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不謹慎ピクニック

「さあ、行くぞ!」
 お父さんがうれしそうな顔でイグニッションキーをひねる。最初きゅきゅきゅと音がしたあと、ぶおーんとエンジンがふき上がる。
 その音を聞いてにこにこ顔のお父さんに対して、となりの助手席のお母さんは少し顔をくもらせている。
「こんな日にピクニックだなんて、不謹慎だって思われないかな」
 それはぼくも同感。後ろの席から窓の外を見る。確かに雲一つなく晴れ上がった空はピクニック日和に見えるけれど、視線を落として地上の他の状況を考えたら、ふつうは遊びに行くような日じゃない。
「でも、家にいても仕方ないだろ」
 お父さんがすぐに、お母さんのつぶやきに反応する。ここで、やっぱりやめましょうという話になったら、お父さん的には大ピンチだからだ。元々お母さんは乗り気じゃなかった。お父さんがいろいろ言いくるめて、ようやくこの予定が立ち上がったのだ。
「今日は暑くなるっていう予報なのに、エアコンが全然使えないんだぞ。電気が来るのは早くて明日だっていうし、一日ずっと家の中で暑いのをこらえてるつもり? 車ならエアコンが効くし、山の上に行けばすずしいんだからさ」
「そうだけど……」
 お母さんはそれでもしぶい顔。やっぱり、ご近所の目が気になるのだ。その通り、庭の片付けをしていたお向かいの田中さんが、うちの車のエンジン音に気付いてこちらを見て、ちょっとおどろいた表情をしていた。
 お母さんが頭を下げて挨拶した。田中さんの家は屋根が飛んでしまっていて、大きなブルーシートでおおわれていた。庭にもいろんな物が飛び散っている。特に大きいのは、屋根から落っこちたソーラーパネル。バリバリにくだけて、ぺしゃんと曲がっている。
 今日の空が、絵具をばーっと流したような、きれいな一面の青に染まっているのは、台風一過だからだ。
 昨日の台風はそりゃあひどかった。びゅうびゅうと風の音がひびき、ガタガタと雨戸は鳴り、家はぎっしぎっしとゆれた。そして晩御飯を食べ終わった後、いきなりばつんと真っ暗になったのだ。テレビはつかない。パソコンもダメ。かろうじてつながったスマホで、どうやら広い範囲に停電が起きたとわかった。
 しかたないので懐中電灯の灯りで歯をみがいて、さっさと寝ることにしたのだけれど、ぼくんちも飛ぶんじゃないかとドキドキして、なかなか眠りにつけなかった。幸い、うちには車用の大きなガレージがあったので、庭にあった風に飛ばされそうな物は、事前に全部そこに押し込んであった。みしみしときしんでいた屋根もなんとか無事。ほとんど被害はなく、どこからか飛んできた木の枝や葉っぱが庭に散らばっていたぐらいで、それはお父さんが早起きして、さっさと片付けてしまっていた。
 お父さんは昨日の夜、停電になって、どうもすぐには復旧しないということを知ったとたんに、この計画を立てた。
 確かに通り過ぎた台風が連れてきた南の温かい空気のせいで、今日はめちゃめちゃに暑い。まだお昼前なのに、もう軽く三十五度を超えている。いくら家の中が日陰だとはいえ、エアコンなしで一日過ごすのはつらい。
 その点、エンジンをかけてエアコンを効かせはじめた車の中は、とってもすずしくさわやかだ。
 へえへえと舌を出してへばっていた犬のチャビも、ぼくのとなりですっかり回復。気持ちよさそうにシートに寝そべっている。確かにチャビのためだけでも、車で出かけるのはいいことかもしれない。茶色いもさもさとした毛におおわれているチャビは、夏の暑さにとことん弱い。夕方でも暑いうちには、散歩に連れていこうとしても根が生えたように動かない。じゃあ今日は散歩なしね、と言い聞かせても知らんぷり。そのくせ次の日朝早く、すずしいうちに散歩に連れていけとぼくを起こしに来るのだ。
「よし、行こう」
 エンジンを温め終わって、お父さんが出発を宣言した。お母さんの心配を断ち切るように、ギアを入れアクセルをふむ。車はぐいと進みだして、ガレージから車道に出た。田中さんだけではない、ご近所の人はみんな、会うと必ずおどろいた顔で車を見つめる。
「本当にこの車目立つね」
「めずらしい旧車だからな」
 ぼくの感想にお父さんが答える。その声はとてもほこらしげにはずんでいる。
 そう、この車はとても古い。亡くなったひいおじいちゃんが、若い時に奮発して買った輸入車だ。ひいおじいちゃんはこの車を大切に乗り続けた。息子のおじいちゃんはあまり車に興味がなかったけれど、孫のお父さんが引き継いだ。ふだん使いの車の他にもう一台入る大きなガレージを立て、お休みの日にはせっせとメンテナンスしている。古い車は部品がなかなか手に入らないとぼやいている時も、うれしそう。
 ホットハッチっていう種類の車の草分けなんだぞと、お父さんがぼくに教えてくれた。赤い塗装に黒のライン。大小四つのまんまるなライトが、今の車にはないかわいい感じ。車の後ろの部分までルーフがおおっていて、お尻が大きい感じなのもかわいらしい。お父さんほどじゃないけれど、ぼくもこの車が好きだった。小さいころにぼくのつけたあだ名がゴルちゃん。
 ゴルちゃんは住宅街をぬけて国道に入った。いつもよりずっと車が少ない。特に乗用車はほとんど走っていない。ここら一帯停電してるから当然だ。どこかでバッテリーが切れたら充電できない。
 それに停電している今、車のバッテリーは貴重な電源だ。ソーラーパネルをつけていて、台風でもこわれることなく無事だった家なら自前で発電できるが、そうじゃなければ、EVのバッテリーが唯一のエネルギー源だ。
 うちはこのゴルちゃん以外にも車がある。ふだん使いのEV。もしこのピクニックから帰っても停電が直っていなければ、そのバッテリーに残っている電気を大切に使うことになるだろう。どれぐらいもつんだろうか。
「やー、それにしても快適でいいね」
 お父さんははずんだ声でギアを入れ替えた。この車はぼくの目から見ると本当に変わっている。お父さんが今、ひんぱんに入れ替えているギアもそう。そもそも全部手動で運転しなければいけない車なんて、ゴルちゃん以外に見たことがない。
 ふつうは行き先を入力すれば、あとは勝手に車が走っていく自動運転だ。一応法律上、運転手はハンドルに手をかけて、いつでも緊急事態に対応できるようにしていなければいけないみたいだけど、そんなことになったのを見たことがない。逆に言うと、そういう自動運転の車の車列の中でゴルちゃんはいつもはみ出し者なので、車間距離だったりブレーキだったり、運転にはとても気を使う。お父さんはいつもぼやいていた。
 でも他にほとんど車が走っていなければ、そんなことは気にならない。ゴルちゃんのエンジン音も、気のせいか気持ちよさそうに聞こえた。
「いやー、ターボのふけ上がりがいいね。このあいだメンテナンスしといてよかったなあ」
 アクセルをふみ込むとぐっとスピードが出るのだが、どうやらそれは、ターボチャージャーという装置が効いているかららしい。お父さんはいつもそれを自慢している。スポーティな走りを実現してるんだって。
 この乗り心地も不思議な感じだった。EVの加速はもっとずっとスムーズで、すーっと伸びていく感じだからだ。ギアチェンジもあり、そういうターボの効果もあって、急にぐっとシートに体が押し付けられる加速が来るのは、本当にこの車ならではだった。
 でもそれ自体はぼくもきらいじゃない。お父さんの運転の腕のせいか、たまにガックンガックンとギクシャクするときもあるのだけれど、変化があって面白い。
 実のところ、ぼくもゴルちゃんでドライブするのは大好きなのだった。
 ただこのゴルちゃんには、一つ大きな欠点がある。
 それがさっそく顔を出していた。
 目的地までもつかなとぼくは心配になった。

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