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【5分で読もう】著:合田哲雄『学習指導要領の読み方・活かし方-学習指導要領を「使いこなす」ための8章 』4章の概要と感想

 ※本記事は、概要の内容を合田哲雄様の著書『学習指導要領の読み方・活かし方-学習指導要領を「使いこなす」ための8章 』(教育開発研究所)から引用、要約させていただいています。感想以降の内容に関しては、私個人の考えですので、合田哲雄様をはじめ、他の方々や団体は一切関係がないことを先に伝えさせていただきます。

概要 

 『学習指導要領の読み方・活かし方-学習指導要領を「使いこなす」ための8章 』は「学びの地図」としての新学習指導要領の読み方・生かし方を、作成の中心を担った文科省担当官である合田哲雄様が全8章でわかりやすく解説している本です。本記事では、その中でも「主体的・対話的で深い学び」に焦点を置いている4章について紹介します。

 4章では、「主体的・対話的で深い学び」のポイントと教科固有の「見方・考え方」の意義、そして教師に求められることについて述べられています。

「アクティブラーニング」と「主体的・対話的で深い学び」について

 「主体的・対話的で深い学び」のポイントを考える際に、話題に上がるのが「アクティブ・ラーニング」です。そもそも、「アクティブ・ラーニング」という言葉は、教育課程の基準がなく、教育内容を自主的な判断に委ねられている大学教育の質の向上のために具体的な指導方法の改善をする際に使われ初めました。以下がアクティブ・ラーニングの定義になります。

 ”教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学習者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である”(平成24年08月28日『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)』

 この「アクティブ・ラーニング」という言葉が中教審への諮問のなかで使われたことを引き金に、「こういう形にしないとアクティブ・ラーニングではない」という「型」に依存した教育論や「教え込みはいけない」といった知識の確実な習得のための指導を躊躇させるような教育論が生じました。そのため、アクティブ・ラーニングという言葉から生じる誤解を避けるため、「主体的・対話的で深い学び」と表現されるようになりました。では、「主体的・対話的で深い学び」とは何かというと以下のように定義されています。

”「主体的・対話的で深い学び」の実現とは、以下の視点に立った授業改善を行うことで、学校教育における質の高い学びを実現し、学習内容を深く理解し、資質・能力を身に付け、生涯にわたって能動的(アクティブ)に学び続けるようにすることである。
学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」が実現できているか。
子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているか。
習得・活用・探究という学びの過程の中で、各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら、知識を相互に関連付けてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見いだして解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているか。”(平成28年12月21日『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号)』

  つまり、「主体的・対話的で深い学び」とは、子供たちをアクティブ・ラーナー(主体的な学び手)へと変容させることが目的です。毎回の授業で子供たちにアクティブな活動をさせることではないし、アウトプットに必要な知識の定着を重視している授業が全体で数コマあるから主体的・対話的で深い学びでないと批判することも違います。

教科固有の「見方・考え方」と学ぶ意義

 「深い学び」には各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせることが含まれています。具体的な教科で考えてみましょう。なぜ中学数学の「因数分解」を学ぶのでしょうか。「因数分解」そのものを実際に仕事で使う人は多くないかもしれないですが、複雑な事象を因数に分解して考えるとう発想が社会生活において「18歳の有権者の投票率を因数に分解して考えることで投票率を上げることができるのではないか」というように戦略を立てる上で活用されるからではないでしょうか。

 つまり各教科固有の「見方・考え方」とは、その科目を学ぶことで出来るようになる発想や思考で、より質の高い意思決定を行うために必要なものです。この「見方・考え方」が教科を学ぶ意義になります。

教師に求められているもの

「主体的・対話的で深い学び」のポイントや教科を学ぶ意義を踏まえて、教師に求められていることが4つあります。

1つ目は、社会の構造的な変化を自分なりに把握することです。社会の構造的変化と授業の内容は密接に関わっていますが、教育関係者は、自身の社会経験に引きずられ現在の社会構造の変化に無頓着になってしまいます。

2つ目は、教科教育の本質を大事にすることです。教科で教えることの多くが生まれた当時は非常識なものでした。教科書に書いてあることを淡々と教える予定調和な授業では、「人間としての強み」を育てる教育にはなりません。これを打破するために、これまでの教科教育が大事にしてきた「教科は非常識であるがゆえに素晴らしい」というワクワク感を大切にしてください。

3つ目は、教科固有の「見方・考え方」を捉え直し、子供たちに伝えることです。「AI時代」、「society5.0」などの社会的構造変化の中で、教師が伝える「見方・考え方」が重要になってきます。試験のための道具だというのではなく、子供たち一人ひとりが行動し、考え、新しい時代を切り開くうえで重要な道具であると再認識し、子供たちに伝えてください。

4つ目は、教師の持つ教科や単元に関する「座標軸」を大事にすることです。座標軸とは、意見と意見、原理と原理が衝突する際にそれぞれの意見や原理同士がどのような関係にあるのかを把握するための軸です。指導案通りに授業を進めなくてはと思い悩むよりも、教師のもつ座標軸の中で、予想しなかった子供たちの発言やつぶやきを活かす「生モノ」である授業を展開したほうが子供たちの理解の質が高まります。

感想

 色々と感じることがあるのですが、一番共感した教科固有の「見方・考え方」について考えたいと思います。「主体的・対話的で深い学び」には教科固有の「見方・考え方」を働かせることが含まれていますが、私自身の経験からもこのことは納得できます。

 私は中学生時代、数学の成績があまり良くない生徒でした。「何で勉強するの?将来役に立つの?四則演算できたら生活できるじゃん」と考えるような生徒でした。一方で技術・家庭科や美術などの学ぶことの意味に納得が出来ていた教科の成績は良かったです(入試に使えない教科ばかり勉強するなと怒られたのが懐かしいです)。

 それが、高校に入学してから成績が良くなりました。その当時、部員のモチベーションが低いことで悩んでいたのですが、数学の集合の授業でベン図を見たときに、「部員全員に共通することでモチベーションを上げればいいのか」と気づきました。

 また、国語の授業で「『こころ』の登場人物がみんな幸せになるにはどうすればいいのか」という課題がありました。私は、「登場人物の望みをベン図で書いて、共通点を見つければ良い」と考えました。この時、「U の部分集合A,Bについて 、次の集合を求めよ」というような数学の問題そのものはすぐに日常生活で使えないけど、「ベン図で要素を書きだして共通項を見つける」といった考え方は日常生活だけではなく、他の教科でも使うことができるのかと気づきました。

 この気づきが「数学を学ぶ理由の一つは頭の中のごちゃごちゃを図や表にして分かりやすくする力をつけるためなんだ」という答えをくれました。繋がらないと思っていた点と点が繋がった感覚が心地よく、もっと繋げたいという思いから数学の成績が劇的に伸びました。数学の考え方を身に着けていくと他の教科にも応用でき、他の教科でも考え方を探そうとするので他の教科の成績も同じように伸びていきました。

 この経験を抽象的に考え直すと、教科で問題を解くこと自体はその教科でしか活かせませんが、教科固有の「見方・考え方」は、その教科を越えて横断的に使えます。つまり、複数の教科固有の「見方・考え方」が混ざり合った社会生活の中でも活用できるということを実感しました。

 以上のように、教科固有の「見方・考え方」を働かせることは主体的に学ぶ(教科で学んだことが実社会で活かせることを実感し自分から学ぶ)姿勢を育むと感じましたが、一方で注意しなければいけないこともあると考えられます。

 それは、主体性をもった生徒が授業に参加しなくなる可能性です。私自身、「なぜ、その教科を学ぶのか」の納得解を得て学ぶことが好きになり、自分から勉強するようになった一方で、授業に出席する回数が減っていきました。自分で学ぶ速さが授業の進行度を追い抜き待っていられなくなったからです。それからは、授業に参加せず、分からないことがあったら教師に個別に相談に行くようになりました。

 私の高校では、成績が良ければあまり授業に出席していなくても許されました。しかし、高校によっては周りの生徒と足並みを揃えるように注意されたり、放置されたりする可能性があります。子供たちがアクティブ・ラーナーに変容する時期には個人差があり、子供たちが置いていかれたり、先に進んだまま放置されないように注意する必要があると考えられます。「底上げの教育」か「上を引き伸ばす教育」かと二項対立で考えるのではなく、一人ひとりがよりよく生きるための教育が大事だと思います。

 授業が「生モノ」であると認識し、教師に求められていることを理解し、生徒一人ひとりに向き合う時間を作ってあげてください。そのために使えるものは、なんだって使ってやりましょう。手段に対する嫌悪感は後で慣らしましょう。

最後に

 本記事では4章を紹介しましたが、数学以外の教科の「見方・考え方」やその思考方法を教える授業の進め方なども書かれています。また、他の章では学習指導要領の背景や実際の使い方、一人ひとりを大切にする個別最適化の具体的な方法などが分かりやすく丁寧に説明されています。既に教員になっている方だけではなく、教育関係の仕事に携わりたいと考えている方にもおすすめです。是非ともご一読ください。


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