異世界探索記29
旧ser.42(2022年6月13日公開)ser.43(7月3日公開)ser.44(7月11日)より抜粋
① 2022年6月5日①午前深夜 「最上階での集会」
夢。巨大な学校にいた。学校内にゲームセンターがあった。ゲームセンターから教室に向かうと、これから学校集会らしく、みなが講堂に向かっていた。幼馴染のNがいて、私は彼に「最新のゲームがあったよ」などと言っていた。そして私も講堂に向かった。
講堂は最上階にあった。私は自分のクラスのところに並ぼうとした。すると成績優秀スポーツ万能で番長的存在だったHがいて、私に「何人から混ざらなくなるの?」と聞いた。つまり所属しているチームの人数が少なすぎると、他のチームに混ざってしまうというルールがあるらしかった。
私は7かな、8かなと考えたあとに、「8人だと思う」と言った。するとHは、そんなに?という表情をして、それならそれでいいけど、という感じで「俺なら混ざるのは2人までだな」と言った。(つまり3人でチームを作れるということ)
(感想)
いきなり余談ですがH君は今、大学で准教授をしているらしいです。小学生のころ、誰も彼に歯向かうことはできませんでした。小学生時代の頂点の人物です。もちろん、夢での彼は何かの例えのはずです。
私が3という数字で思い出すのは、小さな黒い蠍が3匹いて、薄い氷が張ってある海を渡っているという明晰夢でした。海に一時的にはまることもあるけれども、蠍たちは仲良く連携して、誰も溺れないように進んでいきました。その後、ライオンが冷たい水の中を泳いでいて、その後に少女が泳いでいました。
この明晰夢は、「はじめに」に書いたアヨコスモスからマクロコスモスへという流れから始まり、それ以下の世界への流れを象徴的に表していたのではないかと思います。つまり、海はH3のことであり、H3に繋がるアルクトゥルス、そこにつながるアルシオン、そしてそこから創造行為をもたらすためのもう一つの恒星、ここでは蠍だったわけですからアンタレス。この3つの連携を示していたのではないかと思います。その連携の先に、生命体や人間という存在が創造されていくということです。
この3の数字は創造原理の数字であり、「恒星の地図」は必要がないというか、まだ地図に描くことができない状態のはずです。純粋なるロゴスの世界です。
私は7か8で悩み、8人必要だと言いました。これはマカバのことに思えます。2つの正四面体が重なりますが、そのうちの2つは同じ点が変換したものとみなすこともできます。それは7であり、8でもあるのです。
頂点的存在のH君は3人でいいと言いました。マクロコスモスでの存在性を継続するための最低限の結晶が「3」ということを伝えていたのではないかと思います。
すると7とか8がライオンに当たり、12感覚を揃えるということが少女に当たるということなのかな?となんとなく思いました。前作でメンカルから異世界に移動した時、アテナを取り巻く聖闘士星矢のゴールドクロスをまとったキャラたちの絵があったのを思い出しました。
さらに恒星マトリクスという考え方で、自分をもっと大きな意味で構成する恒星の数。さらには、直接的関係はないが接触可能な恒星の数。といったふうに、アヨコスモスからマクロコスモスさらにデュートロコスモスへと、階層的に関わる恒星が増えていくと言うことだと思います。
そういうことで、それぞれの数に対応する恒星が何なのかを考えてみるのは面白そうだと思いました。
① 2022年6月20日朝 「暗闇の中のダンス」(節制→太陽→サルタヒコ?→アメノウズメノミコト→天照大御神)
今朝は、たくさんのターゲットに接触した。次から次へという感じだったので、すべてを思い出すことはできない。思い出せることだけ書いておく。
変成意識に入ると、おそらく実家2F中央の部屋。私は何故か突然、「横のつながりをもたらすためには、『節制のカード』を呼べばいいのではないか、と思った。なんとなく壺から壺へと流れる水が、繋がりを生み出すように思えたからだ。『節制』というと、おそらく下降していき、暗闇の中にいて、体が自動運動していた。両脚の動きが特徴的だったはずだが、思い出せない。
私は暗闇の中で動きながら、そのまま「いや、つながりをもたらすならば、『太陽のカード』ではないかと思いなおし、『太陽』を呼んだと思う。双子の会話の絵柄からそう思ったのだ。これも自動運動したが、内容は思い出せない。
次に私は『サルタヒコ』を呼んだような気がするが、はっきりとは思い出せない。これについては記憶に自信がない。突然の思い付きの繰り返しだったため、他のターゲットだったかもしれない。
次に呼んだのは恐らく『アメノウズメノミコト』で、これは確か、前の自動運動が制止してから呼んだはずだ。そしてここでもやはり自動運動が始まり、これは何か踊っているような感じだった。両腕を上に上げてゆらしていた?私は、この踊りをしながら、「ここから何かにつなぎたい」と思った。そして思いつくまま『天照大御神』を呼んだ。するとダンスの形態が変わり、違った自動運動に変化した。そしてそのままフェイドアウトした。
フェイドアウトしたが、何度起きても変成意識中の別の部屋であることを繰り返していた。何とか今の体験をメモしたが、メモするごとに「これは肉体次元ではない」と思った。
今日の一連のダンスの特徴は、暗闇の中で、床が見えない中で、まさに「空中ダンス」というスタイルであったことだ。いつもは宙に浮かんでいるものの、床が見えており、その上に浮かんで踊っていることが多い。
③ ダンスから光へ
これまでのダンスは、下降しながらだとか、あるいは少し床の上を浮いてとか、場合によっては振動する踵を地面につけて、というダンスが継続していました。そして自転運動、公転運動が伴う動作が多かったと思います。
今回のは、制止しているわけではないですが、地面が見えない真っ暗闇の中でのダンスであり、自分を取り囲むキューブの中央付近でのダンスと見てよいのではないかと思いました。
自動運動の定番の流れは、変則的なことも多々ありながらも、こんな流れだったと思います。
1 垂直に上昇する
2 垂直に下降する
3 時々、色々な動物に変身する
4 少し浮かんで自転運動する
5 少し浮かんで公転運動する
6 少し浮かんでダンスする
7 そして今回の、暗闇の中に浮かんでのタンス
恒星意識が、1人暗闇の中で光っている状態と、今回の暗闇の中でのダンスは、何か似ているものを感じます。そして先日、快感がミゾオチまで上がったり、頭が爆発しそうになったりした経験などを加えて考えてみますと、この踊りはやがて、暗闇の中で六合に放射する光に変化するのではないかと思います。
ダンスは、ヒューマノイド型を維持したままで、なんとか恒星意識を表現しようとしている状態だと思いました。そしてそこから光に変わる手続きとして、様々な動物に変容するという経験が助けになるのではないかと思われます。光になる前に、人型を超えた形態を様々に経験することによって、その拘りを減らしていくことができるであろうからです。
2019年ごろに、自分の中心に光があり、それが放射するイメージをしたとき、まばゆくて直視できないほどの光(あれをアストラルライトというのかもしれない)を見て、びっくりして目を開けてしまったことがあります。これはビギナーズラックで、それ以降はできたことない(というか、1回目がラッキーで、次ができる気がせず、後回しになっていた)のですが、きっとあの光になるのだろうという予感はあります。しかし前は、その光を外から見たのであって、その中心にいなかったわけですから、何が見えるのかは、全く違ったものになる可能性が大きいです。
ここまで記入してきて、今回、なぜアメノウズメノミコトや天照大御神を呼んだのかを考えてみました。アメノウズメは踊りであり、天照大御神は太陽の光(アストラルライト)というわけで、ダンスから光に移行する手続きとして、この二柱の神を呼んだのだと思います。なんと言いますか、分かりやすいですが、なぜすぐにそんな単純な構造に気づかなかったのだろうと思わされました。私は「ダンスから光へ」という可能性に先に気づき、二神のことは後から考えたのです。
私がこのニ神を無自覚に選んだのは、私が日本人であるということ、また神社関係者であるということからくる連想だと思います。他の神話にも、同じ型のものを見出すことができるはずです。手あたり次第に恒星や神々に接触しているように見えて、「小さな私」からは見えていない意図がそこにはあるのだろうと思いました。
この手当たり次第感は、トゥバンの大図書館の情報を利用しているのだと思うと面白いです。「大きな私」が「小さな私」を回収するために、トゥバン図書館の中で膨大なデータの中から必要な情報を取り出し、データを送り込んでいるという筋書きです。「小さな私」から見ると、なぜそれをしているのか、なぜこんなにターゲットが散らばっているのか、全く分からないわけです。
しかしこの計画が進むほどに一体化していき、「確かに完璧なシナリオだった」と思うことになるのでしょう。その光に成れる(あるいは慣れる)まで、人でない存在に変容し続け、踊り続けようと思います。
④ 2022年6月25日朝 「13蛇の道」
最初は夢を見ていた。大きな鏡の前に、女優が3人座ってして化粧などをしていた。おそらくこれから出番なのだろう。真ん中にいたのは若いころの安達祐実で、その顔が鏡に映っていた。ニコニコしていた。右側にいた女優が安達祐実に何か教えていた。フェイドアウト。
フェイドインするとベッドの上にいて自我意識がしっかりしていた。木造っぽくて暗い部屋だ。大きいが薄くて白い本棚のようなものの側面が見えたので、ベッドから降りてそちらに歩いて行った。ベッドから降りてすぐに、何か大きな布のようなものが両足にまとわりついたが、私はそれを無視してその本棚まで行った。(タオルケットかなと思った)
本棚を見ると、ほとんど本が無かった。少しあった気がするが、何の本かは分からず、興味もわかなかった。
私は両腕を掲げ、Yの字の体勢で、予定していた通り「13蛇の道」を呼んだ。若干イケメンボイス調になった。すると自動運動が始まり、仰向けに倒れていき、そのまま空中に浮かんだ。そしてミゾオチ辺りを中心として、プロペラのような自転運動が始まった。時計回りだった。そして天井の回転の軸の中心に当たる部分を見つめていた。木でできた天井が見えていた。しかし思い返すに、ミゾオチ辺りを中心に回転していたにしては、回転の円が大きすぎのような気がする。途中でYの字の体勢は無くなり、頭だけになっていたのかもしれず、その軌道が大きくなったような気がした。
「このまま気を失ったり、回転が終わったりしたらつまらない。別の世界に行けないだろうか?」と思っていると、しばらく回転が続いてからフェイドアウトし、肉体的に目を覚ました。
(感想)
蛇、鏡、三人の女性というと、最初にゴルゴンの三姉妹(一番下がメドゥーサ)を連想しました。この夢では3人いたけど2人にしか注目がなかったです。これはなんとなく先生の新作にあった、アルゴルとアルクトゥルスは姉妹というのを思い出します。この夢を見る前から「13蛇の道」は念じていたわけなので、つまり、アルシオン、アルゴル、アルクトゥルスの組み合わせということになるのかな、と思いました。
この注目されなかったのがアルゴルに当たり、話していた2人がアルシオンとアルクトゥルスという配置なのか、と思いました。
ベッドから降りて足に絡まったのは、脱いだ服ということだと思います。脱衣婆としてのハタラキを見せてくれたのでしょう。それを私は無視しました。脱いだものに気を取られてはいけないということだと思います。
白い大きな本棚には、ほとんど本がありませんでした。これはデュートロコスモス(あるいは脱出したいコスモス)が形成する物語が消し去られるということを示していると思います。思い出を消すということでもあるかも。
ミゾオチ辺りを中心にして回転が始まり、うろ覚えの通り、ボディーが頭だけ(あるいは意識の点だけ)になっていて、天井の中心を見ていたとすると、その中心点は当該コスモスの脱出口ということで、脱出に意識を向けているということに見えました。
体験的には、「ミンタカ」が明らかに「脱出」という形態をとっていて分かりやすかったのですが、今日の「13蛇の道」はどこか歯切れが悪い感じがしました。「ミンタカ」は強制退去的であり、「13蛇の道」は徐々に出て行く感じなのかな?と思いました。
⑤ 2022年6月26日②朝 「釈迦如来」
前の御祭神への接触が終わった後、何を呼べばいいのか分からないでいたら、何故か「釈迦如来」が思いつき、両腕を掲げてその名前を呼んだ。するとバク転するように宙で回転し、そのまま頭を下にして地面の下に下降して行った。しかしいつの間にか体感は仰向けの下降になっており腕の位置はY字ではなくなっていたような気がする。さらに両脚がお互いを巻き込む蛇のようにぐるぐるになっていき、両足の甲がぴったりとくっつき、「絶対に離れない」と言わんとばかりにギューっと張り付くような感じになった。
いつの間にかあたかも足を下にして、垂直に下降する感じになっていた(もしかしたら、身体が無くなり意識の点になっていたのかもしれない)すると目の前に、見知らぬ都会の町が超倍速で動いているのが見えた。私は下降していっているので、まるで縦長の絵巻物の写真を見ているような感じも混ざっていた。高速すぎて、はっきとは見えないほどだった。
そこにアニメーションの絵柄で、黄色い僧服を付けた僧侶が見えた。この僧侶だけは私の視点に固定されており、景色に紛れることはなかった。いつの間にか、この僧服が青色になっていた。これは服が変化したのか、僧侶そのものが変化したのかは、よく分からなかったが、なんとなく前者だったのではないかと思う。そのまま視野がフェイドアウトしていき、グレー空間の中を下降し、スムーズに肉体に吸い込まれるような感覚を覚え、そのまま目を覚ました。
⑥ 2022年6月29日①朝 「ズベンエルゲヌビ」
実家2F。階段を下りて玄関の扉が見えるところに来た。そこで予定していた「ズベンエルゲヌビ」を呼んだ。やや勢いのあるまっすぐな声。
自動運動が始まり、まず空中に浮いて仰向けになった。腕がT字型に開き、両足は軽く開ける感じになり、そのまま床下に下降して行った。暗いグレーの空間の中をぐんぐん沈んでいった。そのとき、軽く開いた両足が、それぞれすりこぎ運動のようにぐるぐると回転していた。そしてそのままフェイドアウトし、自室のベッドの上に横たわっていることに気づいた。
その時、私はこれは肉体次元だと思っていたのだが、ムラダーラにキューンという強い快感が走り始め、それがスワジスターナ前方にまで広がっていった。それをしばらく味わっていて、これが体脱状態である事に気づき、次の体験に移行した。
(感想)
「両脚」がスリコギ運動のように回転するのは初めてです。「両足」が回転したのは、「運命の輪」と「トゥバン」で経験しています。「釈迦如来」とか「サイフ」のように、両脚がくっつくのとはやや対照的に見えますが、離れるだけではなく、回転運動するところが独特です。陰陽に分かれたそれぞれの脚が回転することにより、独立した世界を作っているように見えます。ズベンエルゲヌビとの関係性は、今のところ分かりません。
⑦ 2022年6月29日②朝 「ズベンエシャマリ」
自室の中央に行くと何も呼んでいないのに自動運動が始まり、両足を揃え、天に両腕をまっすぐに伸ばし、そのまま棒が垂直にぐるぐる回るように高速回転した。私はそのままの状態で「ズベンエシャマリ」を呼んだ。さきほどと同じ、やや勢いのあるまっすぐな声。
するとその回転が変化し、足の軸のところはそのままに、上側が広がっていった。つまりいつもの茶碗回転になっていった。
その茶碗回転のような体勢がそのまま次の体勢に移行し、空中で仰向けになって、ミゾオチ辺りを中心としたプロペラ回転に変化した。
私はこれまでの動きを記憶しておこうと意図した。すると重たいエネルギーが頭に集まってきて、そのままフェイドアウトして肉体的に目を覚ました。それと同時に、「空中ダンスを覚えて記録するために中途半端になるよりも、記録にはこだわらず、最後までダンスすることを重視したほうが良いのでは」と思っていた。
(感想)
快感の後に、呼ぶ前から自動運動し、そのプロセスの中で恒星を呼んだという流れです。これはズベンエルゲヌビとズベンエシャマリが連携していることを示しているように思えます。そうすると、さきほどの両脚のスリコギ回転も、これら2つの恒星の連携を体現しているように見えてきます。
② 2022年7月4日午前深夜 「ロシアとエジプトが他国に侵攻し、実家に雷が落ちて暴風が吹く」
夢。エジプトの南のほうにある国を旅していた。ロシアが他国に侵攻するのに便乗して、エジプトか南側の国に侵攻したというニュースを受け取った。私はその国境の他国側にいて、その地面には長い長い溝があった。
しばらくすると、エジプト兵たちが長い槍をもって侵攻してきた。南の国の兵士たちは、この溝を超えてくることはないと思っていたが、エジプト兵たちはそれをやすやすと乗り越えてきた。南の国の人たちも長い槍をもって対抗したが、圧されている様子で、私もそこに巻き込まれ倒れこんでしまった。私は瞬間移動して実家に帰ろうとした。
シーンが変わり、実家の自転車置き場にいた。ドーン!という激しい振動が走った。私は自宅に雷が落ちたのかもしれないと思った。そしてそれだけではなく、たくさんの雷鳴が鳴り響き、いくつも雷が落ちる音と地響きが鳴るのを聞いていた。
玄関側に回ると、母と兄がいて、焦っている様子だった。母が「お父さんは大丈夫かしら?」と私に聞いた。何故か私は父親の無事を知っており「ロシアあたりにいる。大丈夫だという連絡が入っている」と伝えた。
辺りには暴風が吹いており、実家の1Fの扉なども壊されているようで、風がビュンビュンと家の中に入っては出て行くのを感じていた。
(感想)
「まずはエジプト」という宣言をしたとたんにこの夢です。最近、言葉が敏感に何らかの影響をもたらすことに気づき始めました。うかつなことは口にできないと思い始めました。
ロシアの侵攻は時事問題を利用したのですが、そこにエジプトが便乗するということで、エジプト文化期とロシア文化期が、その枠組みを超えて越境してきたことを示していると思います。つまり私たちが現在いるゲルマン文化期に、その影響力が入り込んできたのです。父親はロシア側にいて、ゲルマン文化期から見て未来側に、それに呼応するように過去のエジプトがバランスを取ろうとしているのでしょう。地上的時間の流れから言えば、次はロシア文化期ですが、今、この地球文化期エニアグラムからの脱出を試みるならば、エジプトも共に引き連れなくてはならないのでしょう。
雷が落ちて家に暴風が入り込んできたのも、ゲルマン文化期的な枠組みが崩れてしまい、他の文化圏の影響力が駄々洩れに入ってきたことを示していると思います。(もちろん、これは地球の歴史全体への影響ということではなく、私と私のクラスターに関わることだと思います)
③ 2022年7月6日午前深夜~早朝 「楽園」
明晰夢を3つ体験した。
ある田舎の町にいたので、空を飛んで何かないかを探索していた。自然の美しい山の上を飛んでいた。
着地すると、そこは楽園のように美しい公園であり、伝わってくる印象も心に響いてくるものがあった。美しい水を湛えた大きな湖があり、白い塔のようなものがあった。空を飛びながらあちこち見ていると、空飛ぶ巨大な鯨がたくさんいたり、たくさんの天使の翼のようなものが付いた大きな船も複数あったりして、圧倒的な迫力だった。その翼はゆらゆらと揺れていて、1組ごとに色が違っていた。どれも優しい色合いだった。
ここでは、いろいろなものを見たのだが、そのほとんどを忘れてしまった。思い出せるのは、たくさんの存在が空を飛んでおり、見たことない生命体がたくさんいたということだけだ。
最初は、1人で探索していたのだが、いつの間にか4人くらいになっていた。私を入れて男性が3人、女性が1人だったような気がする。
白い塔のところにやってくると、その麓には、たくさんの国旗のような旗がロープでつながっており、そのロープはいくつもの三角を描いているように見えた。
仲間の1人が私にテレパシーで質問した。「地図はないのだろうか?」と。
私は「おそらく地図はないと思う。」と言った。そして手のひらを見せながら「ここは土の元素がない世界であり、想念によって景色が変わってしまうと思うから」と言った。手を見たのは、体もまた想念によって変化することを伝えようと思ったのかもしれない。
塔に屋根のようなものがついており、内部は青かったような気がする。「翼のある船と空飛ぶ鯨はもう見た?」と彼らに聞いた。そしてもう一度空を飛ぼうと思ったのだが、急に浮遊力が無くなり、屋根の下にあった取っ手につかまった。「ここでは筋力はいならないと思ったけれども、どういうことだ?」と思った。そのままフェイドアウトして、肉体的に目を覚ました。
(感想)
美しくて豪快な世界でした。シンプルに「すごい」と思っていました。たくさんあった国旗のような旗は、地球の国の旗ではなかったと思います。いろいろな形のもあったと思います。カラフルでした。
なんとなく、これらの旗は、私が接触してきた星々の象徴あるいは記録なのではないかと思いました。たくさんの恒星に接触すればするほどに、この楽園が豪華になっていくと考えるととてもワクワクします。
この公園を豪華にすることが私にとっての創造行為と、実験的に考えてみます。鯨がたくさん見えたのは、最近接触したメンカルの象徴?そう考えると翼の付いた大きな船は、ズベンエルゲヌビとズベンエシャマリのこと?対になった美しい羽根は、バランスの取れた秤に似ていなくもないです。均等の大きさ、均等の力が働かなくては、船は浮かばないだろうから。ちょっと強引?
それよりかは、これは見た通り「アメノトリフネ」と見るのが自然ですね。思い出すに、船体は木造であり、羽の成分は不明ですが柔らかそうで、4対くらいあったと思います。つまり8枚。もしかしたらもっとあったかもしれないです。この船が、恒星との行き来、あるいは神々との接触のための乗り物というわけです。
この公園にはたくさんの船が見えましたので、ここは宇宙の大航海が行われるためのセンター的港みたいに思えてきます。しかもそこにはたくさんの空飛ぶ鯨がいて、その影響を集団心理の中に流し込むための港にも見えます。思い出すに、この鯨たちは水に潜ることも空を飛ぶこともできました。巨大な港、アンタレス公園?
ところで、私はヘリオセントリックチャートで、地球ポイントが蟹座1度ということで、自分の住んでいる里に星のエネルギーを落とし込み、地上から見てあたかも自動的に里がよくなっていくということを試みています。以前、どこかで書きました。この地球ポイントに近接の恒星は、ベテルギウス(双子座29度)で、私の変成意識におけるベテルギウス体験の1つで、たくさんの竜巻が街を襲うというビジョンとして受け取っています。
先日の疑問は、創造の成果を地上で確認するのか、それとも変成意識の世界で確認するのか、ということでした。私はそれら両方を見ることができるというのが、次の方向性にしたいと思いました。地上世界においてそれが「自動的」と見なすのは、地上は「結果の沈殿」のようなものであるからです。実際には、そこにはメンカルが示すような集団心理があり、地上で肉体を動かして形づくるという作業があります。私がそこに地上的に参加することがあるとすれば、それは私のジオセントリックを利用するということになるのだろうと思います。肉体にいるときの私は、「私のこと」にも関わらず、集団心理のうねりの中にある1つの駒として動くということです。「ジオセントリックの私」が頑張って何かを成就しようとするのではなく、上位の私(「ヘリオセントリックの私」と言ってもいいかもしれない)が主体であって、その主体は集団意識に働きかけ、その中の1粒として「ジオセントリックの私」が動くということです。全体像は、地上的な私には見えておらず、ただ上位の世界の影響力を信じて、自分にできることをするという感覚です。この辺りの感覚は、言葉で説明するのは難しいです。
定期的に、この公園には行ってみたいと思います。「楽園」という名前を、まずは与えておきます。いろいろなことが分かりそうです。
変成意識の世界で、精密に情報を持ち帰ることに囚われないようにしようと思ったところですが、それと同時に、「その世界で何をしたいのか?」ということも重要だと思いました。「ただ見て、聞いて、体験する」のではなく、「そこで何をするのか、何を創造するのか」ということです。たしか松村先生のyoutube動画で、「アーキタイプの旅館作り」みたいな話があったと思います。そこにヒントがあるのではと思いました。