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懐かしい公園で思い出す自分の後悔
補助なし自転車にようやく乗れるようになった風の男の子がいた。ちっちゃな自転車を押して鼻息荒くワクワクして見える。
「懐かしいね。息子クンも乗れるようになった頃、ここに遊びに来たよね」
夫と笑った。
車からなかなか出てこない子を、ちょっと急かしてみたり、のんびり待とうとしてみたり、と外から声かけをしている両親がいる。
「ああいうの知ってるよね」
また夫と笑った。
広大な敷地の懐かしい公園。
私がワケあって二度目の自動車教習所に通っている時に、夫がせっせと息子を連れて行ってくれた少し家から離れた公園。時には私もついていって、息子が楽しんだり、遊具に勇気が出ないで泣きわめいたりしたのを見守った公園。
一時期、ほんとよく通った。
この前、そこに行って夫と久しぶりに歩いた。
「年輩の夫婦がよく散歩しているのを見たものだけど、そうかみんなピクミンをしていたんだね」と夫が冗談を言う。私たちはスマホゲーム、ピクミンブルームをしにその公園に来たのだ。
歩いているとよみがえってきた風景がある。
***
当時息子は、夫と同じようにマラソン大会に出たがった。
私は長距離走るのが好きじゃないからだいたいが応援。
夫は体型に反してそれなりに速かったし、一時期熱心にジョギングしていたものだった。
息子は大会に出るのが好きだったようで、元々運動するのはあまり好きじゃなかったのでそれほど練習もせず、ただその場に参加する雰囲気を楽しんでいた。だからいつもビリか、少しは慣れてきても後ろから5番以内と、完全にお楽しみなのだった。
にしてもだ。
この公園で大会があった時。
もうだいぶ慣れていたものの、笑いながら「今日は疲れないように走ったー」と、ずば抜けて後方から走って帰ってきた時に、私は「なんなのよ、なんのために出てるのよ」とプンスカしちゃったことがあった。
なんのため、って別に楽しむためだ。息子はそれで良いんだよ。今の私ならそう思うのに。息子はちょっとイヤそうな、神妙そうでいて怪訝な表情をしていた。私の態度に納得していなかったのだろう。きっと周りには真剣に取り組んでいた人たちもいただろうから失礼じゃないかと不安に思ったのだろう、私。
こんなところにも私の子育て後悔が転がっている。
プリプリしちゃった私がそこによみがえって。
「なんでそんなことで叱っちゃったんだろう。周りには熱心過ぎる親たちもいてさ、何も苦しむために、親のために、ちっちゃい子供たちは走ってるんじゃないでしょうに、ってすごーく思っていたのにさ。自分も怒っちゃった時があった。バカみたい私」
いたたまれなくなって夫に話すと、「なはは。バカみたいか。そうかもね。でもそういうのを経験して親になるわけだし、だから今のかせみどんがいるのさ」と言ってくれた。
ありがたい存在よなあ、オット。
必要以上の罪悪感を持たなくて良いよと伝えてくれる。
まあそうは言ってもね、やっぱり息子に申し訳なかったなあって気持ちは残る。
苦い思い出もある公園になっちゃったけど、また歩きに行くだろうな。その度に思い出すかもしれないけど、それもまた私の思い出。だから今の私があるのか。夫のその言葉も含めて生きてきた景色なんだ。
近いうちに、息子に謝ろう。たぶんだけど、息子はあの時のことを覚えているだろう。
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