うるせぇ!死ぬまでピュアピュアさせろ
序文
前回の投稿もやる□Pの作品感想で今回もやる□Pの作品が題材なんだけど、別に弱みとか握られてません。ただ、単純にやる□Pがアイドルに自身の救済を求めている人間であることを知っていて、アイドルが持っているエネルギーに対する確信が僕の抱いているそれと共通しているために、言語的に説明しやすいからというのが大きな理由です。やる□Pの動画について語りたいというよりも、自分語りをする上での波長が異常に合ってしまうわけなのです。その上で今回は感想を文章として書き出さなければ、あわよくば作者も想定していないであろう物語を、空想を、メッセージを受信してしまった人間の責務として、世の人々に啓蒙しなければという使命感を抱き筆を執ってしまったので、しょうがない。
本記事は、あまりにも独り善がりな妄想を吐き出しているだけであり、作者の意図も楽曲解釈もその他すべてのこの記事に登場する私の思考と思想以外は妄想で空想で思い込みの産物です。脳内の対話が文字として書き留められただけの他人の脳が生み出した幻の残滓なので、一切の事実関係が存在しないため真に受けないでください。
今回の題材
見た?見たね?よし。
どうでしたか?いい動画でしたか?
私はこの動画が凄く好きです。
でも、過去一番好きな動画であるとか、今後一番思い入れのある作品になるとは思っていません。
それでも特別な動画です。
2023年の今現在、僕と「アイドルマスター」との関係性において、重要な動画であり、僕に「アイドルマスター」と対話させてくれた動画なのです。
前提として
まずは自分語りを。というのも本記事は動画について語る記事というよりかは動画を通して自分語りをするための記事です。
そのため、この作品と楽曲に思い入れを抱いた経緯について説明します。
あなたはいつ「アイドルマスター」に出会いましたか?
答えられる貴方は幸せです。その思い出を本当に大事にしてください。それは私がどれだけ望んでも手に入れられない記憶です。というのも、私は「アイドルマスター」との出会いを覚えていないんですよ。
β時代から入り浸っていたニコニコ動画が入り口であることは間違いないけれど、『組曲「ニコニコ動画」』でとかちを聞く以前から知っていたものの、明確な出会いの瞬間は記憶に残っていないんですよ。
『Destiny』で「ねぇ、最初に出会った日、覚えてるかな?」というフレーズを聞く度に「(覚えてないよ)」ってなり、何年経ってもしょうもなくて切ない気持ちになります。
そんな出会いの記憶も曖昧なアイドルマスターとの付き合いも気がつけば15年以上経っているわけです。15年以上経てばいろんなことがあります。見る専としてアイマス動画を漁っていたり、アイドルマスター2の発表を受けた時に感じたアイドルに置いて行かれるという焦燥感と、その焦燥感とは一切無関係な他人の怒りや嘆きが自分の意見に成り代わろうとする気持ち悪さに嫌悪感を感じたり、
何も出来ない僕にも何か作れるかもしれないとMMDの衣装モデリングに手を出したり。
その衣装がちょっとは認められていろんな人に使ってもらったり、
MMDの「M@STER PEACE」で衣装の使用に声をかけていただいたり、
「アイル」のMMD動画のモデルを担当させていただいたり、
ミリオン合作の光線Pの動画パートのアイドルモデルを担当させてもらったり、
鬱々真っ盛り無気力状態でモデリング出来なくなったり、そこそこいろんなことがありました。
そんな、「アイドルマスター」との付き合いですが2015年以降は何かあるたびに自分は「死に損なってしまったんだなあ」という気持ちが常に付きまとうようになります。
10thではなくMOIW2015として開催されたあのライブ
私はあのライブで綺麗な終わりを迎えられると心のどこかで思っていました。終わりというべきか区切りというべきか。でも、生き残りたいと願われてしまった。願ってしまった。「アイドルマスター」が願うならば、必然世界が応える。それだけの熱量があの瞬間には存在していました。
今でも覚えています。新作発表としてプラチナスターズの天海春香が画面に映し出されたときの絶望感、タイトルの後ろに並ぶアイドル達のシルエットを目にした瞬間の絶対に許容できない確信。自分が今まさに死ぬべきだったタイミングを逃して、これから訪れる空虚な世界でただ生き続けなければいけない予感への恐怖。そしてそれを忘れさせるだけのライブが目の前に広がっている幸福感。
予感は当たりました。
「これも現実」と受け入れこそ出来ないものの、割り切ってはいました。
心ではずっと「望めば叶う、必然をもたらすだけの力があるのに何故、こんな結果に…」という思いを暴れさせながら。
「これが最後かもしれない」、「今回で終わりにしたくない」という生きることに対する渇望と熱にあてられたからこそ、生きているならば付き合わなければいけないという思いに囚われる。
アイドルマスターおそらく終われないコンテンツになりました。
ウルトラマンや仮面ライダー、ガンダム同様に姿を変え形を変えてでも、名前を残すコンテンツとして変質したと言えるでしょう。
つまり、私はアイドルマスターと別れる機会も心中する機会も逃してしまった情けない抜け殻なのです。
そんな私ですが、あと2回。あと2回だけアイドルマスターと円満に訣別する機会が残されていました。
それがM@STE PIECEとアイルです。
動画作成として携わったわけではないけど、一片の混じりけなく自分の理想のカタチが結実しているこの2作品が、「まっとうに」「正統に」「望む形」で塗り替えられさえすれば、ちゃんと未練なく、今度こそアイドルマスターに殺されてあげられる。
そう考えていました。
ミリオンライブ10thAct1 DAY1 改めてアイルが披露されました。
自分の身体の半分から魂が抜け落ちた感覚でした。
救われました。
まごうことなく正しく前に進み至ったアイドルとしての伊吹翼と真壁瑞希とジュリアの姿を確認し、少しの寂しさとそれ以上の喜びがありました。
そしてミリシタでのM@STE PIECEの予告。
終わりの近づきを確じました。
……秋月律子の存在とANIMATION STAGEという単語にMOIW2015の時に感じた最悪の予感に目を背けながら。
ミリオンライブ10thAct2
映像が公開された。
終われるかもしれないという予感が揺らいだ。
褒めている人がいる…喜んでいる人がいる…
俺は口先だけでしか喜べない…
2023/8/8 生配信での一般公開
怒りが閾値を振り切った、声もでなかった。
俺の大切な思い出であり誇りであり期待を、消費された。無駄にされた。
ゴミにされたと感じた。
似ても似つかない絵柄のイベントイラスト
デザインと配色を考慮していないバカみたいな色変え衣装
クソみたいなキャラデザのアニメに繋げるために書き換えられた物語
多くの歳月をかけてこの程度という失望
せめて作るのであれば、映画のシーンをそっくりそのまま置換してなお、新しく作られた物が優れていてしかるべきという事実から逃げたこと。
その髪型の秋月律子がステージに立っている事
冒涜だった。
死に場所を奪ったどころか俺の聖域に唾を吐き捨てやがった。
怒りしかなかった。
ラビットホール
話しは変わって楽曲について。
DECO*27という作曲者がいる。
楽曲にもボカロにも明るくない私が、やる□Pの作品を通じて認識出来るようになった方です。
今回も例によってやる□Pのダイレクトマーケティング、おそらく今後作る作品として紹介された。
例によって川瀬三奈、自分が読み解ける物以外にいっさいの興味を持たない愚か者。人が勧めてくれた楽曲に対して最悪の態度で返事をする。
「申し訳ないけど良さが理解できないので、アイドルマスターに変換してから持ってきて」
音楽的素養が一切なく、ここ十数年アイドルマスターでしか楽曲を摂取してきた馬鹿の末路である。いや、マジでよく縁切られないな…
それはそれとして、アイドルマスターにコンバートされないと本当に霞がかかったように画面が見れてない。
終盤の曲調変更は流石にわかるけど、歌詞は聞き取れないし、画面に歌詞が書いていても読もうとしないしで最悪の態度である。
「春香と美希でつくろうかなって」
それならそこそこおもしろい動画になるんじゃないかな~
なんて思いはしたけど、そこで記憶は完全に忘却、誰で作ろうとしていたかも完全に思考の彼方へ追いやり、何となくの曲調だけ覚えて、それ以上の記憶は本当に残っていない。そんなファーストコンタクト。
セカンドコンタクトは意外なところで現れた。
最近mobiusPが締め切りに追い掛けられて、珍しくTwitter上で焦っている。
本当に珍しいが彼がヤバいときは大体ヤバい作品がこぼれ落ちてくる。
サムネが詐欺にならないか危惧したり、ヘトヘトになっているのを横目に、珍しくアイマス以外にも関わらずモーション配布動画を楽しみにしていた。
そんなこんなで投稿された動画がこちら
メロディ聞いた瞬間大爆笑
楽曲もろ被りじゃんwww
それはそれとして、今作は彼の今までのモーション配布動画と異なり、作品としてのレベルが高い。
虜になっていた。
まず第一にモーション
ダンサーのチャイナさんの激ヤバオリジナル振り付け
第二にカメラモーション
ゆきねこさんに依頼したつよつよカメラ
あまりにも映像を構成している要素が強すぎる。
じゃあ、mobiusP は何したの?
「ダンスをキャプして、カメラを依頼して、私は組み合わせただけでいつも通り、周りの人が凄くて何もしてないです。」って謙遜しようとしているけど俺の目は欺けんぞ。
(ここから言いがかり)
シャイニーカラーズの新作ゲームを真っ正面から殴りにいきやがったな!「ありったけの輝きで」でキレざるを得ないカメラワークのPV見せられて、液晶横並び三画面ステージはこうやって使うんだよ!って叫ぶためのステージ配置だろこれ!
他の視聴者がおしゃれステージとして認識していたとしても、俺が気づかん訳なかろうが!このアイマス公式殴るの大好きマン!
(ここまで全部言いがかり)
※上記の内容はあくまでも川瀬三奈個人の妄想と偏見であり、すべて事実と異なります。ちなみに筆者は戦闘機マンに弱みを握られています。
そして、作者本人から告げられる驚愕の事実。
「作成依頼したカメラ、モーションを渡しただけでステージは共有していません」(意訳)
つまり、
偶然の産物ってこと?
意味分からん。
演出を背景画面だけに抑えてカメラとダンスとモデルの可愛さで通しきる、そして、偶然に発生する最高の瞬間を必然的に発生させる。
これは凄い動画ですわ。
とんでもない、無駄がない、凄みがある
やるじゃん
部門で1位とってました
実績付きのガチつよつよ動画じゃん…
生意気に語ってすみません。反省しま~す。反省しました~。
それはそうと投稿されてから3日間で誰よりもこの動画見てるはずだから許して。
そんなセカンドコンタクト
サードコンタクトはやる□Pの仮組動画
一応組めたと言われて送られてきた。
その日はお仕事で疲れて帰ってきて潰れていたタイミングでした。
疲れていると人間どうしても口が悪くなる物です。
「この動画はつらい、気持ち良くない、何が見せたいのかわかんない。本当にこの色でアイドルが見えてるの?」
…あれ?何で絶縁されていないんだろう?
言葉の端々から何となくこんなもんでいいんじゃないかというニュアンスが感じられる…
これはもうあれか?一回も作ったことなければAviutlを真剣に触ったことのない俺が自分で作らなきゃ駄目か?なんて思考が少しだけ生まれる
そんなサードコンタクト
翌日、マスピが公開された。
怒りで埋め尽くされた
アイドルマスターの動画を作るという行為に今から取り組む気持ちがすべて霧消した。
そして投稿日前日
やる□Pが改めて投げてきた進捗動画は劇的に変化していた。
何かが変わる予感がした。
私が見た「やっぱり好きとかやってられんわ」
では今からこの動画からどのようなメッセージを受け取ることが出来るのかを皆様に啓蒙しますので、皆さんは、自分の感想を強く持って、私の寝言に影響されないでください。
この動画は天海春香と星井美希を通して「アイドルマスター」というコンテンツと対話する作品です。
自分の中に存在するイマジナリー「アイドルマスター」と言う存在を幻視してください。それはつまりアイドルマスターと貴方の思い出です。担当アイドルがいる場合は若干困難かもしれませんが、そこはセンターアイドルとか言われちゃってる春香と美希にめんどくさい物全部引き受けてもらって、2人に形代になってもらうことで擬人化してください。
出来ましたか?出来ませんか?してください。出来ましたね?
では、「アイドルマスター」が動画の歌詞で問いかけてきます。
開幕初手で煽ってきやがった。
ひっぱたくぞ。
脳に去来する「アイドルマスター」に対する罵詈雑言の数々
「お前がこんな風にしたんだろ!」
「どの口が……!?」
一言で人を瞬間湯沸かし機にしておいて、こちらからの非難の言葉全てを直後の
というパートですべて聞き流します。
そうです。この動画はラビットホールという楽曲の歌詞を借りて、「アイドルマスター」が私に対してさっさと消えてくれと一方的に言葉を投げてきます。
一番の歌詞でここまで「アイドルマスター」の声が聞き取れますね?
え?そんな言葉は聞こえてこない?
本当に?感受性が乏しいって言われませんか?
じゃあ、改めて聞いてください。
なんか、だんだんそんな風に聞こえてきたでしょう?
じゃあ、15年来のつきあいの相手が今からお前のこと口汚く罵るからと宣言した上で浴びせられる悪口雑言、どう返事するかはわかりますよね。
この程度の言葉をぶつけられたところで
「じゃあ、アイドルマスターを諦めるか~」とはならないわけなんですよ。
その程度で折れたり、見限ったり、手放したりが出来ないくらいしがみついてしまっている現状に、こちらは泣き言と情けなく縋りつく言葉を漏らすしかないわけです。
しかし「アイドルマスター」とかいう口の悪いクソ野郎は自分が投げかけた言葉に対して肯定と了承の言葉以外は受け付け得る気がありません。
なので、Love, bluh bluh bluh のパートで改めて私の反論を、ご丁寧にも手で口をパクパクするモーション付きで「クソボケ未練タラタラ野郎が『愛だ好きだなどと申しておりw』と聞く耳持たずに勝手に要約して茶化してきます。
同じ言葉を並べていますねw
言葉の力が弱まっているので、映像効果が強まっている感じがいいですね。この作品、時間経過とともに映像演出と映像効果が増加傾向にあります。
普通に演出と本心の関係性を考えれば、本音に近づけば近づくほど装飾が剥がれシンプルになっていくと思いませんか?
でも、私のアイドルマスター観は異なります。
強く心が望むほど、本心に近づくほどに光が音が演出が否応なく呼応するように反応してしまう。演出の介在を許さない余裕のなさこそが欺瞞であり、どうしようもなく輝いてしまうのが僕の思い描く「アイドルマスター」なのです。
美希の色に、春香の色に変わるこれが「必然的演出」というものです。
「アイドルマスター」が弱音を吐きます。
縋りついて、みっともなくても未練を断ち切れなくて、応えてくれない相手にキレてしまう私に対して、自分こそ等しく全ての人間の要望に応えられる輝きを放つこともできないみっともない存在になってしまったことを「アイドルマスター」が謝ってきます。
あまりにも泣き言ですよね。だから必然的にLove, bluh bluh bluh のテロップが入ります。聞かされている僕も弱音を吐き出さざるを得ない「アイドルマスター」もお互いにしょうもない話であることを理解しているから、上下二カ所にテロップが流れるのです。
だけど私は「アイドルマスター」が
「やあやあやあやあ 悪い子さん」と同類扱いしてくれて嬉しくなるし、
「まあまあまあまあ お愛顧じゃん」と自分の事を棚上げして有耶無耶にしようとしてくることに笑いがこぼれるし、
「さあさあ、始めるよ」と言ってくれるだけで心の芯が期待に震え、
「もっとこの穴を愛してよ」と明確に望みを口にしてくれたことで喜びを感じてしまうのです。
でも口に出したその関係はあまりにも情けない関係であり、本来口に出して再確認するような事でもないので、お互いに最後に三文字でまとめるのです。
貴方の「アイドルマスター」はなんて言ってましたか?