。

 ----ここに、『国語学原論』からこの「話者」概念の完成形ともいえる「主体」に関する叙述を引用しておきます。時枝は「言語の存在条件」として「主体」「場面」「素材」の3つを措定してから、「主体」について次のように述べます。

《…主体は言語に於ける話手であつて、言語的表現行為の行為者である。(中略)主体はそれ自らを如何なる方法によつて言語に表明するか。屡々文法上の主格が言語の主体の如く考へられるが、主格は、言語に表現せられる素材間の関係の論理的規定に基くものであつて、言語の行為者である主体とは全く別物である。例へば、「猫が鼠を食ふ」といふ表現に於いて、「猫」「鼠」「食ふ」といふ素材的事実相互に於いて、「猫」が「鼠」「食ふ」に対して主体となる様なものである。かういふ場合の主体は、素材間の関係に過ぎないのであつて、「猫が鼠を食ふ」といふ言語的表現そのものの主体は別でなければならない。言語の主体は、語る処の主体であつて、「鼠を食ふ」といふ事実の主体であつてはならないのである。次に文法上の第一人称が主体と考へられることがある。成る程、「私は読んだ」といふ表現に於いて、この表現をしたものは、「私」であるから、この第一人称は、この言語の主体を表してゐる様に考へられる。しかしながら、猶よく考へて見るに、「私」といふのは、主体そのものでなくして、主体の客体化され、素材化されたものであつて、主体自らの表現ではない。客体化され、素材化されたものは、もはや主体の外に置かれたものであるから、実質的に見て、「私」は前例の「猫」と何等選ぶ処がなく、異る処は、「私」が主体の客体化されたものであり、「猫」は全然第三者の素材化されたものであるといふことであつて、そこから第一人称、第三人称の区別が生ずる。従つて、「私」は主格とは云ひ得ても、この言語の主体とはいひ得ないのである。この様に第一人称は、第二、第三人称と共に全く素材に関するものである。後に述べることであるが、第二人称も場面即ち聴手そのものでなく、聴手の素材化され、客体化されたものであるのと斉しい。この考方は極めて重要であつて、かやうにして、言語の主体は、絶対に表現の素材とは、同列同格には自己を言語に於いて表現しないものである。これを譬へていふならば、画家が自画像を描く場合、描かれた自己の像は、描く処の主体そのものではなくして、主体の客体化され、素材化されたもので、その時の主体は、自画像を描く画家彼自身であるといふことになるのである》(『国語学原論』【岩波書店、1941年】41~43頁)

 これをよく読むと、「言語の主体は、語る処の主体であつて」と書いてあることからも分かるように、「主体」とは実は「話者」概念を言い換えたものです。「主語」はよく、「文法上、述語に対し、それが表す動作・作用を持つものを表した語」(24)などと言われますが、それは語るところの主体ではなくて、「述語」などと同格の「文」の中の成分であり、時枝のいう「話者」とはまったく違う概念です。日本語の構造は「主語」を簡単に省略できるようになっているので、古語を中心につねに「主語」「対象語」などとにらめっこしながら意味的な文法解析を繰り返し行なっていた時枝にとっては、逆に一人称とは違う「話者」という概念に到達しやすかったという面はあるかもしれません。私たちはよくこの「話者=主体」概念の説明をさらりとしがちですが、文法的な範疇にはない「語る人」を含めて合法則的な言語理論を構築することは、難しく、やはり時枝の努力と能力とその独特の言語本質観のなせる業であり、誰にでも簡単にできる発見ではないとは思います。

「文の解釈上より見た助詞助動詞」と「体系的組織」における「話者」概念のちがい

 では、時枝がこの語るところの主体である「話者」概念に到達したのは、いつ頃のことだったのでしょう? それはやはり、「文の解釈上より見た助詞助動詞」(19373月発表)においてのことでした。

《  外は雪が降つて居るらしい
に於いて、助動詞「らしい」は、形式的には動詞「降つてゐる」に接続して居る。そして文法書では、助動詞を右の如き接続関係にあるものとして定義するのが普通である。(中略)処が右の例文に於いて明らかな様に、「らしい」は雪についての叙述に関することでなく、「雪が降つて居る」と云ふ事実に対する話者の或る種の判断、ここでは推量を加へて居るのである。故に文の解釈上からは、「らしい」は「降つて居る」に接続するのでなく文全体に接続すると見なければならない。(中略)
  僕は早く行きたい
「たい」を叙述を助けるものとして、「行きたい」を述語と見る時、「早く」と云ふ語の副詞としての勢力は何処迄及ぶのであるか。「たい」と云ふ語迄も修飾するとはどうしても考へられない。これは「僕は早く行く」と云ふことを話者が希望して居ることを表出したので、「たい」は意味上はやはり文に接続するのである》(25)(「文の解釈上より見た助詞助動詞」)

《 助動詞は意味上文に接続するものであること以上の説明によつて了解されたと思ふのであるが、ここに文と云つたのは勿論それ自身独立し得る文をいふのでなく、厳密に云へば文的素材に接続するものである》(26)(「文の解釈上より見た助詞助動詞」)

(「この冬は暖かり[く・あり]」という例文について----引用者注)
《  この冬は暖く----ありき
と考へるべきで、「あり」は「この冬は暖く」と云ふ文全体に接続し、かかる事実に対して話者が肯定的な判断を下したことを表はすのであつて、「あり」は存在とは全く関係なき話者の立場の表現である》(27)(「文の解釈上より見た助詞助動詞」)

 以上のように、「文の解釈上より見た助詞助動詞」という論文の段階では、用語は違えど、明らかに時枝は『原論』における「主体」論と同じ内容の「話者」論に到達しています。ここでいう「話者」という概念は、「主語」「述語」「対象語」などという「文」の中の範疇の概念ではなく、「文」という範疇から突き出た概念となっています。こうして、「文」の外の「話者」という視点をえることによって、時枝は広大な文法的視野を獲得することができたといえるでしょう。なぜなら、このような知見は、「では、話者の立場を表現する語とはどのような性質があり、またどのような品詞が該当するのであろうか?」などと、それに付随して発展させられうる、さまざまな理論的範疇が展望されうるからです。

 一方、本稿「体系的組織」における時枝の「話者」認識は、まだ「主語」「主格」などと同じレベルのものとして認識されており、「文」の範疇に収まっています。そのことは、『枕草子』の「嬉しくも 降り積みたるかな」(春曙抄)について、時枝が《…「嬉しく」の主語は話者清少納言。此の叙述面の主語「雪」とは異主格で全く挿入されたものである》(28)(「体系的組織」)と述べていることからも知ることができます。この時点の時枝は、まだ「主語」と「話者」を入れかえ可能な概念としてみていたわけです。ただ、ここでの注釈作業や解析が、新しい「話者」概念到達へのひとつの道しるべになっていることはまちがいないものと思われます。

(2022年10月12日脱稿)

~~~

[注]

(1)     時枝誠記「古語解釈の方法—さるはを中心として--」(『国語・国文』1933年9月)
(2)     同上。(『言語本質論』[岩波書店、1973年]196頁)
(3)     時枝誠記「語の意味の体系的組織は可能であるか—この問題の由来とその解決に必要な準備的調査--」(京城帝大文学会論纂第二輯日本文学研究の中【京城大坂屋号書店発行】)
(4) 『言語本質論』209頁。
(5) 時枝誠記「国語学の体系についての卑見」(『コトバ』1933年12月)
(6) 『言語本質論』215~216頁。
(7) 『言語本質論』218~219頁。
(8) 『言語本質論』220~221頁。
(9) 「主語」と「対象語」の関係はあくまで相対的なものであり、確実な判定方法というものではなく、今現在、教育の現場でもあまり使われてはいないようです。
(10) 『言語本質論』223頁。
(11) 『言語本質論』225~226頁。
(12) 時枝誠記「言語過程説の基礎にある諸問題」(松村明ら編『講座 日本語の文法 〈別巻〉』明治書院、1968年)によると、時枝が初めて山内得立著『現象学叙説』を読んだのは、1929年から1931年にかけての頃だったということです。読んではいるけれども、まだそれほど強い影響は受けていない時期だったと思われます。
(13) 時枝誠記「文の解釈上より見た助詞助動詞」(『文学』1937年3月)(『言語本質論』276頁、297頁)
(14) 『言語本質論』237~238頁。
(15) 『言語本質論』238~239頁。太字は引用者)
(16) 「体系的組織」も「文の解釈上より見た助詞助動詞」も、末尾に脱稿の日付の記載があります。
(17) 『言語本質論』240頁。
(18) 『言語本質論』242頁。
(19) 『言語本質論』243頁。
(20) 時枝誠記「語の形式的接続と意味的接続」(『国語と国文学』1937年8月)。ちなみに「体系的組織」の段階では、「観念語=辞」の範疇の「添加関係」の認識にはまだ到達していません。
(21) この段階の時枝は、用言の連体形や連用形に続く単純な肯定判断の零記号を想定することができていなかったようです(時枝の詞辞論によると、本来は、「暖い■春」「流るる■水」「はげしく■打つ■」となります)。
(22) 時枝誠記「言語に於ける単位と単語について」(『文学』1939年3月)
(23) ちなみに、1933年に発表された注釈関係の論文「古語解釈の方法--『さるは』を中心として--」(『国語・国文』1933年9月)では、「話者」という用語は1回も使われていません。
(24) 「Google日本語辞書」(Oxford Language)
(25) 『言語本質論』274~275頁。
(26) 『言語本質論』276頁。
(27) 『言語本質論』279頁。
(28) 『言語本質論』239頁。


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