【カルト】宗教二世として、昨今の宗教二世問題に思うこと
どーも~!小説、千夜特急でおなじみ、川島です!
今回は雑記ということで、あんまり僕が語らないこと。
自分の宗教について話していこうと思う。もしこの記事を読んだ人の中で、宗教二世に興味がある人、宗教二世の人がいれば、少しふむふむという話になると思う。
では、あまりかたくなりすぎないように、さっそく内容に入って行くね!
※この記事はどこか特定の宗教を批判する意図はありません。また一個人の見解ですので、事実と違う可能性があることをご了承ください。
まず知っておいてほしい宗教の種類
まず宗教というと、どうしても【怪しい】とか【ヤバそう】と感じる人が多いと思う。
日本でそのマイナスなイメージが強い理由は、やはり、宗教による事件が大きな原因の一つになっていると僕は思う。
有名なもので言えば、
・最近再び話題になった旧統一教会の霊感商法や高額献金
・エホバの証人による輸血拒否事件
・オウム真理教による地下鉄サリン事件
ここら辺は日本ではかなりの有名どころであり、大多数の大人たちは詳細な内容は知らなくても、「何それ?初めて聞いたよ」とはならないようなレベルでの知名度がある。
少なくとも3つ全て知らない人は、40代以上になるといないのではないかと思うほどまでに。
それ以外にももちろん大小さまざまに事件はあるのだが、それらは主に
新興宗教によって引き起こされるものが多い。
それと対するように、長い間受け継がれてきた宗教を
伝統宗教という呼び方をする。
こちらは皆が知る、キリスト教、仏教、イスラム教なんかがある。
下の漫画を見ると、何となくイメージがわくかも。
つまり、歴史が長いか?近代に生まれた宗教か?の時間の概念で
伝統宗教か新興宗教かが分類される。
そして民族や地域が限定的か、否かによる信仰者の属性によって
世界宗教か、民族宗教かが決まる。
つまり、神道なら日本独自で長く続くものだから、
伝統宗教かつ民族宗教。
同じジャンルは、ユダヤ教とか、ヒンドゥー教なんかがある。
逆に、仏教、イスラム教、キリスト教なんかは、
伝統宗教かつ世界宗教になる。
ちなみに、世界では宗教を持っていない方が珍しい。そして宗教が今現在も存在しているということは、やはり人が生きていくにおいてかなり重要な部分占めていると理解ができる。
だから、宗教=やばい という図式は、世界で見るとかなり不適切なものだということをここで最初に伝えておきたい。
新興宗教の二世として最近の状況に思うこと
さぁ、そして最近の宗教二世問題について思うことだが、
ぶっちゃけると今はあまり、強い興味がない。
は?お前タイトルと話が違うだろうが!と切れ気味の人もいるかもしれないが、少しだけ落ち着いてその理由を聞いてほしい!
今は!なので、以前はかなり色々思うことはあった。
でもまず考えてほしい。
そもそも宗教二世という範囲が、かなり曖昧であるということを。
両親が宗教を持つ家に生まれたら、その子供はほぼ自動的に宗教二世になる。そして宗教二世のコミュニティーで育つのだから、確かに大きな思想的偏りは出ると思う。
そして自分もそのようなコミュニティの中で育ったので思想の偏りについてはかなり実感する部分があった。
幼児のうちから、その宗教の特殊な価値観と世界観を実在するものとして教えることを洗脳教育というなら、たしかにそれは洗脳教育になると思う。
みんながどう思うかわからないが、僕のエピソードを一つ紹介する。
もうお気づきの方もいるだろうが、そのサタンの城は、のちにラブホテルだったことが判明する。しかし当時小学生だった僕は、教会の友人たちといつかあの城に乗り込み、玉座に座るサタンを退治するとまじの真剣に思っていた。
これを洗脳だとあなたが思うなら、きっと洗脳なんだろう笑
ただ僕は方向性の違いだけで、洗脳なんてものはみんな何かしら受けていると思う。
ただ僕の親に経済力がなかっただけで、教会で経済力を持っている親の子供たちは、それに近しい教育を受けながらも、実際に社会で役立つ言語習得や能力開発にお金をかけられていた。
貧しさは清貧と通ずるなんて思っているのは、知識に貧しかったり盲目だったりする人たちだけで、実際にお金を持つ親の元に生まれた子供たちは、中学生くらいから海外留学にもよく行かせてもらっていた。
だから確かに不運だったし、途中で気が付いたときに親や教会のせいにしたこともあったが、この問題って結局宗教二世の問題じゃなくて、親の人間性と知性と経済力なんじゃない?とも思っている。
ちなみに自分は、引っ越しするたびに家が小さくなって、友達を家に呼ぶのが恥ずかしかったし、カフェにも20歳まで行ったことがなかったし、公営団地に住んでいた時期も長いし、さすがに普通よりは困窮していたと思う。
そう考えると、日本の平均所得よりも比較的に貧しい家の生活だったとは思う。でも僕より大変な人なんて、絶対に僕が知らないだけでごまんといるはず。
それに宗教二世以外の人たちはそんなに幸せ幸せしてるのか?とも思う。
いくら宗教二世が特殊な状況だとしても、その中で人格的で経済力がある親に育てられて、幸せを感じてる人だって実際にたくさんいる。
逆に宗教二世じゃなくても、親から性的虐待にあったり、殴られたり、行き場がなくなって自暴自棄になってる人もいるはず。僕なんかが想像できないことなんて山ほどあるに違いない。
だから、目に映るものを勝手に想像して比較することはやめたよね。
だって結局その比較は、その人を知ることではなく、
自分が不幸な人でかわいそうというアイデンティティを強化することか、
自分がまだましな人だと思うアイデンティティを強化することでしかないと思ったから。
立派じゃなくて、かっこよくなくて、認められなくて、それでも笑って一回きりの命を自分が生きてやりたい。そう思って自分と向き合うことに集中していって、紆余曲折ありながらも最終的に人のせいにも自分のせいにもしないようになった。
親や生まれた環境、育った環境は全て要因。
原因は常に自分の中に存在することに気が付いた。
それを頭ではなく、実感として感覚がつかめたのがとてもよかったことだと思う。
それは冷めた割り切りとは違って、自分に対しての愛みたいなものに近いと思う。それを手助けしてくれたものに、旅は大きかったとも思っている。そしてやはり、その中でも特に大きかったのは、やっぱり瞑想だったりする。
まぁ、教会や親に対して恨みのようなものがなくにこにこと育つことができたらよかったけど、僕はどちらかと言えば考えることが多い方だった。
でも全く何も考えないで、心から幸せそうな人もいた。
だからこうなってくると、結局、環境が大変だったとしても、最後は個人の問題ということになってしまう。
それは厳しい言葉に聞こえるけど、自分が自分の命に対して責任を持とうと思わなければ、どこかで誰かが、自分の人生を乗っ取ってしまう可能性を残してしまうから。
だから、どんな環境だろうと、自分を見捨てないように生きてほしいなと宗教で苦しむ二世や三世を見ながら思うわけです。まぁつらい話を聞くと胸はやっぱり痛むんですけどね。
でも僕はそれと同じくらい、
宗教に従事する人達には、「それはきみ個人の責任だよ」という言葉は語ってほしくないとも思ってる。
こっから先は完全に僕の愚痴だけど、
その言葉を使ってしまったら、人を幸せにするための宗教の責任を放棄する言葉に聞こえてしまうから。
自分の宗教が人を幸せにできるというプライドがあるのであればなおのこと、心理的な弱みに付け込む方法ではなく、個人の責任と言って相手を突き放す方法ではなく、一人一人に丁寧に寄り添って自立心を啓発できるようにサポートしてほしい。
そしてその人が生きててよかったと心から思って、自立できるような信仰や信念が生まれて、批判することで己を正当化するような人でなく、積極的に前向きな生き方で自分も社会も良くしようと思えるのであれば、それはとてもとても意味があることだと思う。
それは僕の友人や大切な仲間たちが、教会で働くそういう人たちの言葉によってたくさん泣いて傷つき、心を痛めてコミュニティから去って行ったことを、やっぱり今でも嬉しくない出来事だって思っているからなんだよね。
とまぁ、そんな感じで、最後は少し重くなりましたが、まじめな話だったので、思ったことを文字にしてみたよ。
だから僕の今の夢は旅人の宿を経営すること。
そのために、今日も日々奮闘しております。
そしてその本棚には、千夜特急を六冊並べるんだ!笑
こんな感じにね!笑
飲み物もカラフルに並べてさ、今日は月曜日はタイティー、火曜日はバタフライピー、水曜日はカシミールティーみたいに、するんだ!笑
そんな感じで、唐突な夢語りでこの記事を終えようと思いやす!
いつか宿ができたとき、この記事を読んでた人や、千夜特急を読んだ人が来てくれたら嬉しいな!なんて思いながら。
そして現在その1巻を無料公開してるよ。
少し興味あるなって人は、ぜひ、のぞいてみてね!
ここまで読んだ方、長文を読んでくださりありがとうございました!
次はどんな記事を書こうかな。
今の自分がチャレンジしてることとかにしようかな?
ではでは、しーゆーねくすとたいむ!
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