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男女別学の話

先日埼玉県の方に誘われて、別学について話し合う勉強会に参加してきました。最近ニュースになっている通り、埼玉県では共学化の動きが進んでいるそう。うちは神奈川の私立女子校なので共学化なんて考えたこともありませんでしたが、なかなか有意義な話ができたと思うので記録です。


現状どんな感じか

まずは現在の動きから説明しましょう。私がニュースで見た限り、浦和高校という男子校に女子が入学を拒否されたところから事が始まり、それが気付けばトランスジェンダーや多様性の話に発展していったため、教育委員会が「埼玉県男女共同参画苦情処理委員」というのに報告書を提出したという流れだったはずです。

「男女別学」は女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約上、 男女別学であることだけでは条約違反とはされていないものの「男女共学 その他の種類の教育」を奨励することにより、男女の役割についての定型 化された概念の撤廃が求められている。
(中略)埼玉県立高校において、共学化が早期に実現されるべき である。

措置報告書 勧告の趣旨

かなり雑にまとめると、男女別学って性差別くさいし共学化した方が良くね?ということです(多分)

いろんな視点で見る別学

別学は男女差別か?

自分が女子校に行くと決まった時点で薄々感じていたことですが、別学って男子いないから女性らしいとか強要されて女性の社会進出に悪影響でしょ?みたいな考えの人って一定数いらっしゃいます。でも、本当にそう言えますか?

女子校には男がいません。その分、生徒会長や実行委員長は(当たり前ですが)女がやります。虫退治も力仕事も全部女性の仕事です。
個人の感覚ですが、女子校の女子の方が、社会進出していると思うのです。
実際今回聞いた話では、男子が生徒会長、女子が副会長という暗黙の了解があったという人もいました。そういう男女差別が、別学であることによって解消されています。
そんなわけで、少なくとも中学受験の段階では、女子校に行く人の8割が「男子無理」と言って進学します(弟は男子校ですが、女いらねーと言って進学しました)。男も女も一定数は別学の方がのびのび出来る、委員会も生徒会も異性を気にせず参加出来るのです。これを社会進出と呼ばずになんと呼ぶのでしょうか。

男女別学のジェンダー問題

トランスジェンダーという言葉は別学問題の一つのキーワードです。別学はそれぞれ「男/女を育てる機関」として存在していることが多いと思いますが、心が女性の男や男性の女は別学に入っても良いのでしょうか。
少し前にお茶の水女子大学がこれらの人々の入学を認めたと聞きましたが、時代としてなしではない選択肢な気がします。一方で、大学とは違い中学高校という思春期真っ只中の環境ですから、同じ教室で身体の性別が違う人と着替えるというのは抵抗があります。
そういう人は別学に拘らず共学に行けば良いのに、と若干思ってしまうのですが、これは差別的なんでしょうか。
こんなことを書きましたが、私の友達には2人ほど「性自認が女性っていうと違うんだよなー」という人がいます。女子校にも(心が男とまでは言えませんが)性自認が女じゃないという人は通っているのです。これが何を意味するのかは上手く説明できないんですけどね。
ともかく、「女子校だからトランスジェンダーにスーパー疎い」ということはなさそうです。とは言え、銭湯の問題などもそうですが、世の中には性自認が女だと偽って女湯に入ろうとする悪い男が一定数存在する(おそらく逆も然り)ので、そういう人を排除できない限り、身体の性別で男子校には男子、女子校には女子が入ってきてほしいなあ。

男女共同参画社会は何を求めているのか

1999年、女性に今ほど当たり前の権利がなかった時代に「男女共同参画社会基本法」は施行されました。しかし、ある程度女性が活躍できるようになってきた現在では、この言葉を便利に使いすぎてなにも考えられていないように見えます。
勉強会で話した内容には、「共同って何?」というテーマもありました。身体も考え方も男女で異なるのに、男と「同じ活躍、同じ仕事」を女にもしろというのは無理があるのではないか、共同参画が目指すのは「同じレベルの活躍」ではないか、という話。
その点を簡単にクリアするのが別学とも言えるでしょう。「男が生徒会長、女が副会長をやる共学」と「男子校の生徒会長と女子校の生徒会長」だったら、どちらが「同じレベルの活躍」をしているかは明白です(もちろん共学でクリアできないとは言いませんが、別学よりも難しいのは間違いないでしょう)

多様性の落とし穴

昨今、「多様性を認めよう」という動きが活発です。薄らとこの動きに違和感を覚えている人は少なくないはず。多様性を認めないことも多様性なのではないかと思います。認めてほしい、受け入れてほしいと思うのは自由ですが、それを強要した時点で多様性ではありません。
というわけで、行政やマスコミがこれらの多様性のどちらかを強要するのは違う気がします。「多様性を認めるのを強要する政策を作る!」というのも、「多様性を認めないという多様性で政策を作る!」というのも、多くの国民を苦しめることになるからです。個人的には、とりあえずみんなのことを受け入れる政策作るけど別に干渉はしないよ、というのがあるべき姿だと思います。
これを踏まえて、別学を全部共学化するという動きは少々ズレているように感じるのは気のせいでしょうか。どうしても男を認められない女が女子校に、女を認められない男が男子校に進学するのを、行政が妨害する権利がどこにあるのでしょうか。

しかし現在、共学派は優勢に見える

今回の勉強会で色々調べましたが、どうもあっちこっちの政治家が共学化に賛成しているようです(もちろん反対している方もいらっしゃいます)。実際の気持ちは兎も角、そっちの方が世間にウケるから。それに対して戦っているのが、OB OGや保護者会。彼らが武器とするのは「伝統や文化」だそう。
そんなんで勝てるわけないんです。この議論で戦うべきなのは間にいる高校生、さらに言えばこれから高校生になる小中学生です。そして武器としなければいけないのは、伝統でも文化でもなく「異性はいなくても良い」という多様性ではないのでしょうか
実際女子校に通っていて、異性なんていらないんです。先程も書きましたが、中学受験で別学に行く人は8割型異性と会いたくなくて進学します。愛情を無視すれば自分の人生で男である必要があるのは父親だけ。父親も生殖以外の段階で男である必要性はないですから、産まれてしまえば私の人生女だけでも困りません。『異性無理』と口では言っても、過度に男性に差別的になることもありません。生きていたら男とすれ違うし、どうせ人類の半数は男なんですから。

この多様性問題の話中に埼玉の高校生に聞きましたが、「署名運動などもあったけど結局書類に『異性無理』なんて書けないから」とのこと。政治などをラフに話すのがタブー視される日本はズルい。多くの別学派の武器は『異性無理』という感情で、それは「認められるべき多様性」の一つではないのでしょうか。
ごちゃごちゃ書きましたが、とりあえず大人が耳触りの良さだけで共学化を進めるのだけは早急にやめてほしいです。当事者でもないのに大衆ウケを狙って主義主張を通そうとするのが一番キモいと思います(個人の感想です

とりあえず私は別学を推す

色々と書きましたが、経営難以外の理由で共学化するのはやっぱり嫌だなと思います。LGBTQや男女共同参画を共学化の理由にするのは違和感がある、というのはお分かりいただけたでしょうか。嫌な話になりますが、東大への進学実績上位10校のうち7校は別学ですしね。異性がいないから頭がいいとは言いませんが、現実として何かしら関係はあるのかもしれません。
共学に行く選択肢も別学に行く選択肢も尊重されるべきであって、全面共学化は行政が推し進めるべきことじゃないような気がします


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