【幻想紀行シリーズⅠ】一枚絵のフィクション小説 ①ホタルの里
このシリーズは一枚絵から、世界を想像し、お話をイメージのままに続けていく物語になります。プロットすら考えていませんが、50~100話で綺麗に終われるように、流れに脳をゆだねようと思います。では幻想紀行、始まります。
第一話 ホタルの里
『あのね、じぃ、私、ここを出たいんだ』
女はそう言って、目の前で横たわる長老に古びた毛布を掛けた。じぃの体はすでに病に侵されており、山を下りた田舎町までは車で二時間ほどかかる。そんな場所で育った灯(あかり)は、じぃの看病をするため、人里離れた集落で生まれてから二十年ほどの月日を過ごしていた。
「そうか・・、お前がこの里に残る最後の希望なのだが、わしがいなくなるとすると、お前の意志を尊重するほかあるまい」
じぃはかすれた声でそう話すと、重そうに体をゆっくりと起こした。そして部屋の中にあるいろりを指さし、その火を消すようにと指示を出した。
おかしいな。まだ寝る時間としては少し早く、灯の中に小さな違和感が沸き起こる。
しかし、その感覚に逆らうことなく、彼女は囲炉裏の中にあった炭を火消し壺の中に入れていく。古びたトングの端を何度も握っては離すと、大きな炭は全て中に入った。
部屋の中は真っ暗になり、火の粉が残った背後の囲炉裏からは甚割とした熱がいまだに伝わってくる。灯は無言でじぃの横まで戻ると、そこに再び膝を折った。
目の前で目をつむるじぃの表情は苦しそうで、ぼんやりとした月明かりだけでもその深いしわが目立つ。そこに苦労の二文字を感じると、灯はそこで静かに横になった。
『じぃ、これからどうやって生きていけばいい?』
天井を見つめて言葉を放つと、その視界には藁葺屋根を支える太い木の柱がいくつも見える。そこに吊るしてある狸の皮が、幼い頃、じいと初めて狸汁を食べた日のことを思い起こさせた。
「あかり・・・お前が里を出ることを止める者はもうここにはおらん。本当のことを言うと、あかりにはここで婿を取り、ずっとこの村を守ってほしかった。じゃが、結局時代の流れには逆らえんのじゃろう。文明の利器というものに毒され、皆がこの村を捨てていった。それでもわしは、この人生を悔いたりしたくないんじゃよ」
じぃはそう言って、大きな咳を二度ほどした。灯はその咳を聞きながら、どうしようもない気持ちに駆られていた。
『じぃはさ、村を出た私にどうなってほしいとかあるの?』
灯は視線を天井から変えずに口を動かす。灯は、したいことが出てこないほどに、この世界に対する知識がなかった。
「そうじゃな・・。わしももうすぐ死人になるでな。お前がしたいことをしてほしい。それだけが、三途の川が近いわしに唯一言えることじゃのぉ。したいことがないのなら、まずお前がしてみたいことをやるのがええ。それが村を出ることなら、そこが始まりになるかもしれんの」
じぃの言葉を聞いて、灯は村を出る決意を固めた。灯は天井を見上げながら、くたびれた表情でこちらを見つめる狸の瞳を眺めていた。
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