メイ・ジン・ブラック ~ 追悼、山藤章二師匠
いずれちゃんと綴る予定だが、俺の短いザ・青春な10年間(小学校卒業から最初の結婚&人の子の親となるまで)の〝昭和50年代〟が、
「パロディの時代」
だったことに、心から感謝をしてゐる。
おかげさん(©︎相田みつを)にてこのトランプだかタロットだかに代表されるSNSな分断の時代においても、比較的冷静に、笑いながら考えることが出来るニンゲンになった。
モンティ・パイソンやスネークマン・ショーをはじめそんな昭和40年代の軛から放たれた「ポスト政治の時代」の例を挙げだしたらキリがないが、中坊でも解りやすいパロディだったのが、『ブラック・アングル』だった。
物心ついたころから母が「週刊朝日」を毎週購入していて家に転がっていたこともあり初期の傑作『仲よき事は美しき哉』(1976年4月30日号)もたぶんリアルタイムで見て(観て/読んで)おり、
「よくわかんないけどおもしれーっ!!」
と、13歳の俺は思ったのよ。
逆にいうと「武者小路実篤」という名前もここから知ったし、ああそういえば馴染みの蕎麦屋とかにこういう色紙が飾られてたなあと思ったもんだ。
パロディから、オリジナルを知る。
「パロディとはなんぞや」みたいなものも、『ブラック・アングル』が嚆矢だったな、俺にとっては。
で、以降、下記に詳しく語るが「山藤章二」はある種〝神〟になったんだけど、それがまたヤハウェだかキリストだかモハメットだかってな砂漠の絶対神ではないあたりがまた、い〜いんだよね。
七福神とか、八百万の神的なやつ。
先のように俺の、ことに高校時代は「パロディ全盛期」で、故に45年前から「アートだった俺(笑)」はいろいろ戦ってたんだけど、それはともかくその頃に山藤章二をちみっと研究してみたところ、「戯作」だとか「戯画」だとかって言葉を知ったのね。
で、その細かいところは置いといて、後年、浮世絵や黄表紙なんかの知識を得るにつけ、
「うわ、あれ(山藤章二)が原点だったんだな……」
と、思っちゃったりなんかしちゃったりするわけだ。
また、この10年ぐらいにあらためてどハマりしている落語なんかにしても山藤章二って人はたいへんな功績・業績があるわけで、そこもまた感謝しきり。
イラストだけで、古今亭志ん生がクるわけだ(笑)
あと、目指せ藝大デザイン科だった頃の俺が衝撃を受けた山藤師匠の言葉が、
「僕は、どんな字も書ける」
だな。
スティーブ・ジョブズもタイポグラフィの重要さを語ってるけど、もっと凄いのだよご同輩。
山藤章二作品を見る時は、イラストやテーマだけではなく、書き文字にもご注目いただきたい。
——あ゛ー、キリが無いな。
とまれ『花王名人劇場』OPのキャラクタとか、実篤(真理)先生に怒られる「ブラック氏」とかの、さりげない「粋」が、どうにも好きだ。
『象印クイズ ヒントでピント』の見事なキャプテンぶりも含め、山藤章二〝師匠〟のすべての振る舞いが、俺の成分です。
ありがとうございました。安らかにお休みください。