『音は空から言葉は身から』内澤崇仁 著
エッセーとはなんぞやからはじまる、このエッセー。
え?
待って、私もよく分からん。こんなときは、我が家の『大辞林』大先生ー、出番でっせー。
なるほど。エッセーとはエッセイなのだな。
うむ!
普段あまり気にせず見聞きしていた言葉を、こういうふうに考えさせてもらえる機会をもらえるのは、ありがたい。
当たり前についてもう一度考えてみる。
そう、この『音は空から言葉は身から』は、あわやハンググライダーに轢き殺されそうになることもなければ、チャリでガソリンスタンドへ行きランドセルを開いて「レギュラー満タンお願いしゃーす」なんて言うこともなく、韓国旅行でハングルを一文字も読めないのに適当に注文したらまさかの全部スープだったり、アメリカのドラッグストアで謎のショッキングピンクの液体を飲まされる、なんて非日常的な内容は一切出てこない(これらはすべて川勢の体験である。ちなみに、ピンクの謎ドリンクは胃薬だった)。
著者の内澤さんはandropというロックバンドのヴォーカルだ。青森県八戸市出身であり、このエッセーは八戸の思い出と音楽を繋ぐ内容がメインとなる。ただ、andropを知らなくても、そして八戸市を知らなくても、まったく問題ない。そもそも私はわandropを知っているが、八戸市については何も知らない。行ったことすらない。
八戸かー、うーん、あー、そうだなー、青森に範囲を広げてもいい? くらいの知識。えっと、青森県といえば、まず最初に思い出されるのが東日本大震災だ。青森だけにかぎらず、東北という言葉を耳にした瞬間すぐに連想される。あれから十年以上も経つが、心に深く刻まれているのはほとんどの人が同じだろう。あとは、太宰治とか、寺山修司とか、木村秋則さんの『土の学校』とか。ああ、あと馬場のぼるさん『11ぴきのねこ』も。
では、八戸市は──。
八戸、スケールでけーーーー!!!
あの大阪の有名な遊園地が東京ドーム約9個分らしいので、こりゃ相当なもんですよ。すごいな。しかも植物園もあるのね。
他には、
花によって黄色く染まった蕪島はどれほど美しいのだろう。そうそう、「ウミネコ 雛」で検索すると、キーウィにも似た茶色いもっふりした姿が出てくる。この子たちが飛ぶ練習をするのだろうか。か、かわいいぞ、ウミネコ。
あと、青森といえば、海の食材が美味しそうだな〜というぼんやりしたイメージもある。
ああ、海鮮丼、食してみたい。海鮮丼なんて口にしたのは何年前だろう。もちろん、青森ではない。海の町で食べる海鮮丼の味は格別だろうな。
青森、いい場所なんだろうな。一度行ってみたいぞ。
絶景と、美味しい海の幸と、そしてあたたかい人との繋がり。
毎朝、舌打ちをされながら自分の体を無理やりねじ込む満員電車、職場では重労働。帰ってきたらフラフラになりながら、洗濯物を片付け、適当にご飯を作り、一人もそもそと無言で口にする。あとは、お留守番をしてくれていた愛猫と遊び、お風呂に入れば、数時間後にはまたあのパンクしそうな車内に自分の体は押し潰されているのだ。
こんな日々のわずかな癒しは、寝るまでの数時間の読書だ。
大好きな音楽を流しながら、内澤さんのエッセーで、優雅に両翼を広げ海を鳥瞰するウミネコや、海鮮丼を食べる自分を想像してみる。
ああ、足元が砂浜にかわり、どこからか岩を撫でる波の音が聞こえてくるではないか。
そうそう、八戸は朝市でも美味しいものが食べられるらしい。
今夜は、コロッケもおでんも食べていないし、そもそも五月としてはちょっと暑いくらいの夜だ。でも、この文章を読むまで、孤独で心は冷え切っていたのに、読み直していたら、ホクホクとコロッケを頬張ったような笑顔になってしまった。
人生に特別な時間はそんなにない。ただ、特別ではないものを大切に思える心、それを失ってしまわないように、私はこれからもこの『音は空から言葉は身から』を読んでいきたいと思う。