大切な言葉たち


『嫌なことが巡ってくる率は決して、変わんない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくしたほうがいい。』
キッチン/吉本ばなな


『私は、貧乏という試練は甘んじて受け入れるが、貧乏くさいのはお断りなのだ。』
ぼくは勉強ができない/山田詠美



『夜にはっきり感じた孤独は忘れられません。孤独は、人生にはつきものです。誰かといても癒されるものではありません。はっきりと意識してはだめです。ふわふわと周りを漂っているときは、息をひそめて吸うのを避けるのです。』
私をくいとめて/綿矢りさ



『まとも。普通。一般的。常識的。自分はそちら側にいると思っている人はどうして、対岸にいると判断した人の生きる道を狭めようとするのだろうか。多数の人間がいる岸にいるということ自体が、その人にとって最大の、そして唯一のアイデンティティだからだろうか。だけど誰もが、昨日から見た対岸で目覚める可能性がある。まとも側にいた昨日の自分が禁じた項目に、今日の自分が苦しめられる可能性がある。自分とは違う人が生きやすくなる世界とはつまり、明日の自分が生きやすくなる世界でもあるのに。』
正欲/朝井リョウ



『これより先、忘れてしまうこと、慣れてしまうこと、赦せるようになるもの、嗜好が逆転してしまうもの、いろいろとあるでしょう。けれどもそれはそれで放っておけばよいのです。その変化は表面的なもの、変化してしまうものなんて、無理して維持していたとしても所詮は大きな意味を持たぬのです。』
それいぬ/嶽本野ばら


『三日にいちどはエッチしたいけど、一週間にいちどは尼寺に入りたくなるの。十日にいちどは新しい服を買って、二十日にいちどはアクセサリーもほしい。牛肉は毎日食べたいし、ほんとは長生きしたいけれど、一日おきに死にたくなるの。』
カラフル/森絵都



『誰かが何かを演じるとき、そこには自己を満足させること、防衛すること以外に、もうそれはほとんど、「思いやり」としか言えないような、他者への配慮があるのではないだろうか。こんなクソみたいな世界に、ゴミみたいな自分に疲弊し、もう死にたい、そう思ってる人間も、誰かの、何かのために思いやり、必死で演じ、どこかで死なずに、生き続けているのではないだろうか。』
舞台/西加奈子



『仕事でも遊びでも同じなんだけれど、「ちゃんとやったほうが、おもしろくなる」のだ。ちゃんとやらないと、おもしろくならない。これは人がなにかするときの「法則」みたいなものだ。』
みっつめのボールのようなことば。/糸井重里



『十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものを置かなきゃ。そうでもしないともう、見てもらえないんだよ。私たちは。百点になるまで何かを煮詰めてそれを表現したって、あなたのことをあなたと同じように見ている人はもういないんだって。』
何者/朝井リョウ



『奇妙な映画を観たり、誰も読まない漫画を読んだり、誰も注目しないスポットに行ってみたり。それをどれだけやったかが歳をとってから必ず自分に返ってきます、時間という牢獄の囚人たる自分を解き放ってくれるアイテムとしてです。』
サブカルで食う/大槻ケンヂ



『夜の住宅地を歩いて、明かりの灯った窓に映る上着の影を見たり、偶然みつけた古本屋で本を買って、喫茶店で読んだりすることが、私には異様に楽しく感じられる。ただの散歩がそんなにも甘美に思えるのは、自分が現実からずれた世界に生きていることと関連しているように思う。「保険」や「株」や「選挙」や「団欒」や「合コン」や「バラエティ番組」から隔てられた人間に、神様が与えたささやかな喜びが散歩なのではないか。』
現実入門/穂村弘



『生きるということは生きるということ以上でも以下でもない。どんな偉人も発明家も、特に大した理由を持って生まれてきた訳じゃない。生きることの意味を考えたり、そこに何かの価値を見出そうとするから、皆、悩んじゃうのです。生まれてきたからには、じたばたせず、自分の存在意義なんてややこしいことは考えず、単純に只、生きればいいのです。で、どうせいつかは死ぬのだから、毎日を如何にして愉快に過ごせるのかということだけに心を砕いていればいいのです。真面目に苦悩して生きようが、不真面目に行き当たりばったりで生きようが、大差はない。ならば好きなものだけを選んで、刹那的に、喜楽的に、自分の美意識だけを大切にして生きるのがベストではないでしょうか。』
下妻物語[完]/嶽本野ばら


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