映画を観る時、つい気になる親子関係
私の、映画の感想、特にマーベル映画作品の感想を読んでいて、気づいている方はいると思うが、多くのものをわざわざ家族関係に当てはめた観方をしてしまう。そういう思考のクセになってしまっている。色々なものがそのように見えて仕方ない。たくさんのものをそれにつなげてしまう。最近だって「ボヘミアンラプソディ」を、つい親子関係の視点で書いた。
映画それぞれにちゃんとテーマがあって、そういうことを背景に描いていることも皆の興味をひく理由の一つだとしても、やたらに親子関係について見えてしまうのは何故なのか。
元々そういう見方で物事を考えることが、面白いと思うタイプだったのかもしれません。
最初に意識的になったのは、大学生の時に出会った先生。彼女が、私のハートをわしづかみにした。その先生の専門は「英米児童文学」。幼少期、英語の絵本に触れていた私にピッタリ。と思っていたけど、先生の話は奥が深くてそれどころではなかった。「考えろ」という訴えを軸に、面白く興味深い講義をして下さって、決して結論を言わない。絵本を授業中に読んでくれることもあったけれど、「こうなってますね~」「ここ気づきましたか~」「こんな絵を描いてますよ~」「作者はこういう背景があったんですよ~」などと言っては、言いっ放し。ニヤリとして、「そこから先は自分で考えなさい」と言う。女子大生特有の甘い考え方にも切り込んできた。言っている内容は厳しいのだけどイヤミだとか悪い言い方や怖い言い方はしない、優しい先生だった。
次の年にゼミを希望し、抽選になったけど運良く取ることができた。
日本の児童文学もたくさん読んで下さいと勧められて、たくさん面白い話をして下さった。先生の言いたいことを掴もうと、言われた本はすべてを読みあさった。
そこで私が掴んだものは、家族についてであった。さらに細かく言えば、家族における個人の存在であった。家族は、単位として一つのまとまりではあるが、個人の集まりでもあること。つまり、一人ひとりの個性は違って、自分にだけないもの、自分にだけあるものがあって良いのだということ。むしろ違って当たり前。他人じゃなくても家族の中でも「違い」があるという親子関係を考えるきっかけになった。それからそういったことについて深く考えることが面白くなってしまい、自分の幼少期に受けた教育についても改めて考えるようになった。
そして子供ができてから、また考える機会がやってくる。母乳をやる時の、ホルモンの大きな変化による自律神経の乱れが激しすぎて苦しんだことがきっかけ。自律神経を調整する薬をおくれ~と心療内科に行った。そこで生まれつき自律神経がうまく調節できなくて、体温調整がうまくいかなかったり免疫力が低下したりするのだと説明した。それから少しずつ話がそれていき、気が付いたらカウンセリングを受けることになり、自分の親との関係を見つめ直すことになった。
さらに自分の子供なのに、あまりにも自分と違うものの存在に困惑し、接し方がわからなくなって、でも何を考えているのかを理解したかった。理解したい気持ちは、自分の子供との接し方を考え直す気持ちのきっかけとなる。自分が受けた幼少期の教育を再現するのはいけないことなのか、自分が良かったと思った気持ちの経験が本当に良かったことなのか自信がなく、自信を持って「このように接する」と言いたくて、また本を読みあさった。
そこで目から鱗がボロボロと落ちて、母に対する私の遅い反抗期がやってきた。遅すぎる反抗期のため、脱するのに7年くらいかかってしまったけど、私とは表し方も種類も違う母親の愛情に対し、納得と、あきらめと、喜びを実感して、私の反抗期は終わった。ただその7年くらいの間、より深く家族関係を考え、一時期カウンセラーを目指してみようと熱心に本を読んだり勉強をしたりしてみた。それは興味深くて面白くてやめられない作業でもあった。
そういったせいもあるのかもしれない。それからもう色々なことが家族関係、親子関係につなげて考えるようになり、なんならもうすべてがそうとしか受け取れないことになっている。
深読みかもしれないし、こじつけかもしれないけれど。でもそうやって考えてみると、つじつまがあうことも多くて、おお面白い!と感じて仕方がない。
マーベル作品に限らず他の映画も、違った大きなテーマや、アクションとかCGとか、もっと楽しみ方が色々とある。でも私には、そのように見えるので、ついついテーマが同じのように受け取ってしまう。ただそれだけではない、それに付随する色々なことが違うので、私の中ではそれぞれのものとして楽しめている。
これもまた一つの映画の観方だと納得して楽しんでいます。