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日本神話と縄文火山 

この記事のテーマは、日本神話に登場する最高神、アマテラスについてです。
従来、天皇の起源については、弥生時代から古墳時代を射程として議論されてきました。
稲作と鉄文化に象徴される文明を日本列島にもたらした人たちの子孫が天皇であろうというあたりが、現代日本人の平均的な歴史観ではないでしょうか。
実際、
宮中における祭祀には、稲作文化にかかわる要素も多く、天皇の祭祀は豊かな実りを祈願するものだという印象があります。
弥生時代以来の稲作文化の栄光を担う存在として天皇を理解すると、その始祖神として位置づけられるアマテラスは、豊作をもたらす太陽の女神ということになります。
さらに、
日本人の主食は米であることもあり、これはきわめて説得力のある説として、半ば常識と化しているとさえいえます。
しかし、
アマテラスを稲作国家の太陽神とみなす通説に対して、多くの疑問が呈されています。
意外なことのようですが、
歴史学や民俗学をふくめた研究において、日本の農村における太陽信仰の実在が、確認しづらいということになっているのです。
例えば、
国文学者の西郷信綱は、『古事記注釈』で、「日本の民間の農耕儀礼において(沖縄にしてもそうであるが)、いわゆる太陽崇拝が、そう大した役割を果していないのは何故なのか」と述べています。
そこで、
この投稿では、日本神話の最高神、アマテラスに焦点をあて、何を象徴しているのかについて、思いつくままに、書いてみることにします。
記事内容は次の通りです。
1.日本神話に対する『素朴な疑問』
2.スサノオ・火山説
3.アマテラスとは何か

1.日本神話に対する『素朴な疑問』
まず、日本神話に対する素朴な疑問とそれについて考えられることを整理します。
素朴な疑問
① なぜ、古事記神話は、日向(九州南部)、出雲(島根県)が主な舞台となっているのか。  
② アマテラスをはじめとする神々は、たえず、戦っているように見える。
戦いの場面のほとんどにアマテラスが、直接的、間接的に関与しているのは何故か
例えば、
出雲の国譲り、日向への天孫降臨はアマテラスの指示にもとづくもの
熊野で意識を失っていた神武天皇を救ったのもアマテラスの命によって託された聖剣であった。
スサノオは、ヤマタノオロチの体内からとりだした「草薙の剣」を高天原のアマテラスに献上し、これが伏線となって、ニニギ、ヤマトタケルの物語にこの剣が重要な意味を帯びて登場する。
③ 古事記の素材となった神話や伝承の起源は、どの時代までさかのぼることができるのか。
考えられること
① 九州南部と出雲は西日本における二つの火山集積地です。

  • 鬼界カルデラ 7,300 年前(縄文早期から前期)

  • 三瓶山(さんべさん・出雲)16,000年前から4,000年前(後期旧石器から縄文中期)

② 神々の戦いは、現実の戦闘行為ではなく、荒ぶる火山活動を鎮めるための祈りの比喩的な表現と考えられます。
古事記や日本書紀の神話の大半は、机上で創作したフィクションであり、アマテラスやスサノオの性格も朝廷官僚が、当時の政治的な必要性に応じて造形したものにすぎないという極端な解釈がありますが、その場の自然現象や歴史的事実に結びつけて解釈すべきものと考えます。
③ 古事記に記録されている神話は、縄文時代、あるいは、それよりも古いものと考えます。
ひと昔まえまでは、古事記などの研究者が、縄文時代に言及することはほとんどありませんでしたが、近年、事情が変わってきています。
神話には、古代以前の縄文時代まで遡り、約10,000年以上の長期間にわたる無文字時代のことば表現が、背後に隠れていることは、現在の研究者なら誰もが認めています。
神話の起源が、縄文時代にあるという議論は、今やめずらしくないものとなっているのです。

2.スサノオ・火山説
スサノオを古代の火山神とする言説は、昭和の初期から存在します。代表的なものは、次の3点が考えられえます。
① 寺田寅彦の『神話と地球物理学』 1933年(昭和8年)
「なかんずく、 速須佐之男命に関する記事の中には火山現象を如実に連想させるものがはなはだ多い。」

② ワノフスキーの『火山と太陽ー古事記神話の研究解釈』 1955年
「日本の神話のいちばん深い所には、火山の記憶がある。スサノオは、火山の巨大な噴火として解釈できる。
ものすごい噴煙が空を覆い、太陽を隠してしまうほどの噴火を目撃した古代人の記憶がアマテラスの岩戸隠れの神話の根幹にある。」

➂ 西宮 紘(物理学)の『縄文の地霊ー死と再生の時空』 1992年「縄文時代には、火山を神とする信仰があった。それがスサノオという神の造形に結びついている。スサノオこそ、まさに噴煙をあげて鳴動する火山噴火そのものであった。」

3.アマテラスとは何か
アマテラスは、
豊作をもたらす太陽神ではなく、「火山の冬」で衰弱した国土の復活を祈る祭祀者のイメージが強い。
日本列島にもたらされた破局的災害と、そこからの再生。
その記憶が、アマテラスに込められているとしたら、この女神は、火山と地震によって宿命づけられている日本という国土、大地そのものの〝象徴〟であるともいえます。
そこにこそ、アマテラスが神々の世界に君臨し、天皇家の先祖神として尊ばれる必然性があるものと考えます。




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