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箱根八時の半帰路、う… 〜浪漫社慰安旅行 Part6(完結編&総論)
とうとう月をまたいでしまった、過ぐる2月11日(木・祝日・建国記念日)から同13日(土)の、我らがバー『浪漫社』の慰安旅行の連載日記。
長らく駄文にお付き合いいただいてきたが、今回はその完結編。そして総論をお届けしようと思う。
まずいきなり総論からになってしまうが、
「ほとんど多くの場面で、切る札(カード)を間違えた」
と述べざる得ない。
丁半博打でいえば、賽の目が裏——いわゆる裏目というやつでやすな。
で、ここでさらに唐突ながら、浪漫社にとっては、
「箱根=ロマンスカー」
だということをまず念頭に置いていただきたい。
なにぶん自分らの店——というかそもそもはママ(女房)とマスター(俺)の創作プロジェクト名なのだが——に〝ろまんしゃ〟と名付けるほどに、ふたりともにいわゆるロマンチックなものが大好きでそうした言葉にまた弱い。大正ロマンとか、それこそ銀ブラとか。
(このあたりはまた別途、稿をあらためて熱き心にのまにまに語らん)
なので本当は往路で新宿から箱根に小田急ロマンスカーで向かうのが理想だったのだが、Part4で綴ったような諸般の事情から一泊目は茅ヶ崎で二拍目に箱根ということになり、それでもロマンスカーには絶対に乗らねばということで、箱根湯本駅20:30発の展望席を予約したわけだ。
残念ながら先頭はすでに予約されていたので、2列目を。
さてここまでが例によって長い前段。Part5ラストからの時系列に戻る。
まさに本日3月1日、関西の1府何県かは件《くだん》のナントカ宣言が解除されたわけだが、当日はまだいわゆる短縮営業が〝要請〟されていた時分。
「飲食店の営業は20時まで。酒類の提供は19時まで」
というやつだ。
ウチもそれじゃあ商売にならないということで思い切って事実上の休業をし〝だからこそ〟Go Toナンチャラとは無関係に慰安旅行をしようということになったのだが、それでもまだ我らの店がある東京都杉並区阿佐谷周辺は20時まではテイクアウトなどで踏ん張っている。
だからかの箱根湯本の、ことにまだお土産屋さんなどはまだ18:30から20:00までは開いているだろうと、あるいは食事のひとつも出来るであろうと甘く見積もっていたのだが、これが甘かった。
19世紀末「ベルギー象徴派」の代表的画家フェルナン・クノップフの代表作『死都 ブリュージュ』もかくやと言わんばかりに、いつもは観光客で賑わう箱根湯本商店街の店たちがほぼ100%シャッターを降ろしている。
衝撃的な光景だった。
繰り返すが、土曜日の18:30ちょっと過ぎの風景。
俺なんぞが簡単に言えることではないが、都内繁華街と観光地とは「店」としてのスタンスが異なることを、腹の底から思い知った。
これは本当に、きつくつらいであろうと。
だがそれでもこちとらの「食事と休憩」のために裏道など含め徘徊することしばし。
いくつか開いている店はあったが3組待ちとかその他にて食事処は断念。
つまるところ箱根湯本駅前の喫茶『銀座ルノアール』をようやっと見つけ、ロマンスカーの時間まで留まることにした次第。
それが、19時ちょっと前。
そのルノアールが入っている建物の写真。
かの「富士屋ホテル」でさえアンテナショップを休業せざるを得ないとか、やっぱり異常な事態なのだろうと痛感したのだが、それはそれとして先に紹介した20:30発のロマンスカーのハナシに戻る。
20時過ぎに同車が箱根湯本駅に折り返しで到着したのでまずは乗車。
で、俺はまだ出発まで時間があるので煙草を吸いに改札でことわって外に出たのだが、さて列車に戻らんという時にママからPhoneのメッセージが。
曰《いわ》く、
「私たちの席取った奴、最悪な奴だった(笑)」
「予想を上回る酷さ(笑)」
(原文ママ)なのだが、何事かと思い戻ると、我らが先頭車両に入った瞬間になにやら異臭が。
なんだこりゃと思いつつ席に戻ると、ロマンスカー展望席1列目、我らの席の斜め前で——こう言っちゃ申し訳ないが——いかにも「オタク」なデブメガネくんがコンビニうどんをすすっている。
さらに傍《かたわ》らには膨大なコンビニ食材と缶の酒。
またねえ、いちいちブツブツ喋ってんだこれが。典型的なイッちゃった系のオタクだと思ってくださいまし。
このことの詳細については語るほどでもないのだが、終着の新宿まで、バキュームカーかというぐらいに次々と飲みモン食いモンを吸い込んでいく彼に、うわわと思いつつ付き合いましたよ、
ある意味幻夢的な光景を〝我らがロマンスカー〟で。
ここでその彼を責めるつもりはひとっつも無い。
彼は彼でたぶん、
「ロマンスカーの先頭席で飲み食いをする」
といったことがアイデンティティなのだろう。夜間、ほとんど路線の光景が 見えないにもかかわらず。
とまれ「彼」と「浪漫社」とのロマンスカー、もっと言えば「箱根」への思いというかベクトルが異なるわけだ。
で、このことに代表されるように、今回の二泊三日旅行は、随所で我らの「思い」とは裏腹に「なんらかのズレ」があったと言える。
そして23時過ぎに帰宅してみれば、玄関先にUber Eatsの誤配(置き配)はあるは、ようやっとやれやれと腰を下ろした瞬間に例の福島県沖を震源とする大きな地震はあるはと散々な始末。
なんだかとどめを刺されたみたいだねと、ふたりで苦笑いするしかなかった。
そんなこんなでいろいろあった今回の慰安旅行。
〝慰安〟になったかはともかくとして、いくつかの裏目もなかなか体験できることではなく、面白かったと言おう。
この反省を踏まえて次に活かそうね、と女房(浪漫社ママ)とも、繰り返し反芻している。
そしてやはり、ロマンスカーは昼の往路に限る(笑)
ヒトは、いつでもヒトとして生きていて、都度から学んで、次に行くんだろうなと、この時世下にあらためてしみじみと思い、考えた小旅行。
くどい連作日記になったが、俺の言葉とか心象とかが皆さんにとってなんらかのヒントにでばなればいいなと思い綴ってきた。
お付き合いいたたき、心から感謝します。
とりあえこれでオシマイとするが、まだまだ語りたいことはいろいろある。ソン時ァまたお付き合いのほど。
つか、note最高っすね。