大人のモラトリアム
いい年をして、立ち止まって、何がしたいかわからなくなる、それって、悪いことですか?
精神面でも豊かになっていく、風の時代には、大人だってモラトリアム期間がある、それが当然なのではないか、と思っています。(ポジショントーク含む)
AIによると、
モラトリアムとは青年期から成人期への
大人になる準備期間のこと で
1959年に心理学者の方が提唱された概念とのこと らしい。
※1945年が終戦、1952年が沖縄返還の年。
さて、わたしたちは、
いま、人類史上最も豊かな時代を生きています。
わたしたちの祖父祖母の時代は終戦後、
物が全くないところから、
物質的に豊かになるのに、
家族が過不足ない生活をおくれるように、
何の疑いもなく、社会から割り当てられたそれぞれの役割を必死に全うしてきた世代だと思います。
いま、2024年を生きる我々はどうでしょう。
繰り返しですが、私たちは人類史上最も物質的に生活レベル的に豊かな時代を生きています。
だからこそ、
いま、一般庶民レベルの
労働階級のひとたちまでもが
承認欲求や自己実現欲求を持ち
自分のいままでの生き方に疑問を持ったり
立ち止まったりするひとが増えている。
自己実現欲求なんて、本来は、生活が安心に満たされている、ほんの一握りの人だけが、持つものでした。
それが、いまは、わたしたち、多くが、就職活動のときから、口にしています。
6月からスモールビジネスのコンサルタントをはじめました。
でも、わたしの顧客の半数は、
ビジネスをしていない方たちです。
彼ら彼女たちは
一生懸命自分なりに、過ごしてきて、ふと余裕が出来て、周りを見渡したときに、何がしたいか、わからなくなった。でも、このままでは満たされない気がすると仰います。
彼らは、社会での役割も全うし、ある程度の安心安全の生活は確保していて、人間関係もある。
つまり、非常にまともでまじめで、感じのよい素敵な人たちなのです。
そんな人たちが、立ち止まって、(赤の)他人に迷惑をかけない程度に、ふらふらする時間があっても、全然いいではないかと、強く言いたい。(自分含む)
我々は、やっと、一般庶民レベルでも、
自分の人生や生きる意味、
個人的な楽しみや
社会との関係性について、
じっくり考える時間をとることができるのだから。
いい年をして、立ち止まって、何がしたいかわからなくなる、それって、時代が進んだってことだ。
やっと、多少立ち止まっても、生きていける時代になったんだから。
それは先人たちが残してくれた物質的な豊かさの上に成り立っている。
われわれ世代は立ち止まって、考え、行動し、ひとりひとりが、精神面でも豊かになっていくのが世代としての役割のひとつなのかもしれない。
風の時代には、大人だってモラトリアム期間がある、それが当然なのではないか、と思っています。
モラトリアムが青年から
成年への移行期間なのだとしたら
大人のモラトリアムだって、
急に焦る必要もない。
大学や高校の先生のような
決まった見守り隊はいないが
それは、大人なのだから、自分で、
自分の見守り隊を選び、組み立て、
自分をサポートしましょう。
友人に相談するもよし
習い事を色々試すもよし
身体を鍛えるもよし
職場を変えるもよし
セッションやカウンセリングを受けるもよし
コツは、
とにかく、小さく色々試してみること
目に見える成果を期待しないこと
全ては我々の中に答えはあること
精神を満たすために行なっていると理解すること
自分を安心安全で包みながら
モラトリアム期間を味合わせてあげること。
小さく色々試す=行動することが実はキモで
考えたり悩んだりする時間が長いと苦しくなってきます。
考える時間をできるだけ短く
とにかく小さく自分のクリエイティビティを
実行してあげましょう!
その方法がわからない方、
ぜひ、コンサルにお越しください!
いつの間にか
大人のモラトリアムの伴走者として
実績を積ませていただいております。
では、よい週末を〜
ミサト