SNSで見つかった過去の問題と周りの反応~その後をどう生きているか~
語りかけるように書くのは、手紙でもない限りあんまり得意じゃない。本当は読むのも得意じゃなかった。でもそういう記事を書いている人の文を読んでいると、手紙を交わしているみたいだな、良いもんだなと楽しめるようになって。人によるけど、話しかけられているようで心地よく感じる記事ってある。
相変わらず自分では書かないでいたけど、今日はあえて書いてみる。ちょっと内容がキツくなりそうだからね。
時事ネタはできるだけ書かないようにしているのよ。普段私の記事を読んでいる人はわかるよね。私はごく私的なことを書いていたい、読みたいから続けているわけでね。
時事ネタって感情的になってしまうし、私みたいなタイプは、そういう内容を読んでも知っても「書いても」心が揺さぶられ過ぎちゃう。そんな感情的な文を書きたくなくってね。なんでって、それが人の心に響くようには書けないから。そういうのも表現豊かに伝わるように書ける人っている。こんな感情的なことをしっかりこちらの心に訴えかけるように書けるなんて、って感心しちゃう。
だけど私はそういう風には書けないのよねえ。後で読んで矛盾があったり隙だらけだったりブーメランだったり、いつか読んだときに「こんなのを書き残してしまった」って後悔しそうだったり。今回もそうなるかも。
もちろん書かずにはおれない、あんまりだ。ってこともあるよ。
耐えられない気持ちは昔から書き散らかしてスッとできる日もある。
それはこんな公衆の面前には載せられないひどいものなのよ。
いつか、それに関連する内容を書く時に、上手くつなげて自分の思いを乗せて伝えられたらなあって気持ちは持ち続けるようにしてるよ。
今回どうしても書きたいのはね、前からある違和感。
「許せないから叩く」→「謝罪」→「終了」の流れが決まった形としてあるのが、全然スッキリしないなあって。
いやもっと書きたいことはあるんだけどね。
なんなら怒りでその日は眠れなかったけどね。
ほら。いろーんな映画やドラマや本や漫画で、過去に許されざるひどいことをしたけど、今は普通に暮らしているって内容、あるでしょ。なんならそれがヒーローになったりするじゃない。私も、MCU映画やドラマ(マーベルシネマティックユニバース)で、そういうヒーローのファンだったりする。
私たちだって、何かの加害者になったことはある。自覚しているものでも自覚できていないものでもおそらく。多分まったくない人なんていない。
でも多くの人がそんな過去の自分に真摯に向き合っているって思うんだよ。人を傷つけたと後で気づいた時に、自分の愚かさに打ちのめされる人だってたくさんいるよね。
多くの人が、より良い自分になりたいと日々思ってない?
私はそう思っているよ。私の周りの友人たちだってそう。
私なんて、向上心がないと公言してはばからないと思いきや、どうも自己嫌悪に陥る日も多い。
能力を高めたいって積極的な強い向上心なくたってさ、さすがにより良い自分になりたいとは思っているもん。それは過去の自分を償いたかったり、無意識にでも人を傷つけているんじゃないかと思ったりするから。
できれば人に優しくありたいよ。できればその人を応援し続けたい。できれば励ましが心に届いてほしい。できれば目の前の人に笑ってほしい。できれば心を和ませたい。
できれば。できれば……。
そう、なかなかうまくいかないから「できれば」になっちゃうけど、でも心がけている。頑張ってるよ。文章もね。向上心なくたって、できれば読みやすく、できれば伝えたいことが伝わりやすいように。できれば人を傷つけないように。
その程度には、より良い自分になりたいんだよ。
確かに過去にしてしまったことは消せない。ネットや映像、文字として残っていれば、それはいつの時代でも人の目に触れてしまう。今の時代、そういうことにすごく気をつけなくちゃいけないよね。
そして。情報を消せたとしても、何より相手の心に残るよね。
だけど、何かしでかしてしまってそれが残っているとしてもね。その後のその人はどうか。周りは見ているし、周りにはわかる。そしてちゃんと自分も知っている。
過去の自分のひどかった部分を悔いているのか。その後どんなふうに暮らしているのか。何をどういう風に表現して、どんな自分であろうとしているのか。人を傷つけてしまったことを、許してもらえなくても心に留めているのか。
見ればわかるでしょ。
何十年も前のことになればなるほど、その間、挽回しようと努力するチャンスはあっただろうし、後悔してきた思いがあるのなら、しっかり寄り添って励ましてくれる人もいるはずだよね。
つまりね。
誰もかれもよってたかって叩いて良いわけでもないって思うんだ。
だって自分も同じ次元で誰かを傷つけているんだよね。正義の味方ってなんだろう。制裁ってなんだろう。何に対してだろう。
私は考えたいなあって。何がこうさせたのか。こういう人を生まないためにどうしたら良いのか。もちろん考えているそばからこういうことは起きていて、すぐになくなるわけでもないから、のんびりしてられないって考えもよくわかる。
そしてね。叩いているように見える人の中に、声を上げなければならない人もいるよね。叩いているんじゃなく、悲しんで自分の気持ちを伝えている人もいる。苦しい気持ちを率直に訴える人もいる。
きちんと思いを伝えたい人たちだっているんだ。
だからそれもまたひとくくりにはできないよね。
そういうのを考えながら。それでも大騒ぎになった時よ。
その騒ぎを沈めなくちゃいけないから「とりあえず」謝りました。謝ったから皆さん落ち着いて下さいよ。
ってどうなの。
騒がせてしまったこと自体を謝るのはわかる。それ自体にまず申し訳ない。でもそれで終わってほしくない内容ってあるよね。
ねえ。とりあえず謝る人ってさ。子供に対しても「謝りなさい」って強制してきたのかなあ。
何故それがいけないことか、一緒に考えてきたんだろうか。子供が納得して自分のものにするほどの言葉を伝えてきたのかな。えっ。毎回だよ。だって親が理不尽に怒っちゃう時だってあるじゃない。そういう時って、親が謝らなきゃいけないよね。謝るって心と言葉を尽くすんだってそのメッセージ、伝えないとさ。
ねえ。人を傷つけてしまった時って、謝る対象は「その誰か」にだけじゃないよね。
その背後には文字通り「山のように」傷ついている人たちがいる。
前さ、カフェで大声でスマホで話し始めてしまった人がいて、参ったなあと思っていたら、店員さんが早い段階で注意してくれた。
そしたら最初に電話の向こうの人に謝って、その後、店員さんにすごく謝っていた。
いやいや、周りにいる私たちにとって迷惑だったんだよ、だから店員さんは代わりに注意してくれたんだよと思ったけど、そういうのはなかった。謝ってほしかったわ! っていう怒りはないけどね、そういう心はないのかあと記憶に残ってしまったの。だからこの人は平気で店内で喋ろうとできるんだって思った。
謝ったり、償ったりするのは、目の前の「言及してきた人たちに」じゃないよ。
だからなかなかおさまらないのかもしれないよね。
えーと。この文も、どこかだけを切り取るととんでもないものがあるかもしれないから怖いよね。そうなったら私も謝るしかないのかなって思う。
あとね、もう一つだけ。あの時代はああだったからなんて考えを目にしたけど、その時代を生きていた私を含むみんなに、あまりにも失礼なんだよ。それを理由にしないでよね。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。