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「を、歩道橋で」全編


今を、平凡に暮らしている私がいる。昔の私は、誰にも見えないところへ消えていった。
突然訪れた結婚と出産、そして子育て。私は幸せなんだ。言い聞かせるようで、信じ込んでいるようで、時々胸が痛むのは何故だろう。

旦那は優しい。時より、一人の時間を作ってくれる。見透かされているようで、少し悪い癖が出てしまうのは何故だろう。

子供がこんなに可愛いなんて、思いもしなかった。彼と出会ったことで、人生が好転していった。幸せなのに、胸が痛む。

「ありがとう。そしたら、夕方には帰るね。」
旦那と娘が手を振る。こうして、久しぶりの一人の時間が始まった。

慌ただしい毎日の方が気がまぎれる。優しい旦那は一人の時間を作ってくれるが、少し荷が重い。考えてしまう。昔のことを。

街へ向かう電車に揺られ、学生時代を思い出す。ちょうど、斜め向かいに母校の学生が並んで座っている。懐かしい校章が目に入る。
楽しそうに、笑い転げる彼女たちの姿が重なり混ざり過去の記憶が紐解かれてゆく。無造作に無差別に、解けてゆく。

15歳の夏
たくさんの友人に囲まれて、騒いで遊んで、毎日が楽しくて。そう、信じ込んでいた。
この平凡が続くと信じていた。

19歳の春
離れていく仲間、孤立する私。何も楽しくない日々。なんで、私だけこんな目に合うんだろう。

25歳の冬
灰色の人生の中に突然現れた光が、すべてを好転させてくれた。こんなことが起こるなんて、思いもしなかった。

「生きていてよかった。」
こんな想いをできる日が来るなんて、思いもしなかった。すべての運を、偶然の出会いで使い切った。未来はわからないけれど、今がすべてだと思える。

電車を降り、普段は食べないインスタ映えなランチと食後のコーヒーを済ましてショッピングへ。国道の向かいにあるデパートまでは、歩道橋を渡るのがおすすめだ。今は少し離れたところに住んでいるが、実家からこの繁華街までは30分もかからない。数えきれないほど遊びに来たものだ。

交通量の多い国道をまたぐ歩道橋は、駅直結の連絡橋でもあり便利だ。
平日はスーツを着たビジネスマンが目立ち、大人が多い。子供は学校、大人は仕事。
この国の決められたルールのように、毎日が動くー。

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歩道橋には花壇が並び、季節の花が咲いている。肌寒くなりつつある夏の終わり、秋の始まり。10月とはいえ、冬に比べればまだ暑い。
比較することで感じることができる有難み。

過去を乗り越えて今があるとは、到底いえない。受け入れることは出来たけれど、乗り越えてはいないと感じる。
一人で街を歩いていると、染みわたる人の声と響く雑音の中で、過去の記憶が引き出される。

「悪い癖だ。」

ただ、昔ほどやり直したいと思わなくなったのは治療のおかげだろうか。
泣いて叫んで、大暴れ。私は何度も死んだ。都合が悪くなればリセットボタンを押し続けた。
その結果、私は一人になった。

壊れた原因なんて一つに絞りきれない。いろんなことが多感な時期に重なり、刺激し崩壊させていった。

誰も責めれない。本当のことなど言い切れない。自分を責めることばかりを選び、身体中を傷めつけた。

「みんなと同じように歳を重ねて、同じようになりたかった。」

私だけ、こんな目に合うのか、そんなことで頭がいっぱいなのに、自分を責め続け、事態は悪化していった。
ひどく懐かしいのに、曖昧な記憶ばかりなのは病気だからか。

少し感傷的になりながら、少しばかり長い歩道橋を渡り始める。

ご高齢の奥さまグループや、大学生がすれ違ってゆく。そして、私もすれ違って前に進む。たくさんの人とすれ違い、これからも生きていく。
誰も気にも留めない。この世界の当たり前のルール、対して他人のことなど、気にもならない。

頭の中は少しポエマー。そして、このまま数十メートルの歩道橋を渡りきるのだろう。花壇の花を眺めながら、真っすぐに歩いていくのだろう。

この日、彼女と出会わなければー。

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目の前に広がるタイルは、平坦に規則的に並びゆく。
目の前に佇む彼女は、いつかの私のように地面を眺めている。タイルではなく、アスファルトの床をジッと眺める。

なぜ、そんなに俯いているのか。通りすがる大人たちには響かない。
なぜ、そんなに悲しいそうにしているのか、わからない大人たちは叱咤激励を繰り返してきた記憶が蘇る。

遠い遠い記憶が鮮明に広がる。
右から左、上から下へ、流れるように淡々と過ぎ去る時間の中で私は目の前に現れた彼女眺めていた。

これまでのように、彼女も通り過ぎてゆくのだろうか。

そう、過ぎ去ってほしい。

「このまま無事に通り過ぎてほしい」

どこかに消えてなくなりそうなほど儚さがにじみ出ているように感じた。

そして、彼女は手すりによりかかるように、身体をそのまま歩道橋から押し出し、力を抜こうとしていた。

その瞬間に、私は選ばなかった。正しくは選べなかったのだろう。
とっさにこんなにも身体が動くとは思えなかった。

身を乗り出す彼女を取り押さえるように、抱きしめる。人嫌いの私が人を無条件に抱きしめている。

彼女は、暴れることもなく手すりから身体を離して、そのまましゃがみこんだ。

なんて声を掛けていいのか。少しばかり悩んだが、自分が声をかけて欲しかった言葉を選んだ。

「大丈夫。大丈夫。」

背中をさすって、彼女が大丈夫かどうかなんてわからないけれど大丈夫と声を掛けた。正しいかはわからない。
ただ、私が彼女ぐらい年頃の時、同じようなことをしたことがある。

大人たちは「構ってちゃんかよ」「めんどくさい」「恥」「世間知らず」「何か不満なの」叱咤激励を繰り広げた。
それが、とてもつらかった。あくまで「私は」だけど。

しゃがみ込み、俯く顔、タイルはぽたぽた溢れる彼女の涙で模様がついてゆくー。

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私は彼女に話し続ける。

「ユキちゃん。ユキちゃんと私は似ていると思う。似ているけれど、同じじゃない。この話が役に立つかわからないけど、もし心に響いたなら、参考にしてほしいな。」

私は手に持ったままのココアを見つめる。じっと、見つめて。呼吸を整える。

「私ね。高校生の時に、普通じゃなくなったんだ。頭がおかしいって無理やり病院に連れて行かれて、投薬治療が始まってね。だんだん良くなるはずが、だんだん悪くなってさ。」

「ね。ほんと、どうしてたらよかったんだろう。って今も思う。どれが正しかったんだろうって思うよ。」

「いろんなもの失って、後悔しても取り返しのつかないことで苦しんで。とっても長い時間氷の中でうずくまっていてね。知らない間に時間だけが過ぎて、気づいた時のは大人になっててさ。そこからも、いろいろあった。いざ、氷から出てきてもね。」

彼女は、何も言わず私の話を聞いている。何が言いたいんだろうって顔をしているように思える。

「私が言えることは、素人目線になるんだけどね。スクールカウンセラーさんや、通いづらいかもしれないけどカウンセリングしてくれる病院に行ってごらん。」

「言いづらいかもしれないけど、他人だから言えることがあると思う。知ってる人には結局言い切れず、話をすり替えてやり過ごせば過ごすほど、苦しくなるから。」

また、俯きながら彼女は応える。

「そうですね。考えてみます。」

今度は目を見て応える。

「ミホさんも、つらい思いをしたんですか。今、幸せそうなのに。」

今日出会った、彼女のまっすぐ私を見る目を忘れることはないだろう。
まっすぐに、私も誰かに放った言葉と重なって傷口にしみた。

「そうね。今、本当に感謝して生きている。こんな日々が来るなんて思いもしなかった。」

「思ってもないことが、いつか起きる。世界は、そう出来ている。何度も死にかけたけれど、今生きててよかったって思えてる。」

「今日、ユキちゃんと出会って自分のこと話すことで。今までを肯定できたよ。ありがとう。」

今度は私がまっすぐに彼女の目を見つめる。

「私は、ミホさんみたいになれないと思います。」

「生きててよかったて思える日がくるんですか。」

ユキちゃんは眉を歪めて訴えた。

私は彼女の目を見て話す。

「今、死ななくていい。生き地獄のような、延命治療のような、日々が続くかもしれない。けど、その間に力をしっかり温存できれば、また立ち上がれる。」

私は、私になにができるのだろうと思う。こんな大人になにができるんだろうって。
詳しい事情を知り得ない私がズケズケとお節介をして、ただの自己満足。
どれか、どれか一つだけでも響け。彼女にはまだ生きてほしい。

「わからないけど、ミホさんは、いい人ですね。こんな私に構ってくれる。」

彼女は、寂しげに呟いた。

孤独を感じて、悪化していったのだろうか。なにができるのだろうと考えながら、私は鞄からスマホを取り出した。

「いつでも、連絡しといで。専門家じゃないから、役に立てるかわからないけど。カウンセリングも行きずらかったら一緒に行こう。一緒に探そう。」

「1人に感じているかもしれないけど。1人じゃないよ。1人じゃない。」

「1人じゃない。」

「そうだよ。昨日まで1人に感じていたかもしれないけど、今からは1人じゃない。」

「大丈夫。」

その日の出来事を、今でも忘れることはない。時より、思い返すほどだ。
運命の出会いだった。大きな転機だった。
その後、彼女は一年の休学を経てもう一度、走り出した。そして、強くなった。
人一倍優しくもなった。気配り上手なところは相変わらずだけれど、息の抜きどころも見つけた。

私はあれから、少し身体が軽くなった。自分のことを、もう少しばかり旦那に伝えてみた。不安だったけれど、ほんとに良い人だ。今も幸せが続いてる。

娘はちょうど、思春期到来。ちょっとぐれ気味だけど、かわいいものだ。可愛いものだけれど、まだ子供。できるだけのこと、ありったけの愛情をまだまだ注いでいる。

「人は1人じゃない」

「けれど、1人じゃないのに1人だと感じてしまう日が来るかもしれない、続くかもしれない。」

「そんな時、一度相談してみよう。1人じゃないから。」

そして、自分の身に起きた出来事を語ってみよう。そのエピソードが、ひとつのデータになる。誰の役に立たないかもしれないけれど、何か一つぐらい響けと願う。ひとりよがりなのかもしれないと思う日もある。

けれど、今日も私は、語る。傾聴する。この仕事に出会ってよかったと思う。

「行ってきます。」
「行ってらっしゃい。気をつけてね。」

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