母の断捨離には歴史があった~「古いは安い」にしても~
今年の5月に祖母が亡くなって、これによって両祖父母4人全員が亡くなり、両親にとっては、世話で奔走する時間が終わった。
気持ちが一段落したら、兄一家や私たちの駆けつけられる場所に住んでほしいと言っていたのもあり、両親もそのつもりにしてくれている。
でもこのコロナ禍で、少し先延ばしに。そして何よりもまずは家の中の片づけ。
認知の問題もあって、祖母は洋服や化粧品をあふれんばかりに取り込んでおり、その片付けや処分が大変なようだ。書道の先生でもあったため、半紙や専門書も山積み。
片づけは疲れるようで、「死んじゃったらもう何でもない‘ただの物’になるのよ。できるだけ身軽でいたいわ」。父方の祖父母の、家の片づけでもヘトヘトになっていた母は何度もそう言う。
片づけていると、祖母の赤ん坊の頃の写真が出てきたらしい。「おばあちゃん(母の母)たら、自分の赤ちゃんの頃と、自分の母親の赤ちゃんの頃の写真を持ってたのよ! そこにはそのお母さんも写っている」のだと言う。
うわあ。それはすごいぞ。歴史モノだ。
祖母は大正生まれで、兄弟姉妹の中で一番年上。私の曾祖母が赤ちゃんの頃の写真なんて、いったいいつの時代なのだろう。
すごいなあ。言葉にならなくて「うわあ……」とか「へえ!」とか言ったまま思いを巡らせていたら、母が言った。
「おじいちゃん(母の父)やおばあちゃん(母の母)のアルバムを一冊にまとめたいけど、おじいちゃんの弟が戦死で手当てがまだ出るから何だか捨てられずにいるのよ」と言う。
「ああ……」なるほど。
さらに続けて
「私の赤ちゃんの頃の写真はないのよ。戦争中でね」
「えっ。ああそうかあ」
また「うわあ……」が出てしまう。乏しい語彙力。
もうほぼ「ああ」と「うわあ」と「へえ」しか出ない。
赤ちゃんの頃の写真ないなんてショックだ。息子が生まれた時、写真を写しまくった。私自身が赤ちゃんの頃の写真もたくさんある。
自分のそういう写真がないなんて、きっと母の世代には当たり前なのだろうけど、そこに思いが及んだことはなく、衝撃だった。
他に、祖母の書は、ただの一般人なので、どんなに立派で額に入っていてもお金にならない。趣のある彫刻の施された家具もまた安く引き取られたと笑っていた。
そしてタイミングだからと、母は自分のヴァイオリンも引き取ってもらった。
「いくらだったと思う?」
と聞いてくる。
今も使う一挺(ちょう)を手元に残し、残りの「4挺でいくらだったと思う?」と何度も聞いてくる。当てさせたいらしい。
全然想像がつかないから「いくらで買ったの?」と聞くと「初めての小学生の時のは8000円」と言う。当時の8000円がどのくらいなのか。「2つ目は13万円」。
ウチは代々、特段お金持ちではない。きっと高い買い物だっただろう。3つ目以降はもっと高かったそうだ。
「で。4挺でいくらだったと思う?」
ムムム。わからない。わからないよ! 想像がつかない。
「安く買われて驚いてるんだよね?」
一応確認してみる。でも安く言い過ぎて、「そこまでじゃない」ってなったらつまらなくなってしまう。こういう時に狙いに行った方が良いのか。外しに行った方が良いのか。狙いに行っても外しに行っても、どのくらいかやっぱり見当もつかない。
「ううううう~わからない!! いくらだったの?」
たまらず聞き返した。
3万円。
3万円だった。
やっすっっ!!
古くて変な音が出るらしい。母はもう「自分の物を、いかに安く購入できたか自慢する関西のおばちゃん」みたいに、ドヤ顔で「3万円よ」と何度も言っている。ただカメラ越しに、ドヤとは裏腹に「情けないでしょ」と泣き笑いみたいな表情も垣間見える。「だって、親に高いお金出させて買ったのに」と本音も漏れる。「それでもサッパリした」と言い、もう良いの! と開き直ってもいる。売り物にならないにしても、複雑な気持ちだろうなあ。
歴史を感じた、母との会話。
物をたくさん大事に残しておいても、死んじゃったらもう何でもないのよ。仕方ない。と割り切った母の気持ちに思いを馳せる。とは言え捨てられない写真も何枚か。
自分がその立場ならと、ふと身の回りのあふれている物を見渡す。